毒殺しの少女

亜逸

第1話 毒の魔女と子供たち

 災厄の魔女と呼ばれる老婆がいた。

 老婆は〝毒〟を司る魔術師であり、ひとたび毒魔術を振るえば、小国程度ならば一日で潰滅にできるほどの力を有していた。

 それほどまでの大魔術師だからか、老婆は齢が七〇を過ぎたくらいからこう思うようになった。


 自分の毒魔術を後世を残したい――と。


 ひいては、自分の後継者が欲しい――と。


 魔術とはその身に植え付けたを、具体的な力として顕現し、行使する術法。

 概念を植え付けるのは早ければ早いほど身につく力は強大になり、遅ければ遅いほど薄弱になる。


 ゆえに老婆は、自身の後継者となる赤子を集めた。

 目をつけた赤子の家族を毒魔術で皆殺しにしてから奪い取るという、災厄の魔女の名にふさわしい非道なやり方で。


 そうして集めた赤子五〇人。

 その全てに、老婆は手ずから〝毒〟の概念を植え付けた。


 五〇もの数を集めたのは、赤子の段階では〝毒〟の魔術師としての才能の有無まで見極めることができないので、母数を増やすことでを引く確率を上げるためだった。


 そして、五〇人の中で最も〝毒〟の魔術師としての才能が乏しかったのが、パレアだった。



 ◇ ◇ ◇



 天井、壁、床――その全てが石でできた部屋の中で、一人の少女が魔獣と対峙していた。


 肩にかからない程度の長さしかない黒髪。

 その色合いとは対照的な、白磁のような肌。

 顔立ちは愛らしいが、目つきが子供とは思えないほどに鋭い、一月ほど前に一二歳になったばかりの少女だった。


 対する魔獣は、人間のそれとは異なる赤色の肌と巨躯、頭部に二本の角を有する食人鬼――オーガ。

 少女との身の丈の差は、少なく見積もっても三倍を超えていた。


 子供はおろか、大人でさえも背後に見える出入り口目がけて一目散に逃げるべき状況だが、少女にその選択肢は許されていなかった。


 なぜなら、この部屋を生きて出る唯一の方法が、オーガを殺すことだから。

 それ以外の方法で部屋を出ようものなら、ペナルティという名の死が待ち受けているから。

 ゆえに、目の前にいる人食い鬼を殺す以外に、少女が生き残る術はなかった。


 目の前のご馳走に狂喜しているのか、オーガが血走った目を向けてくる中、少女は身に纏っていた暗色のローブの下から小瓶を取り出し、床に叩きつける。

 その衝撃で小瓶が砕け、中に入っていた薄赤色の液体が発光したのも束の間、赤い霧に変化して瞬く間に部屋中に充満していく。

 霧は鼻と口からオーガの体内に入っていき――途端、人食い鬼は首を掻き毟るようにして苦しみだした。


 赤い霧は、少女が〝毒〟の魔術によって創り出した致死性の毒霧。

 猪程度なら、わずか数秒で死に至らしめるほどの猛毒だった。


 だが、


「ガァアァァァァアァァァァァッ!!」


 オーガは苦悶混じりの怒号を吐き散らしながら、少女に向かって巨拳を振り下ろす。

 食欲を凌駕した怒りの反撃に驚きながらも、慌てて真横に飛んで巨拳をかわした。が、着地をしくじってしまい、無様に床を転げてしまう。

 毒魔術の研鑽は積めども、武術の類の研鑽は微塵も積んでいなかった少女には、華麗な回避など望むべくもなかった。


 転んだ痛みに顔をしかめたいところだが、オーガがすでに馬鹿みたいに大きな足を振り上げていたので、少女は慌てて立ち上がり、走り出す。

 踏みつけるつもりだった相手が逃げ出したからか、それとも毒の影響か、オーガは片足を上げた状態でバランスを崩し、背中から派手にぶっ倒れた。


 いくら年端のいかぬ少女といえども、ここまでわかりやすい勝機を見逃すはずもなく、新たな小瓶を取り出そうとローブの下をまさぐるも、先程転んだ拍子で隠し持っていた小瓶が全て割れてしまったらしく、舌打ちを漏らした。


 そうこうしている間にも、オーガが手をついて起き上がろうとしている。

 迷っている暇はない――そう判断した少女は、割れた小瓶の破片の中から手頃な大きさと形をした物を瞬時に選別し、その角で自身の掌を切り裂く。


 さらに傷口に爪を食い込ませながらも強く握り締めることで血を滴らせると、上体を起こしたばかりのオーガに駆け寄り、間抜けなほどに開かれている大口目がけて掌の血を撒き散らした。


 顔や口腔に血が付着するのを確認してから、少女は脱兎の如くオーガから離れる。

 オーガは背中を見せる子兎を狩るために、膝をついて立ち上がろうとするも、


「無駄よ」

 

 オーガの手足が届かない距離まで退避した少女が、振り返りながらも言う。

 その言葉が正しかったことを証明するように、オーガは先と同じようにバランスを崩し、派手にぶっ倒れる。

 両手で首を掻き毟るように苦しみだしたのも先と同じだが、苦しみようは先とは比較にならないほどに痛々しかった。


 溺れているかのように、オーガは床を転げ、のたうち回る。

 無軌道に暴れる手足が当たっただけでも大怪我に繋がるため、少女は背中から壁に貼り付き、こちらに届かないことを祈るばかりだった。


 大暴れしていたオーガだったが、その動きは急激に鈍っていき……ほどなくしてピクリとも動かなくなる。

 絶命したと確信した少女は、背を預けていた壁からずり落ちるようにして、その場にへたり込んだ。


 少女の幼さを鑑みれば、独力でオーガを退治するなど偉業と言っても差し支えないくらいだが、



「無様だね」



 部屋唯一の出入り口から聞こえてきた言葉は、血も涙もないほどに辛辣だった。

 続けて、闇から生まれ出るようにして一人の老婆が部屋に入ってくる。


 三角帽子にローブという、如何にもな風体をした老婆の名は、ヴェルエ・ヴェルヒッフ。

 災厄の魔女の名で知られる、〝毒〟の魔術師の頂点に君臨する者。

 そして、少女がまだ赤ん坊の頃に彼女の両親を殺し、五〇人いる後継者候補の一人に仕立て上げた凶人。


「まさか一二歳にもなって、自分の血を触媒しなければ魔術を使えないとはねぇ……」


 う。

 老婆の言葉どおり、少女は自身の血を触媒にして毒魔術を行使していた。

 オーガがあっという間に絶命したのも、その血を口腔から体内に取り込み、直に少女の毒魔術を受けたがゆえのことだった。


 もっとも〝毒〟という概念に限らず、触媒なしでは魔術を使えない者は、魔術師としては三流もいいところだが。


「ワタシがアンタと同じくらいの頃は、眠っているだけで毒魔術が漏れちまっていたことに悩まされたというのに……」


 ヴェルエは失望をため息という形で表してから、犬でも追い払うように少女に言う。


「アンタが手間取っちまったせいで、無駄に時間を食っちまったよ。さっさと下がりな、


 こっちだって、あんたの後継者になるなんて願い下げよ――そんな悪態をかろうじて呑み込むと、少女パレアはヴェルエに気づかれないよう舌打ちを漏らすと、オーガ臭い部屋から出ていった。



 ◇ ◇ ◇



 オーガと戦わされた石造りの部屋とは対照的の、貴族の邸宅もくやと言わんばかりの豪奢な広間で、ヴェルエのしゃがれた声が響き渡る。


「今回はオーガの戦闘という形でアンタたちの成長を見させてもらったけど……結果はいつもどおり、一番上手にやれたのがイルルナで、一番駄目だったのがパレアだったね」


 その言葉に、広間につどっていた、一様にして暗色のローブを身に纏ったの子供たちが、落胆したり安堵したりと思い思いの反応を示していた。

 もっとも、一番駄目だと名指しされたパレアは、眉一つ動かすことはなかったが。


 ヴェルエが自身の後継者にするために赤子を集めてから一二年。

 五〇人いた赤子たちは、ヴェルエの人を人とも思わぬ指導により、すでに一四人がこの世を去っていた。


 ……いや。

 赤子たちが物心つき始める頃までは、乳母代わりに働かせていた奴隷が何人もいたずなのに、今や全く見なくなったことを鑑みると、ヴェルエの狂った後継者育成でこの世を去った者の数は、一四人どころの騒ぎではないのかもしれない。


 今生き残っている三六人の子供は、ヴェルエのせいで物心つく前からずっと地獄を見させられている。

 にもかかわらず、ヴェルエの言葉に一喜一憂する他の子供たちのことが、パレアにとっては度し難いことこの上なかった。


(ほんと、バっカじゃないの)


 この状況で口に出すことはそれこそバカのやることなので、心の中だけで悪態をつく。

 そんなパレアの心中を一顧だにもしていないヴェルエは、どこかつまらなさそうな物言いで話を続けた。


「こうも似たような結果が続くと、いい加減慣れてきてるだろうから……イルルナ。はアンタが勝手にやっといとくれ」


 そう言ってヴェルエは、場違いなまでに柔和な笑みと、背中にかかる鮮やかな金髪が目を引く少女に視線を送る。

 現状においては、最も後継者の座に近いと目されている少女――イルルナは笑みをそのままに首肯を返し、慇懃に応じる。


「かしこまりました、師匠マスター


 その返事に満足するようにヴェルエは頷くと、パレアを含めた他の子供たちに視線を巡らせる。


「これからは、今回みたいな実戦も交えて指導していく。どれだけ毒魔術の才能があろうが、ろくに戦えないようなカスじゃ、あたしの後継者は務まらないからね。先に言っとくけど、死ぬ気でやらないと本当に死んじまうから精々気張るんだね」


 その言葉が何の誇張もないことを、この一二年の間に嫌というほど思い知らされていた子供たちは、息を呑むばかりだった。


「正直カスが何人死のうが知ったこっちゃないけど、一二年もかけて育てたアンタたちが全員死んじまったら、一からやり直しになっちまう。また、いちいちバカな家庭を殺して回るなんて七面倒くさいこと、ワタシにさせんじゃないよ」


 そんな言葉を最後に、ヴェルエは広間から出て行く。

「今日のところはここまで」とか「続きはまた明日」とか、区切りの言葉を何一つ残すことなく、勝手気ままに毒魔術の指導を切り上げたのだ。


 そんな災厄にして最悪の魔女に、いよいよ堪えきれなくなったパレアが舌打ちすると、


「あらあら? 落ちこぼれのあなたでも、舌打ちを漏らす程度には悔しいと思う心があったのね?」


 近くにいた少女が嘲笑まじりに見下してきて、


「おいおい……いまだに触媒なしじゃ毒魔術を使えねぇくせに、いったい何を悔しがってんだ? どっちかっつうと、てめぇの情けなさに絶望して舌噛み切るとこだろ?」


 比較的遠くにいた少年が、ここぞとばかりに乗っかってくる。


 今回みたいに個室で行なわれる課題もあれば、皆の前でやる課題もあるため、パレアが触媒なしでは毒魔術を使えないことは、子供たち全員の知るところであることはさておき。

 

 少女と少年の絡みようは年齢相応に子供じみているものの、毒魔術を極めるために一人の例外もなく多種多様の本を読み込まされているせいか、年齢不相応な語彙力とイヤミったらしい言い回しが鬱陶しいことこの上なかった。


 別に無視しても構わなかったが、言われっぱなしはガラじゃないので、少女と少年の安っぽい矜持を最大級に傷つける、嘘偽りのない言葉を返してやることに決める。


「見下してるところ悪いけど、あんたたち誰? 存在感がなさすぎて、顔と名前が一致しないんだけど」


 直後、冷水が一瞬にして沸騰するように、少女と少年が顔を真っ赤にして罵声を飛ばしてくる。


「なぁっ!? ま、まさか記憶力の方まで落ちこぼれだって言うのっ!?」

「才能がなさすぎて目立ってる野郎が偉そうにッ!!」


 そんな二人の怒りに油を注ぐように、パレアはこれ見よがしに鼻で笑う。

 案の定と言うべきか、あっさりと挑発に乗った二人は、ますます顔を赤くしながらも、本を読んで得た多種多様な罵詈雑言を喚き散らし始めた。


 その様があまりにも滑稽すぎて、ますます鼻で笑ってしまうも、


「や……やめて……!」


 消え入るような声とともに、こちらを庇うようにして一人の女の子が割って入ってきた瞬間、パレアは思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。


 三六人にいる子供たちの中で、最も小さな体をプルプルと震えさせているせいか。

 クリッとした碧い双眸に、今にも泣き出しそうなほどの涙が溜まっているせいか。

 銀色の髪がパレアと同じように肩まで届かない様が、年齢以上に子供っぽく見せるせいか。

 小動物という印象を強く受ける女の子だった。


 彼女の介入が予想外だったのか、二人が目を点にして罵詈雑言を中止させる中、パレアは眼前の小さな背中に呆れた声をぶつける。


「なにやってるのよ、フィーリ」


 女の子――フィーリは、相も変わらずプルプルと震えながらも、半顔だけを振り返らせ、涙声で言う。


「な、何って……パレアちゃんがいじめられてたから……つい……」

「ついって……」


 すっかり毒気を抜かれたパレアが、ため息まじりに頭を抱える。

 そんなやり取りを尻目に、罵詈雑言を邪魔された二人が、フィーリとは別の意味でプルプルと震えながらも怒りの滲んだ声音で言った。


「ちょっと待ちなさいよ。パレア……あなた、私たちの名前は憶えてないのに、その子の名前を憶えてるってどういう了見よ?」

「つうかそのチビ、てめぇよりマシってだけで大概に能なしじゃねぇか……!」


 少女と少年の視線が自分に向けられた途端、フィーリは「ひ……っ」と引きつるような悲鳴を上げた。


 他の子供ならともかく、この小動物じみた女の子に矛先が行くことを良しとしなかったパレアは、フィーリの襟首を掴むと、


「邪魔よ」

「ひぎゃっ!?」


 ぞんざいに後方に引き倒した。

 役に立つかどうかは別にして、助けに入ったフィーリを雑に扱う蛮行に、怒りを滲ませていた二人は呆気にとられる。


 その様子を見て、パレアは、完全に自分に矛先を向けさせるにはもう一手必要だと判断し、駄目押しとばかりに二人に言った。


「なに間抜けな顔してるのよ? ……ああ。ごめんなさい。そういえばあんたたち、名前も憶えてもらってないのにあたしの知り合いづらしている間抜けだったわね」


 それが、決定打だった。

 とうとう怒りの臨界点を超えた二人が、体内の魔力を高めて各々の毒魔術を発――



 パンッ!!



 突然、手を打ち鳴らす音が広間に響き渡り、毒魔術を発動しようとしていた少女と少年がビクリと硬直する。

 拍手かしわで一つで二人を止めたのは、後継者候補の筆頭――イルルナだった。


「駄目ですよ。師匠マスターの許しもなしに、子供たち同士で殺し合うのは」


 柔和な笑みを崩すことなく、二人を窘める。


「わ、わかってるわよ……」

「ちょっと脅かそうとしただけっつーの」


 少女も少年も、イルルナから露骨に目を逸らしながら引き下がる。


 ヴェルエの地獄のような指導を一二年も受けていれば、個々の魔術師としての実力、才能の差を嫌でも思い知ることになる。

 二人がパレアを蔑んでいるのも、イルルナに恐れにも似た感情を抱いているのも、それゆえのこと。

 一二年の歳月を経てなお、実力と才能の差はおろか、顔と名前すらろくに憶えようとしないのはパレアくらいだった。


「パレアさんも。いちいち相手を挑発するような真似はしないでください」

「うるさいわね。顔も名前も憶えられないくらい存在がうっすい、あいつらが悪いのよ」


 その言葉に少女と少年が再び怒りを露わにしかけるも、イルルナが片手で制してきたため、二人して黙り込んでしまう。


「まさかとは思いますけど、わたくしの顔と名前も憶えていないだなんて哀しいことは言いませんよね?」


 どこか縋るような調子のイルルナに、パレアは唾を吐き捨てたい衝動をこらえながらも、悪態を吐き捨てた。


「あんたみたいな、憶えたくなくても憶えるわよ。イルルナ」


 遠慮の欠片もない罵倒に、成り行きを見守っていた子供たちが息を呑む中、面罵めんばされた当人は柔和な笑みを深めながらも心底嬉しげに言った。


「よかったぁ……。わたくし、パレアさんに憶えられてないだなんて言われたら……」


 不意に、イルルナ笑みが悍ましい形に吊り上がる。



 たかだか一二歳の子供のものとは狂気を前に、他の子供たちはおろか、パレアでさえも肌が粟立つほどの悪寒を覚える。

 今の言葉が、パレアに関わるものであることは言わずもがな、先程ヴェルエがイルルナに言っていた「後のこと」にも関わるものだった。


 パレアはふと、先程引き倒した、尻餅をついたままこちらのことを心配そうに見上げているフィーリを横目で見やる。


(どうせこの子のことだから、あたしがイルルナに壊されることを心配してるんでしょうね)


 別に、心配させたくないとか、そんなんじゃないけれど。

 なんとなくしゃくだったので、あえて鼻で笑ってからイルルナに強気な言葉を返した。


「舐めてんじゃないわよ。あんた如きが、あたしを壊せるわけないでしょ」


 子供たちの中では最も出来の悪いパレアが、最も出来の良いイルルナを「如き」扱いしたことに、周囲から驚きと失笑のどよめきが聞こえてくる。

 当のイルルナは、例によって心底嬉しげな笑みを浮かべると、


「それでこそ、パレアさんですね」


 心底嬉しげに言いながら、エスコートを買って出る紳士さながらに、パレアに向かって手を差し伸べた。


「バカやってないで、さっさと行くわよ。こっちは一秒でも早く終わらせたいんだから」


 目の前の繊手をぞんざいにはね除けると、言葉どおり「後のこと」をさっさと終わらせるためにスタスタと歩き出し、イルルナの脇を抜けて広間から出ていく。


「ほんと、つれない人ですね」


 そんな言葉とは裏腹に、イルルナはますます嬉しげな笑みを浮かべながらも、パレアを追って歩き出した。


 パレアたちが出ていったのを契機に、他の子供たちも広間を後にする中、いまだ尻餅をついていたフィーリは、ただただ心配げに、去り行くパレアの背中を見つめていた。



 ◇ ◇ ◇



 ヴェルエが子供たちに課題を与えた際、最も出来が良かった者には、最も出来の悪かった者に罰という名の〝実験〟を行なう権利を与えている。


 実験とは勿論、毒魔術を使った人体実験のことを指しており、殺してしまったり、肉体やその身に宿した魔力に深刻な後遺症が残るようなものでない限りは、どのような実験を行なってもいいという、災厄の魔女らしい最悪最低の権利だった。


 ここまでくれば、最早言に及ばない。

 ヴェルエがイルルナに言っていた「後のこと」とは、この「罰という名の実験」を指した言葉だった。



「それではパレアさん。早速ですけどこの台の上に、仰向けになって寝てください」



 そう言ってイルルナが手を向けたのは、両手両脚を繋ぐ枷鎖かさが備えつけられた、シーツもなければ毛布もない殺風景な寝台だった。


「はいはい」


 投げやりな返事をかえしながらも、パレアは言われたとおり、腰ほどの高さがある寝台によじ登る。

 素直に従ったのは、ヴェルエが何かしらの術を用いて、こちらの様子を観察している可能性を考慮してのことだった。


 ヴェルエが取り決めたことを破った場合、彼女に手ずから〝処分〟される恐れがある。

 現状、以上、パレアといえどもヴェルエの取り決めには従うほかなかった。


 大人しく寝台の上に仰臥したところで、イルルナは枷鎖でパレアの四肢を拘束していく。

 自由を奪われる中、ぼんやりと天井を見上げる。

 床も壁もそうだが、この部屋の天井は石でできていた。

 オーガと戦わされた部屋と同じように。


 然う。

 パレアとイルルナがいるこの部屋も、オーガと戦わされた部屋も、館の地下に設けられたもの。

 どちらの部屋も、どれだけ泣き叫ぼうが、外はおろか館の地上階にも声が届くことはない。


(つくづく悪趣味ね。あのクソババアのやることは)


 心の中で吐き捨てている内に、全ての枷鎖をつけ終えたイルルナが、こちらの顔を覗き込んでくる。


「ふふ。良い眺めですね」

「あんたからしたら、そうでしょうね。それよりさっさと始めなさいよ、ド変態」

「なら、お言葉に甘えて」


 イルルナはこちらに見せつけるように、人差し指を立てる。

 彼女の魔力が指先に集中したのも束の間、その指先を包み込むように、紫色に輝く小さな光の玉が具象する。


 この紫玉しぎょくの光は、イルルナの魔術によって生み出された〝毒〟だった。

 触媒なしでは魔術を行使できないパレアでは逆立ちしても真似できない、後継者候補筆頭の力だった。


 紫光に包まれた指先がパレアの喉に触れると、そのままゆっくりと未成熟な胸の谷間を下っていく。


「……っ……」


 上げそうになった悲鳴を噛み殺すパレアをでるように、ゆっくりと、艶めかしく指先は下っていき……鳩尾に辿り着いたところで、ピタリと動きを止めた。


「それでは、始めますね」


 宣言すると、指先を覆っていた紫光が水中に沈み込むように、パレアの体内へと入り込んでいく。


 ズクン――


 不吉な鼓動が全身に響き渡ったのも束の間、


「――――っ!?」


 血が滲むのも構わず、パレアは全力で唇を噛み締めた。

 突然、激甚な痛みが全身を襲ったのだ。

 一瞬でも悶絶したくなるほどの激痛が、頭の天辺から爪先まで、絶え間なく駆け巡っているのだ。


 およそ一二歳の子供に耐えられるような痛みではないが、それでもパレアは、口の端から血を滴らせ、両手を力いっぱい握り締め、目尻に涙を浮かべながらも必死に耐え続けた。


 そんなパレアに感激するように、イルルナは手を打ち鳴らす。


「さすがです、パレアさん。もう説明しなくてもわかっているとは思いますが、今回実験に使った〝毒〟は、『体のどこにも異常をきたすことなく激痛を与える』もの。とりあえず、痛みの設定は成人でも発狂する程度にしておいたのですが、パレアさんなら耐えてくれると信じてましたよ! ですが……」


 柔和だった笑みを悍ましく吊り上げながら、イルルナは再び人差し指に紫玉の光を宿らせる。


「パレアさん……わたくしが見たいのは、大好きなあなたの苦しむ姿なんです。わたくしが聞きたいのは、大好きなあなたの鳴き声なんです。ですから……」


 再び、紫光の指先をパレアの鳩尾に近づけていく。

 イルルナが激痛を倍化させるつもりでいることを悟ったパレアは、無駄だとわかっていながらも枷鎖で拘束された四肢を暴れさせる。


 そんな反応を見せたところでイルルナを喜ばせるだけだとわかっていても、今にも発狂しそうになるほどの激痛を倍化させられては、パレアといえども耐えられたものではない。

 否応なしに必死に無駄な抵抗をしてしまう。


 イルルナは、寝台の上で暴れるパレアを恍惚した表情で眺めながらも、紫光をパレアの体内に沈める。


 ズクン――ッ!!


 先とは比べものにならないほどに強く、不吉な鼓動が全身に響き渡った瞬間、


「ん――――――――――っ!! ん――――――――――っ!!」


 のたうち回るほどの激痛に襲われ、噛み殺した絶叫が石造りの部屋に反響した。

 耐えきれないほどの激痛に苛まれてなお唇を噛み締め続けているのは、情けない悲鳴をイルルナに聞かせたくないという、ただの意地だった。


 だがこの激痛は、意地だけで耐えきれるような代物ではなかった。


 全身の皮膚が内側から食い破られているかのような。


 体内に突き立てられた無数の刃が、臓器をグチャグチャにかき回しているような。


 全身の骨をやすりで削られているような。


 拷問でももう少し手心を加えるだろうと思わされるほどの激痛が、堪えきれなくなった目尻から涙を溢れさせ、耐えきれなくなった口から悲鳴を上げさせる。


「あぁああぁぁああぁああぁぁぁああッ!!」


 もがき苦しむパレアを眺めながら、イルルナは頬を火照らせる熱に浮かされるように、嬌声じみた声を漏らし始める。


「あぁ……! 良い……! 素晴らしい……! やはりあなたは最高です! 苦しんでるあなたを見てると、体が火照って火照って火照って火照って……あぁ! もっと苦しんでください! もっともがいてください! もっとぉ! もっとですっ!!」


 パレアがもがき苦しみ、イルルナが恍惚に身悶える――そんな地獄は、実に一時間も続いた。



 ◇ ◇ ◇



 地獄から解放されたパレアは心身ともに疲労困憊になりながらも、地上階に続く階段を上がっていく。

 部屋を出る前にイルルナが、


「肩を貸してあげましょうか?」


 などと言ってきたが、地獄を見せた張本人の肩を借りるなど真っ平ごめんだったので、


「あんたの肩を借りるくらいなら舌噛み切って死んだ方がマシよ」


 と吐き捨て、一人部屋から出ていった。

 せめて付き添わせてほしいと言っていたが、その厚意自体が悍ましいことこの上なかったので、「死ねド変態……!」という罵倒ともに固辞した。


 壁に手をつくことで、今にも倒れそうになる体を支えながらも、一段一段階段を上がっていく。

 イルルナのことを、心底狂っていると思いながら。


 実のところ、ヴェルエの課題によって生じた「罰という名の実験」において、イルルナはすでにもう三人の子供をいた。


 イルルナは実験の際、殺してしまったり、肉体や魔力に深刻な後遺症を残してしまうといった、ヴェルエの取り決めを破るようなヘマは一度もやらかしていない。

 だが、先のパレアと同じように、イルルナが行なう実験は悍ましさを極めており、すでにもう三人の子供が彼女の実験に心が壊されて廃人となり、ヴェルエに〝処分〟されてしまっていた。


 取り決めそのものは破っていない上に、イルルナが後継者として最有力候補ということもあって、ヴェルエも彼女を咎めるような真似はしなかった。


(つくづく……狂ってるわね……)


 ヴェルエとイルルナは言わずもがな、物心つく前の話とはいえ、両親を殺してこんなクソみたいな地獄に叩き落とした張本人に、喜々として毒魔術を習っている子供たちも。


(まあ、でも……)


 地上階に辿り着き、階段前の廊下で待ちぼうけている銀髪の女の子――フィーリの姿を認めた途端、パレアは苦笑を浮かべながらも心の中で言葉をついだ。


(全員が全員ってわけじゃないけどね)


 こちらに気づいたフィーリが、飼い主を見つけた子犬のように、こちらに顔を向けてくる。

 次の瞬間、目尻から涙を溢れ出させながらも、勢いよく抱きついてきた。


「ちょっと……!」


 なけなしの体力を総動員して、フィーリを抱き止める。

 彼女の体格が小さくなければ、勢いをそのままに階段を転げ落ちていたところだったが、そのことを指摘して咎めるような真似はしなかった。

 というか、そんな野暮な真似はしたくなかった。


 代わりに、彼女の頭を優しく撫で繰り回しながら憎まれ口を叩く。


「バカじゃないの? あたしが戻ってくるまで待ってるなんて」

「だって……だってぇ……」


 ポロポロと涙をこぼし、ろくに反論の言葉も紡げていないフィーリに、ますます苦笑を深める。

 最早憎まれ口を叩く気すら失せたパレアは、心身ともに弱り切っているせいか、普段ならば絶対に出さないような優しい声音で言った。


「まあ、イルルナの実験の後は、いつもこんなザマだからね。心配させちゃったってわけか」


 フィーリは抱きついた体勢のまま、コクコクと首肯を返してくる。


(……ああもう。我ながら相当弱ってるわね)


 そんな言い訳をしながらも、イルルナに対しては固辞したことを、フィーリにお願いする。


「さすがに疲れたわ。フィーリ……肩、貸してちょうだい」


 途端、フィーリは勢いよく顔を上げる。

 クリッとした碧眼には、感激したかのような輝きがキラキラと煌めいた。


「うんっ!!」


 元気よく返事をした後、フィーリはすぐさまパレアの背中に手を回し、肩を貸してくれた。

 彼女の背が低いせいで、お世辞にも快適とは言えないけれど、


(イルルナなんかの肩よりは、ずっといい)


 絶対に口には出さない本音を心の中で呟きながらも、フィーリの肩を借りて歩き出す。


 そんな二人の背中を、いつの間にやら地上階まで上がっていたイルルナが見つめていた。

 彼女の象徴とも言える、柔和な笑みを消し去って。



 そんな不吉な言葉は、すでにもう廊下の角を曲がり、イルルナの視界から消えていたパレアたちに届くことはなかった。

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