night moment

①静かな湖畔の森の影から

②タルタル

③締結


 知らぬ間に眠っていたようだった。起きると電灯の点いていない道が続いていた。さっき目を開けていた時は、街の外れではあったが、まだ光があったように記憶している。街の光も一切見つけられないことを考えると大分長い時間、深く眠ってしまったようだった。


「寝ちゃってた、すいません」

「大丈夫です。むしろ安心です」


 佐竹さんは僕を少し見てゆっくり微笑んだ。僕は『安心』の意味が分からないまま、曖昧にはにかんでおいた。


 四つの窓は三割開けられていて、そこから森や水のにおいが滑り込んでくる。右手には静まり返った水が広がり、左手には森が広がる。どれも嗅ぎ慣れない種類のにおいで、ここが自分の『所属している』場所ではないことを実感した。窓を開けても暑いことに変わりはない。しかし風が吹き込んでくるだけ幾分マシとも言えた。


「次の街で宿を取ります。いいところには泊まれません。例のごとく」

「存じ上げております」


 道は舗装されておらず、車は小刻みに揺れる。そのたびにルームミラーについたお守りが揺れる。海外旅行に車で来たわけではない。レンタカーをこの国で借りて、佐竹さんがいの一番にしたことが『お守りをつける』という行為だったのだ。僕だったらまずしない。僕と佐竹さんとの間の違いが世代性によるものなのか、人間性によるものなのかは分からない。


 佐竹さんは僕より10歳ぐらい歳上なのだが、20も30も歳上であるかのような安心感がある。佐竹さんと二人の旅路は心強い。


「灯りが見えてきました」

「街ですか」

「いや、それにしてはほんのりとした灯りですね」


 目の前に橙色の灯りが見えてきただけではなく、音も少しずつ大きくなってきた。宿のテレビで聴いた曲だ。野太い笑い声も聞こえる。進んでいくと人が見えるようになった。人数は20人弱と言ったところだ。全員が男で、半分の男は踊り、半分の男は肉を食べている。ランタンが中央にいくつかおいてあり、それが橙色の光の根源であることが分かった。


「この国に来たのは初めてではありませんが、このような集団には初めて出会いました」

「幸運ですね」


 人々は輝いていた。光が腰や頭につけられた装飾に反射して瞬くからだ。その装飾の多くはチェーンだった。踊りの乱暴さから見るに、民族集団というよりは、地元のやんちゃな若者の集まりのようだった。彼らはしばらくの間好きに踊りあっていたが、一番背の低い男が合図すると、ピタリと動きを止めた。背の低い男は、腰にチェーンを3重に巻き付けた男に合図をした。すると彼は、僕たちの車に向かってくる。


「バックするべきではないんですか」

「少し話を聞きましょう。地元住民との交流は大切ですよ」


 腰に3重にチェーンを巻き付けた男は運転席の窓を叩いた。佐竹さんは運転席の窓を7割開ける。僕は檻が全て消滅した動物園にいるみたいな気持ちだった。身体はすっかり強張っていた。


「踊り、見ていたな」

「随分流暢に私たちの言葉を話すことができるんですね」

「金を置いていけ」

「夜遊びは親への反抗ですか。老けるから止めた方がいいですよ」

「置いていけ」

「今手持ちがないんです。いいお酒なら持っているのですが」


 彼は佐竹さんを睨みつけながら下がり、仲間と話し合った。やがて彼らが互いに頷き合うのが見て取れた。


「酒を見てから決める」


 いざこざを切り抜けられるというのに、僕は酒を失うことに納得がいかなかった。この国に来てから買った地元で人気という酒の種類で、その中でも特に値の張るものだった。街についてからチビチビ飲もう、という話をしていたのだ。これならなけなしの金を渡し、街で酒を売った方がマシだ。


「いいだろう」

「素敵な踊りでした。皆さんで分けて飲んで頂けるなら僥倖です」


 男と佐竹さんは固い握手をした。仲間と僕らを結びつけていた男は首を捻った。『ギョウコウ』について考えていたのだろう。佐竹さんは車の窓を全部閉めて、慎重に走り出した。若者集団は車を避ける。もう誰も僕たちの方を見てはいなかった。酒を取り合って今にも争いが始まろうとしていたからだ。


「彼らが酒を持ち合わせていなかったのは幸いでした」

「そうですね。ですが、今日の飲み会は寂しくなりそうですね。酒場に行けるほどのお金もないし。つまみの缶詰だけは山ほど買ってあるので、酒は想像で補いましょう。僕らの旅はもはや、酒が主目的になっていると言っても過言ではないのに」

「僕がそんなに愚かに見えますか」


 佐竹さんはそう言って、僕が座る後部座席の下を指さした。


「そこに1Lのペットボトル」

「ありました」


 丁度僕の左足の後ろにペットボトルが置いてある。水のラベルが貼ってあるが、ほんのりと黄に色付いている。


「さっきの若者たちに渡した酒は原液ではありません。八割は水です。蓋を開けられていたらバレていただろうと思います」


 しばらく唖然としていたが、何をしたかが分かり、笑いが止まらなくなる。


「今までに遭遇したことがなくてもね、ここが治安が悪いことは、分かっていたんですよ」

「こういうことを佐竹さんにされると、一人旅しなくてよかったと本当に思いますよ」

「そうですね、海外のルールに慣れるまでは、僕と一緒にいるのもよいでしょう」


 佐竹さんはそれきりで喋るのを止めた。引いていた眠気が寄せて来て、ふくろうの鳴き声と森のざわめきをBGMにして僕は眠った。旅は続く。

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ワンライ おかお @okao

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