第69話 ララ

 ラトナ聖国現聖王であるララの二十三年における人生は孤独から始まった。

 貧困な両親の下で産まれたララは父と母に一度ずつ優しく抱かれた後、すぐさま孤児院の前に捨てられたのだ。


 とは言え、比較的豊かに見える小国ラトナでもそれは珍しい事ではない。

 孤児院には似たような子供も大勢いたし、親代わりのシスターは実の娘もかくやという愛情を注いで育ててくれた。

 生来の明るい社交的な性格を持ったララにとって、孤児院はすぐに家族となり自らの居場所となる。


 面倒見がよく誰とでも仲良くなるララは、孤児院では大人気。多くの家族に慕われ、中にはココのように性癖を拗らせる者まで現れたくらいだ。

 そして勉学と魔法の才にも恵まれた彼女は、成人である十五歳になると同時にラトナ正教司祭の地位に就く。


 これはまさに異例中の異例。

 人を惹き付ける魅力と突出した能力、それに加え当時の聖王に認められていた幸運が重なった結果と言えよう。


 その後もララの躍進は止まらない。十八歳で聖王に次ぐポストである大司教に任命され、名実共に聖国を支える中心人物となった彼女は手に入れた権力を全て聖国民のために惜しみなく使った。


 まさに順風満帆な人生。しかし彼女の人生の転機が二十一歳に訪れる。


 聖王の崩御だ。


 元々高齢であった聖王は流行り病を患うとぽっくりと逝ってしまった。そんな聖王最期の言葉がこれ。


 ――儂の後任には大司教ララを推薦する―― 


 高齢化が進み、悪い意味で硬直していた聖国の中枢をこの際に一新してより良い国に導いてくれというのが聖王たっての願いだった。


 教会の名誉職である枢機卿達からは猛反対を受けながらも、司教達と国民から圧倒的な支持を受けてララは無事聖王に就任。



 ここから彼女の人生の歯車が狂い出す――――



「はぁ、こんなに濃い一日は生まれて初めてだったかもしれません」


 ララはなんとなくこれまでの人生を振り返りながら石鹸で体を洗う。


 サンタンジェラ城のお風呂は源泉掛け流しの天然温泉だ。

 水神ラトナの恩恵……かどうかは定かでないが、ラトナ聖国には昔から温泉が良く湧き出る。街にも温泉施設は数多くあり、温泉巡りをするのがララの趣味でもあった。


 今日ハルトに救出されるまでは簡易なシャワーしか浴びせて貰えなかった事もあり、久し振りの温泉に彼女のテンションはうなぎのぼり。

 つい気が緩んで、普段なら絶対にしない独り言まで飛び出てしまう。


「ふふ、今日は激動の一日でしたものね。わたくしも久し振りの同格との戦いで即座に腕と眼球を持っていかれたものですからビックリしましたわ」

「その大怪我をビックリの一言で済ませるヴィリアンの方に私はビックリですよ」


 温泉に居るのはララとヴィリアンの二人のみ。

 いつもなら二人に加え、ココだったり大司教のメディチ、あとは【昼の姉妹団】のメンバーが加わったりするのだが、自分達を含め今は皆忙しいらしい。


「ヴィリアンがここまで重傷を負う所なんて初めて見ました。ほら見せて下さい。魔法で治しますから」

「少し鈍っていたかもしれませんわね。よーし、明日からまた鍛え直しですわぁーーー! おーほっほっほ!!」


 聖国最強の存在として相応しくない所を見せたと、気恥ずかしさを誤魔化すために高笑いするヴィリアン。


 そんなヴィリアンにララは自身の光魔法を当て治療する。


 ララの光魔法は驚くほど万能だ。回復、支援、攻撃。あらゆる特性を備えるそれは、ララが目指す聖国の未来を明るく照らしてくれる一つの光。


 おまけに苦労して発現させた特有的特性は『残留』。

 こうして一度傷口に光魔法を施せば、一週間はその回復効果が持続し続ける便利な代物だ。


 ヴィリアンは自身の傷口を見て物悲しい顔をする親友に慈愛の表情を向ける。


「それにしても、あの小さかったララがこんなに大きくなって、おまけに聖王にまでなってしまうとは時の流れとは恐ろしいですわね」

「もうなんですか、急におばあちゃんみたいな事を言って」


「いえ、わたくしに縄跳びと鬼ごっこを教えてくれた女の子が成長したものだなと思いまして。体ばかり大きくなって一向に男がデキないのが玉に瑕ですが……」

「余計なお世話ですよ! そういうヴィリアンだって私が小さい頃からそういう存在はいないではありませんか!」

「そりゃわたくしはドラゴンですもの。人間の二十年なんて、わたくしらからすれば数日みたいなもの。つがいは慎重に見極めますわ」


 そんなヴィリアンの言葉にララは『もう、ああ言えばこう言いますね』とため息を吐きながら全身をお湯で洗い流す。 

 そしてゆっくりと湯船に浸かると、後ろから少し寂しそうな声。


「ララ、昔のようにもっと気安く接してくれて構いませんのよ? わたくし達の間に気遣いは不要です」


 ララは幼少期、ヴィリアンを聖騎士長と知らずに何度も遊びに誘い、ご飯を食べ、お喋りをして、一緒に昼寝までしたりしていた。


 その様子を知る周囲の大人はそれはもう気が気じゃ無かったが、長命種として長年他者から一線引かれた存在であったヴィリアンにとって、そんなララは珍しい珍獣のようでありながらも孤独を埋めてくれる希少な存在だったのだ。


 当然、聡いララはすぐに自身の親友が雲の上の存在であると気付く。それでも彼女は友達だからと気安い対応を変えたりはしなかった。



 しかしララの聖王就任が全てを変えてしまう。



「そう、ですね。考えてみます」

「ララ…………」


 国中のエリートの最終到達点に若くして至った彼女は周囲のやっかみを買った。


 年齢故の経験値の無さを指摘する声もあれば、孤児院出身という育ちを批判する者。身体を売って成り上がった売女とありもしない話を風評する者。果てには国の守護者であるヴィリアンに気安く話し掛ける勘違い女とまで陰口を叩く者までいた。


 どれだけ聖王としての職務に邁進しようが批判の声は消えず、どれだけ民を救おうが纏わり付く妬みの感情も無くならない。


 そうしてララはいつしか自身と他者の間に見えない壁を作った。親友であるヴィリアンや妹であるココにまで敬語を使うのはそのためである。


「そう言えば、この後はわたくしを排除してまでハルトを寝室に呼ぶのですわよね? 護衛と言っておきながら、ララ貴方まさか……?」


 重くなりかけた空気を察し、ヴィリアンは話題を変える。


 まるで男慣れしていないララが男を私室に入れるなど初めての事だ。それも寝室で、同じベッドに一緒に寝るという。


 これはもう恋の予感しかしませんわ~とヴィリアンは親友を弄る気満々だ。


「確かにハルトは良い男ですわよね。わたくしとアインの死闘に割って入る度胸! ララとココが捕まっている場所を即座に割り出す頭脳! ルックスも悪くありませんし将来有望! てっきりララはダメ男が好きなタイプかと思って心配してましたのよ?」


 きっとこの初心うぶな親友は顔を真っ赤にして恥ずかしがっているだろうと、ニコニコでララの隣りに向かったヴィリアンが見たのは――――


「ラ、ララ、貴方…………」


 ――まるで死を前にして生きる事を諦めた病人のような表情のララだった。



「私は自身の持てる全てを利用して、最後までこの国の為に生きます。心も身体も、命でさえ。たとえもし私が明日殺されても、私の意思は貴方の心に宿る。そうでしょう、ヴィリアン?」



 まさかララがここまで追い詰められていたとは――。


 国を背負う重圧を感じていたのは知っていた。くだらない人間共の嫉妬を買っていたのも知っていた。突然捕まって監禁され、心がすり減っているのも知っていた。



 でもあの強かったララが……人間の心がここまで弱いものだったなんて――。



 自分の言葉はもうこの親友には届かない。


 もし届くとすれば、ララを聖王としてではなく、親友としてではなく、お姉様としてではなく、肩書きを持たないただ一人の女の子として対等に見てくれる存在の言葉のみ。


 ヴィリアンはそんな人間がどこに……と考え、ふと――何故か常に自信満々で不敵な笑みを浮かべる一人の男の顔が思い浮かんだ。


 今のララを救えるのはきっと貴方だけ。ララを救ってくれるのならなんだってする。だからお願い、わたくしの親友を助けて――――



 ――――――ハルト。




~~~~~~



「そうですか……サバイアさんが。ふぅ、いざ裏切り者が分かると心にくるものがありますね。彼には私が聖王になる前からずっとお世話になっていました……」

「世の中そんなもんさ。心から信頼出来る友が一人でもいるなら、それだけで幸せというものだよ」


 城内へと戻った僕はララの私室――それも男子禁断の聖域である寝室にやって来ていた。


 部屋は思ったよりも狭く、ベッドが一つと娯楽小説が多く並んだ本棚が二つ並んでいるだけで部屋はいっぱいいっぱい。

 壁には幼児が書いたものらしき、落書き(絵?)もいくつか飾られている。


 僕とララはシングルサイズのベッドで背中合わせになりながら寝る前のちょっとしたお喋り中だ。


「ふふ、ハルトさんったら慰めてくれているんですか? そうですね、私にはまだヴィリアンもココもいます。それに他の皆だって……。あ、勿論ハルトさんも信頼していますよ?」

「今日会ったばかりの僕を? ふっ、イケメンの特権って奴だね」


 僕が得意気にそう言うと、ララがこちらに向けて寝返りを打ったのが伝わってくる。


「ちーがーいーまーすー! 私は貴方の行動を見てそう判断したんです。ふざけた言動がちょっと多いですけど、貴方の事なら信じられます」

「へぇーあっそ。まぁ? 明日の敵は全部僕らが貰うけどね! 今までの報復をしなくちゃならないし!」


「あれ? もしかしてハルトさんったら照れてますー? このこのー!」

「やめて! 背中ツンツンしないで! 僕それ弱いんだよ~!」


 僕は昔からくすぐられるのに弱いのだ! 小さい頃、それを面白がったアイン達が一時間僕をくすぐり続けたせいで軽くトラウマも入ってる。


「ふふふふ、あーおかしい。久し振りにこんなに笑った気がします」


 しばらく僕が苦しむ様を見てようやくくすぐるのをやめてくれたララは、満足気な声を出してギュッと僕に抱き着いて来た。


 ヤ、ヤバい、背中に巨大メロンの感触が……! 


 マリルを超えるビッグな果実が背中に触れているという事実だけで僕の頭は沸騰寸前。


 ここ数百年に渡り、何故か一柱も降臨しなくなった神々を揶揄やゆして人は言う。『神は死んだ』と。

 だが思わず顔がにやけてしまいそうな幸福の絶頂にいる僕は頭ではなく心で理解した。



 ――神はラトナ聖国にいたのだ――



 僕はこれまでララのおっぱいこそが神だと睨んでいた。でも違ったのだ。

 おっぱいがあって、ララがいて。二つの要素が噛み合って初めておっぱいは百パーセントの力を発揮するし、ララの魅力が百二十パーセントになる。


 つまりララこそが神。


「どうです? このまま、しちゃいませんか?」


 脳を溶かすような甘美な声と悪魔的魅力を有するその囁き。


 つい誘惑に乗って手を出したくなってしまうが、僕を僕たらしめている心の根っこの部分が歯止めを掛ける。



「――……それと引き換えに聖国を救ってくれって?」


「っ!」



 そもそもあまりに僕に都合が良すぎる展開だ。

 気に入っていた女の子の護衛になるまでは良い。でもその後寝室に同行し、同じベッドで寝て、夜伽にまで誘われる。これはいくらなんでもやり過ぎだろう。


 確かに僕は色男だからそんな展開もさもありなんと言える。けど大司教メディチは言っていたではないか。 



 ――ララは若い男が近付くだけで緊張する処女オブ処女――だと。



 それがいきなりこんな大胆なアプローチを仕掛ける理由は何か。


 僕がカッコいいから?

 僕に救い出されたから?

 僕の将来性を見越して?


 違う。少しでも僕に情を抱かせて、戦争一歩手前の聖国が崩壊する可能性を一パーセントでも下げるためだ。 


「――……やっぱりハルトさんにはバレちゃいますね。もしかして私って自分が思うほど魅力ないですか?」 

「そんなことはないさ。顔も身体も声も性格も、その真っ直ぐな意志だってどれも素敵だ」

「じゃあなんでッ!?」


 ララは少し大きな声を出し、腕に力を込めて僕をより強く抱く。


「でも僕はそんな打算込みで女の子を抱きたくない。そもそも他に好きな子がいるしね」

「ぐすっ。あんなに婚約者だ結婚だって言っておきながらそれとか、酷いひとです……」


「はっはっは。なにせ僕の好きな子は世界一可愛いくて世界一気高いんだ。ララ、相手が悪かったね!」

「なにそれ。……あーあ、振られちゃいました。これで男性不信になったらどうしてくれるんですか? まったくもう」


 鼻を啜りながらそう言うララの声は、悲しいというよりもホッとしたという安堵の感情が伺える。

 自分からこういう真似をしておいて、心の内では恐怖や不安でいっぱいだったのだろう。

 国のためにそこまでするとは、本当に強いお姉さんだ。


「……もしかしたら私は明日死ぬかもしれません。敵は元々私を捕えても持て余していましたし、ドッペルが死んだ今、利用価値の無い私は今度こそ確実に殺されるでしょう。もし私が……聖国が死んだら――――国民をお願いできますか、ハルトさん」


 なにを馬鹿な事を……。

 僕はこれ以上ララが変な事を口走らないよう寝返りを打って視線を合わせる。


「やだね! ララが明日死ぬ? そんな未来は万に一つも無い。一体誰が君の護衛してると思ってるんだい? 近い将来世界征服を成し遂げるメンバーの一人だよ? 素敵なお姉さん一人救えない男に、世界は取れない」


 この世に絶対はないが、限りなく絶対に近い蓋然がいぜんは存在する。今回のがそれだ。

 一度交わした約束は絶対・・にやり遂げる。天才の僕が護衛対象を死なせるなんてそんなミス、してたまるか。


 いつも通り自信満々でカッコいい僕の顔を見るなり、ララは涙を流したまま心底おかしそうに笑う。


「ぷっ、ハルトったらそんな事考えてたの? 子供みたーい!」

「失敬だな、僕はいつだって本気だ」


「うん、だと思った。それにしても素敵なお姉さんってちょっとキザじゃない?」

「別に僕はカッコつけて言ったつもりはないさ。思った事を素直に口にしただけだよ。これがキザに聞こえるなら、きっと僕がカッコよすぎるのがいけないんだ」


「ふふふ、そうかもね。確かにハルトはカッコいい。力も才能も、自信だってある。近くに居て眩しいくらい。……それにハルトは、なんだか他の人とは違うなにかを持っている気がするの。きっとハルトなら世界征服だって出来るよ」


 ララは左右の手のひらで僕の頬に触れた。  


「私もハルトの夢を手伝う。でもその前に――私を守ってハルト」


「あぁ、任せろ」


 ラトナ聖国が円滑に僕らの傘下に収まるにはララの生存は必要不可欠。

 ララが死んだら誰が僕達の為に国を纏め上げるんだという話になるし、そもそもこんな世界の宝みたいな最高のお姉さんが死ぬなんて世界の損失以外の何物でもない。


 もっとも一度は聖王(偽)を殺した僕が言えた事ではないが……。


「ハルト、ほんの少しでいいから私に勇気と自信をちょうだい」


 そう口にしたと同時にララは目を閉じてこちらに顔を近付けて来た。

 そして一瞬ではあるが、その柔らかな桜色の唇が僕の唇に触れる。


「っ」


 ゆ、ゆゆゆ油断した! リセアに捧げるハズだった、ぼ、僕のファーストキスがああああ!?


 愕然とした僕の表情を見てなにかを察したララは、顔を真っ赤にしながら唇をペロッと舐めて一言。



「初めてだったんだ? ふふっ、お揃いだね」




======

という事でギャグ少なめのララ回でした。

メインヒロイン(リセア)よりメインヒロインしている気がするのは何故……!?


真面目な話を書いてると、早くふざけなきゃ!と謎の使命感に駆られる私はこの作品に毒されている。

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