第11話 こうして彼は修羅の道を歩み出した(下)

「………壮観だな。なんか、29階層までのアリより一回り大きいし。正直、誰かがここに一人で入ろうとしてたら、俺でも止めるな。」


30階層。

入った悟が目にしたものは。

巨大な蟻の巣の一部屋に、体長3メートルほどのありがズラリ10000匹。

そして、部屋の1番奥には体長5メートルほどのアリを10匹ほど従えた体長8メートルほどの女王アリ。

そして、なぜか先ほどまで存在していた扉が、部屋の中央に繋がってていたため、すでに包囲された状態である。


今日も悟は防具は簡単な革鎧しか身につけていない。

鉱石でできた鎧にしたところで、やられる時はやられると思っているからだ。

ただ、アリの側からすれば、まさに餌の方から食べやすいようにしてやってきてくれたようなものだろう。


一万のアリの威嚇。

全方位から、大音量のギシギシ音。


対する悟は。

刀を左手に持ち、

右手で左手の薬指に触れ、

深呼吸をしている。

ひたいに汗はにじんでいるが、落ち着いている。

ならば考えていることなど一つだろう。


悟はアリたちを屠るために、意志を高め続ける。

と、その時。

アリが一斉に飛びかかってきた。

始まった。

悟はスキルを発動する。

一気に1秒を20秒へ。

今の悟であれば、このくらい魔力を大して使わずに加速できるし、この加速した時の中でもかなり素早く体を動かすことができる。

今回は特に省エネでいかねばならない。

まず刀を両手で持ち、その場で1回転。

アリたちを十分に引きつけて放った一撃は、7匹ものアリの首を飛ばした。

鈍く動き回るアリたちの間を、近くのアリの首を刎ねながら駆け、蟻たちが密集している方へと向かう。

一振り。

5匹。

振り向き、もう一振り。

7匹。

その場を離脱。

移動しながら5振り。

7匹。

立ち止まり、アリを引きつける。

3振り。

22匹。


刀をなめらかな曲線で振る。

今はとにかく、アリを引きつけて刀を振る。

アリは引きつければ必ず悟に食いつこうと首を近づけてくる。

それを狙う。


だが、これは少し失敗したな、と悟は思っている。

効率よくアリを殺そうとするあまり、頭を使いすぎている。

これではそのうち、頭がショートしてしまいそうだ。

体より先に脳の限界が来る。


悟は軌道修正を図る。

一振り確殺。

刀を振る時、それはアリを屠る時。

だが、求めるのはそれだけだ。

振ったからには確実に殺す。

2,3匹まとめて殺せれば儲け物。

そういう気持ちで刀を振る。


これほどまでに大量の敵と戦ったことは、もちろん悟にはない。

実践に勝る経験なし。

悟はただ適当に刀を振っているわけではない。

そこまで熟考しているわけではないが、一振り一振り意図を持って刀を振っている。

その結果がどうだったのか、それは斬った手応えやアリの様子、自分の体の疲労度などとなって必ず帰ってくる。

一度の試行では気づけなくても、何十と刀を振るうと気付けることがある。

それが何百、何千と積み重なるのであれば。

徐々に悟の動きは洗練され、体全体が流麗な動きを見せ始める。

そうなると、悟の方も自分が成長している感覚を実感し、えも言われぬ快感に包まれる。

そして、それが好循環を生む。


紙一重で噛みついてくるアリをかわし、アリが飛び込んでくる力を利用し、最小限の力でアリの首を飛ばす。


アリの動きを予測し、刀を滑らせる。

アリは、まるで自ら首を差し出すようにして刀に向かってきて、その生命を奪われる。


前後から同時にアリが襲いかかってくる。

前方のアリと、その首を刎ねながら滑らかに入れ替わる。

振るった刀の力をそのまま利用し、回転。

刀は、後ろから襲ってきたアリが、前方から来たアリと衝突し、もたついている間に掬い上げるようにしてその首を切断する。



まるで、清流のような滑らかを維持し、斬って斬って斬り飛ばす。


このアリは、軍隊で一斉に襲いかかってくる上に、硬い殻に覆われていて、魔法への耐性がそこそこ高い。

ゆえに攻略組は手を焼いていたのだが、悟には硬い殻など関係ない。魔法耐性も関係ない。唯一関係あるのは物量のみであるが、悟のスキルはそういった相手とは相性がいい。


未だ無傷のまま、悟は数多のアリを屠り続ける。

そして、戦闘開始からおよそ15分。

スキルを使う悟の体感では、それとは比べ物にならない時間が経過している。


無数のアリの屍が辺りを埋め尽くし、生き残っているアリは女王アリとそれを守護する5メートルほどのものを除いて、数十匹となっていた。


ここで悟がアリたちに一瞬の隙をつかれる。

「……っ!っっっあ゛!くそっ!」


散らばるアリの死骸に足を取られた隙に右の脇腹に噛みつかれたのだ。


即座にそのアリの首を跳ね飛ばし、その場を離脱する。そして、すぐに傷を確認する。


「………はぁ、はぁ、セーフ、じゃないが、セーフということに、する!」


幸い、脇腹を2センチくらいえぐられただけであった。

だが、痛いものは痛い。

精彩を欠き出した悟にアリたちは猛攻を仕掛けてくる。

なんとかそれを凌いでいた悟だったが、後数匹という所で、前後左右同時にアリが襲いかかってくる。

回転斬りで一気に片付けようとした悟だったが、脇腹の痛みに硬直してしまう。


間に合わない。

悟はスキルの加速を早めることを忘れ、咄嗟に行動する。

インベントリから予備の刀を右手に取り出す。

そして4分の1回転。

2匹殺し、2匹はね飛ばす。

そして、はね飛ばした2匹の首を刎ねる。

そのまま残りのアリも片付ける。



「………インベントリ、使えるな。」

悟は気づいた。

いつもずっと2つ武器を持ったところで素人の悟が使いこなせるわけがない。

片手で盾を持つにしてもら馬鹿でかいモンスターを止められるわけでもないし、攻撃も自分でしなければならない自分の機動力を削ぐことにもなる。


だが、一瞬の場面に限れば。

どちらも有効なのではないか。


「………試してみるか。」

悟は残る5メートルのアリと女王アリを前に、新たなる着想を得た。



残り11匹。

部屋の1番奥から全く動こうとしない彼らに向かって悟は近づいていく。

後20メートル。

悟はスキルを全開にした。

1秒を42秒に。

世界で、悟のみが到達可能なスローワールド。

ここまで来ると、5メートルのアリは、実際はかなり速いのだろうが、悟には小学校低学年の子どものダッシュくらいの速さにしか見えない。

だが、悟自身も遅い。

悟の方がほんの少しアリより遅い。


その差は意志で埋める。

脇腹の痛みに加えて、全身の痛みが加わる。

だが、追いついた。追い越した。


まず一匹目の首を捉える。

しかし、力を加えるが刀は首の半ばから先へ進まない。

ここで先程得た着想を活かす。

斬り落とそうとする力をそのままに、刀から手を離す。そして小さく円を描き、反対側から戻ってくる。

アリの首まで後20センチ程。

ここで悟は予備の刀を手に出す。強く握り、斬りかかる。

合わせて二振り。

両側から半分ずつ斬られた首が落ちる。


こうなればもう後は作業である。

残り9匹の5メートルアリに計18太刀。

全ての首を落とす。


「………お前、もしかして戦えないのか?」


未だに戦おうとしない女王アリに悟はつぶやく。


「………まあ、いい。こっちだってお前の子どもに嫌と言うほど殺されかけたんだ。……じゃあな。」


悟は最後の最後で何とも言えない気持ちになったが、女王アリの首を落とした。


こうして。

時間にすれば20分と少し。

しかし、これ以上ないほどの濃密な戦闘の果てに悟は30階層のボスを撃破した。


悟が安堵の息をついていると、その時、

「パンパカパーン。

初心者迷宮のクリアおめでとう!いやー、完全に想定外だったよ。

まさかここを一人でクリアするプレイヤーがいるなんて。

しかも君、魔力適合度35だよね?あり得なくない?

こんなの、流石の僕にも予想できなかったよ。


まあ、なんにせよ、クリアおめでとう。佐藤悟君。」


よれた白衣を見に纏い、少しくたびれたような印象の男性——才持 至高がそこにいた。

史上最高の天才が場違いなクラッカーを鳴らし、ついでに口で効果音まで言って、こちらを見ていた。


「………ありがとうございます。」

悟は、言いたいことやさまざまな感情がすぐに浮かんだが、全て飲み込んで、彼と話をすることにした。


「………あれ?僕には斬りかかってこないの?」

「それで現実世界に帰れるのであればそうします。」

「そっか。残念だけど、初心者迷宮をクリアしたぐらいじゃ返してあげられないな。」

「あなたがそう言うなら無理なんでしょうね。」

「うん。でも、実は僕は君にすごく興味があってね。しばらく僕と話をしてくれたら、初心者迷宮クリアのご褒美とは別に、何か一つ叶えられる範囲で願いを叶えてあげるよ。」

「………ありがとうございます。」

「うんうん。

じゃあ、まずはさ、さっきも言ったけど君がここを一人でクリアするなんて、この僕をしても0%で考える余地はないと思っていたんだ。

というか、そもそもソロでクリアされる確率なんて、僕の予測では1%未満だったんだけどね。

それでも、ソロでクリアする可能性のあるプレイヤーとか、他にも有力なプレイヤーとかをリストアップしていたんだけど、君はその中に一度も入ったことがない。


魔力適合度はほぼ平均。

IQは平均よりそこそこいいぐらい。

学力もそこそこ高いようだけど、まだまだ上はいる。

身体能力はこのゲーム開始時では平均より少し下。

性格は決して外交的とは言えず、典型的な日本人のように内向的。

社会的地位も一般的。

その他、家族構成とかこれまでの経歴とか諸々が一般的。

唯一ある特記事項が、大学2年生になってネット小説にはまり、約2年半で文庫本2000冊分読破って、流石にそれは読みすぎでしょ。

もしかしてこの迷宮をソロ攻略できた理由は、ネット小説を読みまくっていたからってこと?

だとしたら笑えてくるな。僕が一生懸命作ったこの迷宮は、ネット小説に負けたってことになるよね?


とまあ、長々と語ってはみたんだけど、僕が1番君に聞きたいことはただ一つ。

君はなぜこの迷宮をクリアできたんだ?

君が、他の人と違ってここをクリアできたのはなぜなんだ?

僕はそれが知りたくてたまらないんだ。」


「他のプレイヤーのことなんか全然知らないのに、分かるわけないじゃないですか。」

「………確かにそうだね。じゃあ、聞き方を変えよう。他のプレイヤーのこととかは、全く考えなくていい。

君の、この迷宮を一人でクリアしてしまうほどの力の根源は何なんだ?頭脳か?スキルか?運か?それとも他の何かなのか?」

「………、現実世界に帰りたいと願う思いですね。」

「……そんなの、みんな同じじゃないか。」

「それはそうでしょう。ただ、私はこれまで、私以上に強く帰りたいと願う人を見たことがない。

もちろん、私が知らないだけで他にもいるかもしれませんが。」

「……なるほどね。じゃあ、何でそんなに現実世界に帰りたいの?」

「私の半身とも言うべき妻と息子、そしてそろそろ生まれたであろう娘がいるからです。

あそこには私の幸せしかない。だから、帰りたいんですよ。」

「……そうか、そうだったのか。君の家族のことは調べたから知ってたけど、家族への愛なんて、どこにでもあるものでしかなかったから気づけなかったよ。それを数値化するのも難しいしね。


(……でも、それだけの理由で他の数多の有力なプレイヤーに勝る結果を出すとは。いや、違うか。彼の大学時代からの趣味や、性格、選んだスキル、その他諸々の要素が組み合わさってこの現状をつくり出しているのか。


……だとしても、それは他のプレイヤーも個人差はあれど持っているものだ。つまり、彼は——この世界のありふれたプレイヤーの一人でしかない、はずだ。他のプレイヤーが彼のようになり得る可能性は十分にある。

しかし現状、彼は次なる人類に最も近いと言えるだろう。


ということは、だ。

今の、この世界をクリアするまで全員ログアウト不可能、この世界での死は現実世界での死と同義、外からの助けは皆無という状況下において、この世界を攻略させることは、

彼のように、次なる人類になり得るプレイヤーを量産できるということだ。)


ということは、君のような存在を生み出すためにも、ログアウト不可能という状況はやはり必要だったというわけだ。


まあ、それはいいとして、ちゃんと僕の質問に答えてくれてありがとう。久しぶりに人と話してて嫌にならなかったよ。」


「……言っておきますけど、私があなたの質問に答えたのは、あなたが話をすれば願いを叶えてくれると言ったからですよ。

そうでなければ、現在私を苦しめている張本人のあなたに、話す訳ないじゃないですか。」


「そうだとしてもだよ。僕ほどになるとね、普段会話をする相手は、世界的な企業の社長や国の大物政治家とかか、〜の権威とか言われる科学者とかばっかになるんだよ。

前者は必ず僕に利益を求め、後者は僕の崇拝者か、僕を嫌う者かなんだ。正直言って、うんざりだよ。


でも、君はそうじゃない。こうやって顔を突き合わせて話をしても、確かにそれは願いを叶えてもらうためでも、それは僕から言ったことだし、君が話してくれた言葉は、利益を得るために僕にこびへつらったものではなかった。」


「はあ、そうですか。」


「うん。とても有意義な時間だったよ。……さてと、じゃあそろそろ報酬の話をしようか。

まずは、初心者迷宮クリアの報酬だね。ズバリ、スキルだよ。これについては、後で選択肢が提示されるから、その中から一つ選んで欲しい。

そして、願いを一つ聞くと言ったことについてだ。何か思い付いたかい?」



問われた悟はじっと、才持を見つめる。

見つめながら、スキルを発動し、時間を引き伸ばして熟考する。

才持はにこやかな笑みを浮かべてこちらを見ている。


悟には、以前から疑問に思っていたことがある。

ただ、この疑問は、悟の予想では十中八九悟の考えと変わらないはずである。

それでも、この機会に聞いておかねばならない。


それと同時に、予想が当たるのであれば、叶えて欲しいことがある。

それは、悟のためでも、他のプレイヤーのためでもある。



つまり2つだ。

だが、提示されたのは1つだ。

才持がそう言った以上、それより多くを叶えることは無理だろう。

考えて考えて、悩んで悩んで、取捨選択をする。覚悟を決める。

これが悟の、嘘偽りなき願いであり、選択である。



「………叶えてもらう願いを2つにする、というのは?」

「………おっと。笑った方が良かったかい?本気で言っているなら、それは無理だと言っておくことにするよ。」

「では、初心者迷宮攻略の報酬のスキルはいらないと言ったら?」

「………おもしろいじゃないか。やはり君は、どこか他とちがっているのかもしれないね。……願いの内容によるね。どんな願いをするつもりなんだい?」


「1つ質問と、1つ叶えてほしいことがあります。」

「何を叶えてほしい?」

「私が初心者迷宮を攻略したことを他のプレイヤー全員が分からないようにしていただきたい。

ここに散らばる素材も、インベントリで全て持ち帰る予定でしたが、必要であればそれもやめます。」


「………スキルを捨て、迷宮攻略の栄誉も捨て、一体何がしたい?………ああ、そうか、なるほどね。うーん、君という人間が少しだけわかった気がするよ。根が謙虚で控えめ、自己肯定感があまり高くなく、身の程を知っているんだろうね。けれど、そんな本来の自分と一線を引いてでも、何としても家族の元へ帰りたい。現実世界への帰還だけは、どうしても他人任せにできない、と言ったところか。


……何を驚いている?僕は史上最高の天才だぞ?

君から話を直接聞いた今、そのくらい分かるに決まってるじゃないか。

一応、聞こうじゃないか。嘘偽りなく答えることを約束しよう。君の質問は何だ?」



悟はたいそう驚いていた。

この短い会話の中で、まるで悟の脳内が覗かれているかのように悟の思いや考え、そして悟がしようとしている質問の内容まで完全に理解しているようだ。


しかし、これは自分が望んだことでもある。

悟にとって、この質問はとてつもなく重要な意味を持つ。

これから先は、常にこの答えと向き合わなければならないからだ。

強い意志を瞳に宿らせ、聞く。


「この世界をクリアするために、攻略しなければならない迷宮の数は?」


才持はいつぞやのいたずらっ子のような笑みを浮かべ、両手を大きく横に開き、即答する。


「100だ。全100階層の迷宮が100個。本来、初心者迷宮がクリアされれば99の迷宮がこの世界に出現する。そして、99個の迷宮を全て踏破すれば100個の迷宮が現れる。」


「……100、ですか。それも、100階層が。」

「そうだ。君はどんなふうに予想していた?」

「……100階層が10。多くて30くらいだと予想していました。」

「はははっ。驚いてもらえて何よりだよ。僕からすれば、世間は史上最高の天才だの何だの騒いでいるけど、まだみんな過小評価しているね。

……この世界は、僕の本気。僕の全てを賭けている。君も存分に思い知るといい。史上最高の天才の本気ってやつを。」



悟は天を仰いだ。

予想を遥かに超える数の迷宮。

騙し合い、殺し合いが横行する攻略組。

彼らにこの事実を伝えたところで、どうなるか分かったものではないし、確実に自分も騙し合い、殺し合いに巻き込まれることになる。

彼らだけに攻略を任せることなんて到底できるはずもない。

が、そんな彼らでもいつか、騙し合い、殺し合いの果てに一致団結する日が来るかもしれない。


悟が初心者迷宮の攻略の隠蔽を願ったのは、そのことも考えたからである。

現状、攻略組は1年半以上経過して尚、30階層しかない初心者迷宮すらクリアできていない。

であれは、厳しさを増すことが予想される100の迷宮の1つをクリアすることができるのは、一体いつになるのか?

5年後か?10年後か?それ以上か?

分からない。

分からないが、絶対に早くなるわけがない。

ならば、悟が、俺が、攻略し尽くしてやる。


そう思うと同時に。

もしも彼ら攻略組が一致団結するならば。

彼らには、自分より優れた能力の持ち主は大勢いるだろう。

彼らには、自分より魔力適合度が高い者も大勢いるだろう。

彼らには、自分にはないカリスマ性を持った者も大勢いるだろう。

ゆえに力を合わせれば、たとえ数年の遅れがあろうとも、確実に悟より早いペースで100の迷宮を攻略し尽くすことができるはずだ。

そうなってくれて問題ない。

むしろそうであってほしい。

そういった思いも、己の身の程を知る悟は持っているのである。


この先の展望として。

悟の予想では、初心者迷宮をクリアすると初心者迷宮が崩壊し、その場に新たに100の迷宮の1つが現れる。

そうでなくとも、安全地帯より遥か遠くを囲む美しく険しい山脈の内側のどこかには現れるだろう。


ただ、100個全てがその中に存在するとは悟は思わない。

今は安全地帯の中心部に存在するこの迷宮に気を取られ、気にしている者はほぼいないが、あの山脈の向こう側。

自分の想像を遥かに超越する才持が、正真正銘、己の本気と言ったこの世界。

そんな世界が、あの山脈の内側だけで完結しているのか?

あり得ない。

億に一つもあり得ない。

あるはずだ。

絶対に山脈の向こう側にも世界が存在する。


迷宮が99個出現して。

山脈の内側に出現した迷宮については、彼ら攻略組に託そう。

俺は、山脈を超えた先。

そこにある迷宮を片っ端から片付けていこう。

いつの日か攻略組が、彼らに託された迷宮を制し、外の迷宮に挑み始めるまで。

俺が外の迷宮全てを請け負ってやる。

例え彼らが託された迷宮ですら超えられなくても構わない。

それなら俺が全てやってやる。



これが悟が描く展望である。

初心者迷宮攻略を隠し、自分が影に徹するのも、それで現実世界に帰れるのであれば一向に構わない。

ただ、帰れないことだけは、絶対に認められない。

そのため、どちらに転んでも良いこの方法を悟は選んだ。

もっといい方法があるかもしれない。

だが、悟は考えに考え、悩んで、これが最善だと判断した。



ただ、それは出現する迷宮が多くて30くらいだと考えてのことである。

だが現実は100。

攻略組が奇跡的に後3年ほどで一致団結したとしても、どうか。

これまで悟は、自分はかなり追い込んで鍛えてきたと思っていた。

だが、おそらくそれでは届かないだろう。


諦めるしかないのか。

あの幸せな時を?

最愛の家族を?

己の半身である心愛を?


もはや癖となった左手薬指に触れる。


いや、それだけはできない。

できないんだ。

それが己の骨子であり、変えようのないものなんだ。

じゃあ。

どうするか。

もっと洗練するしかない。

己を。

己を殺す気で洗練しながら進むしかない。

超えてやる、どんな壁であれ、絶対に超えてやる。



天を仰いでいた悟は静かに息を吐き、才持に視線を合わせる。

才持は全身が粟立つ。

かつて、これほど強い意志を持って見つめられた経験など、皆無だからだ。


「……ならば、あなたからすれば大したことないかもしれませんが、あなたにも味わっていただきましょうか。一人の人間の、佐藤悟の、正真正銘の本気ってやつを。」


「……ふふっ。どうやら僕は人を見る目がないようだ。……君の願いを受け入れよう。少し手間だが、他のプレイヤーがここをクリアするまでは、ここの迷宮はそのままに。そしてその他の迷宮については君にしか出現した迷宮は見えないようにしておこう。


ついでに大サービス。全プレイヤー共通で、これから出現する100の迷宮をクリアした時、その初回に限り、30分間現実世界の誰とでも通信することができるようになってるよ。

本当に、1回限定、なんだけどね。」


「……教えていただき、ありがとうございます。」


「今は気分がいいからね、どういたしまして。

じゃあ、またいずれどこかで会おう!」


才持はそういうと、その場から消えた。


「………行くか。」


悟はいつのまにか現れた漆黒の扉へと向かう。

おそらくこれをくぐれば、外に出られるのだろう。




今日、悟がこの迷宮をクリアして得たもの。

それは現実世界までの確かな道しるべ。

そして、さらなる意志。


この日から、悟はこの世界において、文字通り死ぬ気で、魔力頼りな鍛錬を重ねることとなる。

そして己の全てを賭け、独り修羅の道へと足を踏み入れる。


迷宮の外は今日もため息が出るほどの快晴。

迷宮内の騙し合い、殺し合いとは全く似合わない、これこそ「Beautiful Catastrophe Online 」だと言わんばかりの空模様と人間模様であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る