第5話 ここでの日常

「きりーつ。気をつけ。これで6時間目の授業を終わります。ありがとうございました。」

「「「ありがとうございました。」」」

「はい、ありがとうございました。じゃあ、急いで帰りの会の準備をしてください。」

「「「はーい。」」」



 あの日から半年後。

 悟は自分のクラスの子どもたちに対して、この部分の声だけを聞くと、普通に授業を行っていた。



 ただ、実際にその様子を見れば普通でないことはすぐに分かる。

 まず、授業が行われている場所である。そこは色々な人が思い浮かべる想像通りの教室などではなく、いくつかの木の柱に立ってつけたように木の屋根が乗せられただけの場所である。



 この世界には現実世界と同じように太陽も有れば、夜もあり、そしてたまに雨も降る。



 いくらスキルで建築や加工などの生産系スキルを得た人がいるとは言え、何しろ100万人が生活していけるようにしなければならないのである。



 100万人が暮らせるだけの住居を作らねばならないため、学校の設備にまで手が回らず、黒板などはまだ配備されていないため、悟は大きく美しい石を黒板代わりにして、誰かがどこらから持ってきた石灰石のようなものを使い、字を書いていた。



 そして子どもたちは、自分たちで木を加工して作った机と椅子に座って、これまた誰かが作った紙と鉛筆で、授業を受けている。

 紙と筆記用具の必要性は高く、割と早くに作られたのがせめてもの救いである。



 また教科書がないため、悟たち日本の教師はそれぞれが協力し合いながらこれまでの経験をフル活用して国語や算数を中心とした授業を展開している。



 ある程度教師自身に教育課程が委ねられるため、悟はできる範囲で社会や理科、音楽などの教科を行なっている。



 しかし、外国語に関しては授業をやめた。

 それはこの世界において、常に自動翻訳がなされてあるからであり、そういった技術が100万人単位で利用できると分かった以上、あまりにも教えるのがばかばかしくなったためである。



 他にも例えば理科の生物の生態系の部分などでは、アリなどの生物がどれだけ探しても見つからなかったり、実験に必要な道具がなかったりと、この世界では授業することができない内容も多々ある。



 よって、その穴を埋めるように増えているのが、体育という名の戦闘訓練である。

 未だこの世界の攻略の目処は立たない。

 さらに言えば、今悟たちがいる場所に今後永久にモンスターが襲ってこないとも限らない。



 そのため、例え現在は子どもであっても最低限戦えるようにする必要があると、世界中の立場の高い教育者の見解が一致し、基礎体力を鍛える運動や、簡単な組み手などを行わせているのだ。



 これに関しては、悟たち教師も当然知らない内容であり、たまに空手や柔道などの指導者に指導に来ていただいたり、教師自身が指導を受け、それをもとに手探りながらも授業を展開している。



 そしてこの体育とも関連してくるのが、全く新しい教科の「スキル学習」である。

 これはプレイヤー全員が最初に選択したスキルの使い方を模索するとともに、そこ子が習得したスキルを成長させていくことが目的である。

 これに関しても、悟たち教師が知らないことであるが、それはプレイヤー全員にも言えることなので、各教師の裁量に任せられている。




-------▽-------




 帰りの会を終え、悟は子どもたちと共に生活している建物へと戻る。建物は学生寮のような作りになっていて、部屋は4人1組であり、トイレや風呂は男女で分かれているが、共用である。

 しかし、悟は教師ということで、流石に子どもと同じ部屋というのはためらわれたため、数少ない1人部屋を使用している。



 ちなみに現在の建物に食堂はあるが、料理は出ない。毎食配給をもらって生活しているのだか、では食事はどうなっているかというと、大きく分けて2つの種類に分けられる。



 一つは、生産系スキル保持者による生産である。

 栽培や、農耕、牧畜、植物育成といったスキルによって、どこからともなく種や牛や豚などの赤ちゃんを生み出し、それを育て、食料を生み出すのである。

 何も全員が最初のスキル選択で、戦闘に関連するスキルを取得したわけではない。


この世界での死=現実世界での死 


という恐怖から、モンスターとは戦いたくないと思った人や、自分はモンスターと戦う人を支える立場に回るのだという決意を持って生産系スキルを取得した人も大勢いるのだ。



 ただ、スキルの力で収穫スパンを現実世界より早めることに成功しているとはいえ、まだまだ家畜や果物などは収穫まで至っておらず、これだけでは100万人全てを養うことは到底不可能である。



 そしてもう一つがモンスターを倒してそれを火魔法などで調理し、食べるというものだ。

 悟たち全てのプレイヤーは中心に初心者迷宮が存在する、半径30キロメートルほどの安全地帯と呼ばれる場所に転送された。

 そこでは現在モンスターは入ってこれないことが確認されているが、そこから出れば、モンスターは普通にいるし、初心者迷宮にも存在する。


“モンスターは食べることができるのか?”


 食糧生産が需要に追いついていない今、この問いは一つの大きな問題であった。

 モンスターを食べて死んでは元も子もないからである。

 しかし、この問いに一つの答えを出したのが、ヨーロッパ出身の世界的に有名なシェフである。


「食べず嫌いは良くない。モンスターについてもそれは同じだ。」


 彼がモンスターを初めて観衆の前で食べた時、口にしたとされる迷言である。

 余談であるが、彼のスキルは毒耐性であり、もし食べてはダメだったとしても、まあ何とかなるだろうと彼は楽観していた。

 それはさておき、彼の功績もあって、今ではプレイヤーが狩ったモンスターは、持って帰られ、立派な食糧となっている。




「では、いただきます。」

「「「いただきます。」」」

 夕食の時間になると、悟は子どもたちと一緒に、食堂で配給された食料を食べる。




「…………」

 がやがやと子どもたちが話しながら食べる中、悟はこの世界に閉じ込められてから、今日までの日々を思い出していた。



 この世界で初めて目を開け、悟の目に飛び込んできたもの。



口々に騒ぎ立てる人々。

悲しみに暮れ、涙を流す人々。

呆然と、ひきつった笑みを浮かべる人々。

何かを決意したような表情の人々。



 そして、そんな人々の様子を嘲笑うかのように、

 ただ、ひたすらに美しい青の空。

 ただ、ひたすらに美しい緑の草原。

 そこに点在する澄みきった、湖や川。

 それらを囲む、雄大な巨木により構成された森。

 そして、遥か彼方に見える、全てを囲み、天を突くような、険しくも美しい山嶺であった。



 あたりには、心地よいそよ風が吹いていた。

 悟は、辺りをぐるりと見渡した。

 よくわからない感情が込み上げてくるのを悟は自覚したが、周囲の恐怖を隠しきれていない子ども達の姿が目に入った。

 悟は、なぜ自分がこの場にいるのかを思い出し、行動を開始した。 



 それからは、まさに激動の日々であった。

 悟たちが、寝る場所や食べ物の確保など、その日を生きるために奮闘している中、世界各国の有力者達は、この世界における一応の統治機構『100万同盟』を組織した。

 そして、『100万同盟』は、これからどうしていくかを協議し、必要不可欠な物の生産や、周辺環境の調査、決まりの作成、様々な情報の収集などを行い、徐々に人々のこの世界における生活のスタイルを確立させていった。



 その結果、悟たち世界中の教師と子どもたちは安全地帯の外周と中心のおよそ中間地点で暮らすことになり、そこに移住し、木を切り、机や椅子を作ったりなどして、3ヶ月ほど前になってようやく授業が開始されたのである。



 悟は、確実に今までの人生で1番大変であったと考える。

 充実していたようにも思えるが、悟の中では、抑えられない焦燥が常にじりじりと燻っていた。



「せんせ、ごちそうさましないの?」

 したったらずな口調で、独特な感性を持つことで有名な小動物系男子 日吉 天丸(ひよし てんまる)が聞いてきた。



「………、ああ、すまない、じゃあ、ごちそうさま」

「「「ごちそうさまでした」」」



 気づけば、自分も含めて全員が食べ終わっていたようだ。

 悟が部屋に戻ろうと歩き出した時、またもや天丸が話しかけてきた。



「せんせ、大丈夫?」

「何がだ?」

「最近のせんせ、前よりなんか赤黒くなってる。」

「それはどういうことなんだ?」

「わかんないけど、きっと良くない」

「…………、そうか、ありがとう。気をつけるよ。」



 そう言って悟が会話を閉めようとした時、凛とした女の子の声が会話に割って入ってきた。



「先生、天丸君が言っていることは、私なりに解釈すると、先生が以前よりピリピリとしていると言いたいんだと思います。」



 塾に通い、クラス1どころか全国模試で常に3位以内を確保する超天才の女の子 青葉 小雪(あおば こゆき)である。



「そうか、色々なことがあったからな。すまない、気をつけるよ。」

「みんな心配してますよ。先生がこの世界に来てから一回もボケてないって。」

「………、ああ、そういえばそうかもな。最近全然思いつかないんだよな。」

「先生、もしよければ私たちが話を聞きますよ。こんな癖の強い私たちをまとめてくれた先生に、私たちは、本当に先生に感謝しているんです。」

「…………、ああ、ありがとう。その時が来たら頼らせてもらうよ。じゃあ、おやすみ。」

「…………、おやすみなさい。」



 悟は上手く隠しているつもりであったが、子どもたちは敏感に悟の変化を感じ取っている。

 そう、悟は幸せの絶頂から転落し、絶好調ではなくなったのだ。

 悟は、この世界に来てから一度もボケを発していない。





-------▽-------




 満天の星空が輝く夜。

 子どもたちが各自、部屋の中で過ごす中、悟は部屋を抜け出す。



 ここまで明るければ、街灯などは必要ない。

 悟は、星空に照らされ、水滴を鈍く輝かせながらざわめく草原を走り出す。



 悟は運動神経がいい方だった。

 高校まではサッカー部に所属し、部活に明け暮れていた。

 しかし、大学に入った後は、サッカーから遠ざかり、運動もほとんどしてこなかったため、体力は年齢の割に低い方になってしまっていた。



 まずは、高校生の頃、自分が一番動けた頃に体を戻す。どうせ、くたくたにならなければ、焦燥で眠れやしないのだ。

 悟は、その想いのもと、ペースを徐々に上げる。

 そして気づけばそれは全力疾走へと変わっていた。



 悟はなんとなくで、筋肉の破壊と超回復の原理を理解している。

 自分の限界を超え、筋肉を破壊し、超回復を促す。これを繰り返すことで肉体の限界を更新していく。

 それをさらに、モンスターを食べて得た魔力に補助させる。

は本当にそんなことが可能なのかは分からないが、魔力が万能で、意思により変化するのならば、可能であると悟は信じる。そうやって信じることが大切なのだと信じる。



 そして、その悟の考えに魔力は呼応してくれる。

 半年前から始めたこのランニングにより、悟は、周りに誰もいないため気づいていないが、現在、高校時代の体力などとうに超え、現実世界の人類最高レベルくらいの持久力と、瞬発力を手に入れていた。



「流石に、もう、無理、だ」

 限界まで全力疾走した悟は草原にぶっ倒れた。

 荒い呼吸を繰り返し、その後しばらく何も考えずに星空を眺めていると、不意に心愛の笑顔を思い出す。



 悟は込み上げてくるものを無理矢理抑え込み、持ってきていた木刀を手に持つと、それを振り回し始めた。

 これもまた、全力で動き続ける。

 さらに、これをする時はスキルも発動する。


「加速(アクセラレーション)」


 これが悟がチュートリアルの最後に選んだスキルである。



 当然、選んだのは悟だけでなく、他にも何人か選んだ人がいると耳にしたことがある。

 発動の仕方は人それぞれだが、効果としては魔力が続く間、体全体を加速させ、早く動くことができるというものだ。

 魔力を注ぎ込む量をイメージして、加速の度合いを変えることもできるようだ。



しかし、悟の加速は少し違う。

悟は自分の思考と認識のみを「加速」させるのだ。



 悟は、才持の言った"魔力は万能で、意志により変化する"という言葉を重く捉えている。

 人類史上最高の天才が、なんらかの実験や経験をもって、あの時、あの場面で言った言葉なのだ。

 ならば、そのことを常に念頭に置いておく必要があるはずだ。



 悟は「加速」をこう捉えている。

 体全体を加速させるだけでなく、その一部を加速させることももちろんできる。

 そして、一部に集中して加速させることで、その効果は高まる。

 さらに、思考や認識といった、意志と関係が深い部分を加速させるため、このスキルは鍛えればどこまででも成長していく。

 付け加えるならば、加速させていない部分は魔力を用いた超回復により、加速させずとも元来の人類の限界を超え徐々に速く、強くなっていくはずである。

と。



「…………」

 悟は加速した時間の中で体を動かす。

 遅々として思考についてこない体を、意志により強引に、早く、そして滑らかさを意識して動かす。

 当然、体は悲鳴を上げる。

 だが、かまうものか。

 痛いのは、限界を超えているからである。

 痛いのは、成長している証である。

 悟は元々、痛いのは人より嫌いであったが、今はそんなことに構っている時ではないのだ。



「ハァ、ハァ、ハァ、今度こ、そ、本当、に、もう、無理、だ」



 悟は似たような言葉を吐いて、再びぶっ倒れた。

 すさまじい疲労感と痛みだ。

 これで、寝て起きれば、超回復が済んでいて、自分は大きく成長しているはずである。

 普通そんなことは、あり得ないのだが、魔力の補助もあるし、まあ、なるとかなるだろう。

 魔力は万能なので、悟はそう思い込むことにする。



 悟は雨の気配もないので、そのまま草原で寝ることにした。

 まあ、雨が降りそうでも、動けそうにないので、このままなのだが。



 こうして、悟は一日を終える。

 そして次の日の早朝、目を覚まし、収まりきってない筋肉痛を抱えたまま、汗を流し、朝食に向かう。



 これが現在の悟のここでの日常である。

 これほどに疲れて眠っても、次の日もまた、依然として、悟の中に焦燥は居座っている。



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