「よかったですね」 お題:紫煙 、オンボロ、伝令


 指示を待つ。指示があったら隣の家へ駆けて行き、手紙をポストの中に入れる。それだけの仕事だ。ぼろの空き家から隣の家に駆けていくまでに、銃弾が飛んでくるわけでも、包丁で貫かれるわけでもない。「指示があったら駆けていけ」というのが、依頼の中身だった。


 登録制のなんでも屋、的な仕事をしている。給料が良いから。


 身元調査はしっかり行われたし、面接の内容もちゃんとしている。面接官はちゃんとしたスーツを着ていた。裏地が花柄、なんてことはない(面接官はわざわざ僕に裏地を見せてくれた)。僕もちゃんとしたスーツを着て面接に行った。ちゃんとしたなんでも屋に勤めている、ということが分かるのではないかと思う。


 ちゃんとしたなんでも屋なので、仕事の時にはネクタイを締めていくことが求められている。僕は就活の時のリクルートスーツを着る。ネクタイはぱっとしない黄だ。半袖のYシャツは許可されているものの、ネクタイだけは義務化されている。しかし、依頼に行ってしまえば“ホワイトカラー”の労働者たちには見えないものだ。



 大体の依頼は一人でこなせるものだが、二人組、三人組で働くこともある。過度な癒着を防ぐため、組む相手は毎回変わる。今日は二人組だ。


 バディになった人(見かけから年上だと分かるので『先輩』と呼ぶ)はよく喋る。疲れれば疲れるほど、その傾向は顕著になる。


「一人の人間としばらく一緒にいると、相手の言葉や仕草が砕けてくる瞬間がある。その一点を通り過ぎたかどうかを見分けることができれば、なんだってできるんだ。俺はそうやって、男も女も落としてきた」

「僕はその一点をもう通り過ぎていますか」

「俺の中の一点は、多分もう通り過ぎているんだ。でも君は仕草や言葉がとても慎重で、ミスがないから、通り過ぎているようには見えないな。どこかで俺のことを疑っているのかもしれない」


 僕が返事をしないから先輩は黙った。次に話すことを考えているのだろう。話はとうに尽きていた。


 無線はずっと息を潜めている。合図が来たら飛び出せる、という状態がずっと続いている。僕らはもう三日もまともな食事にありつけていない。潜伏と言われて潜伏するなら分かる。バランス栄養食と缶詰に一か月頼り切りになることもできる。だが今回は手紙をポストに入れるだけの簡単な仕事だ。仕事の完遂までにかかる推定時間は約12時間だと通告されていた。


 今の時間は僕が駆けていく係で、先輩は僕が駆けて手紙を入れたことを確認する係だ。3時間おきに見張りと休憩を交代する。布が破れたソファに横になる。テーブルクロスを毛布代わりにしている。夜も眠ることはできないので、このタイミングで寝るのが良い、ということになっているが、先輩曰く「奨励はしない」とのことだ。無線が鳴った時、休憩していた人が駆けだすことにしたからだ。これにもちゃんと理由がある。「見張りが休憩を起こして、それから駆けだすとする。そのとき休憩が、ちゃんと目覚めているという保証はどこにあるんだ?目が空いてるだけで、動いてるものは何も見ていないかもしれない」とのことだ。これは出会ってすぐに決めたルールではない。出会ってすぐにルールを決めていたら、先輩はルールにこんな説明軟化加えていないだろう。僕らは半日で帰れるつもりでいたのだ。最初は僕が駆けだす係、先輩が確認する係で固定だった。


 食料・下着は一週間分渡されている。先輩は双眼鏡を覗き、それに飽きるとタバコを吸い、それにも飽きると双眼鏡を覗いた。目に貼りつくような赤いネクタイを緩めたり、きつくしたりしている。半袖の白いYシャツは更に短くするためにまくられていて、左肩には入れ墨が入っている。僕はそんな先輩を眺めながらタバコを吸っていた。部屋の中は元々の黴臭さを覆い隠すようなヤニ臭さで充ちていた。それに今や汗臭さが上乗せされている。この依頼が夏に来ていたらと思うとぞっとする。


 こんな具合では、時給が1000円を切ってしまうかもしれない。割が良いから選んだ仕事だ、これが続くようなら転職も考えるべきだった。スマホの電卓機能で時給を計算しようとしたが、スマホが先輩の話のタネになってしまうことを考えると、タバコを吸っている方がまだマシだった。それにバッテリーのことも心配だった。


 ソファの足元には踏みつぶされたタバコの吸い殻が小さな山を築いている。僕は左手で灰を地面に落とす。紫煙を肺に取り入れることにも飽きてしまったのでそのままタバコも床に落とし、起き上がって左足で火を消した。

 

 普段はこんなにタバコなんか吸わない。彼女が嫌がるからだ。不安定な職業に就き、約束をすっぽかすこともままある僕に、彼女は今のところ愛想をつかさずにいてくれている。でもこのナリで会いに行ったら、さすがに見捨てられてしまうかもしれない。


「待ってるだけでお金が入って来るなら、これもいい仕事と言えるのかもしれないなぁ」

「待つのは辛いですよ。待ち合わせに五分遅刻してくる人とか、イライラしませんか」

「俺は五分遅れることで、相手より立場が上であることを示そうと試みる」


 本当にすることがない。眠りが分断されているから、何に対しても禄に集中できない。また、終わらなかった会話が宙に浮かんでいる。突然頭を高い位置に置いたから視点が定まらない。脳みその左後ろがズキズキと痛んだ。



「なんか熱くない?」


 そう言われて、左後ろ脳みそへの意識を引っぺがした。床から煙が出ている。下を向くと、右の膝下が焼けていた。僕の右膝下だった。服が溶けている。


「全然気づかなかった。熱い、熱い」


 足に火が点いていると思うと余計に熱く感じる。


「タバコの火ちゃんと消した?」

「踏んだはずなのに」


 先輩が駆けよって来る。Yシャツを脱ぎ、風を起こして火を消そうとするが調子が悪い。先輩の動きが鈍いのと、パンツがポリエステルだからだ。「ポリエステルは火に弱いのよ、テストに出るからね」という家庭科の先生の顔が、脳みその前の部分に浮かぶ。この後、先生の実体験を交えて消火方法を言っていたはずなのに、一切記憶が戻ってこない。半分眠りながら聞いていたからだ。無線が鳴らないから外には出られない。火が足を登って来る。一方で火は地を這って、木造家屋を火の海にする。


*


 その日、一つの家が焼けた。丸焦げだ。焼け跡からは一人の死体が発見された。隣の家に住んでいる住人が第一発見者だった。住人は七十歳を過ぎた老婦人だった。彼女が家で昼寝をしていた所、何かが焦げる臭いがした。杖をついてようやく外に出ると、隣の家が勢いよく焼けていた。隣の家は八年前には既に誰も住んでいなかったはずだ。とにかく老婦人は消防に電話。中にいたのはホームレスで、火の不始末が原因なのではないか、と見られている。

 ここからは余談なのだが、彼女は消防に電話した後、様子を見るために外にいた。しかし見ていても火が膨らんだり縮んだりするばかりで、彼女はその光景にすぐに飽きてしまった。その時、ポストを見ると、中には手紙が入っている。「実はそれ、旧友からの手紙だったの」と老婦人は嬉しそうに語った。




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