第61話 聖王

 ラトナ正教。ここラトナ聖国を本拠地に構えるこの宗教は水の神ラトナを主神として崇めている。


 国民の99%がラトナ正教の敬虔な信徒であり、水神の加護を国全体で受けている聖国は水の都として有名だ。


 噴水、池、川、水路。

 聖国内ならどこに行っても水が流れており、どの水もとても澄んだ美しい色をしている。無論、味も格別。


 その聖水とも呼ばれている水を使った酒造りは世界的に有名で、小国ながら酒と観光で多くの金貨を稼ぐ裕福な国家でもある。


 また、この国には水の都以外にもう一つ呼び名があった。



 それが――――太陽の昇らぬ国。



 水神の加護は非常に強力で、何の変哲もない弱小国家を水の都に押し上げている一方、常に国全体を巨大な雲で覆い尽くしていた。


 来る日も来る日も太陽は拝めず、雨ばかりの毎日。

 そんな異常気象が当たり前の聖国では、農業がまるで行われていないため食糧は隣国からの輸入で賄っているのが現状だ。


 故に聖国は、建国以来戦争が起きた試しがない。

 そりゃそうだろう。だって戦争になって食料の輸入を止められたら簡単に国が干からびるのだから。


 歴史的見地から見ても、聖国は領土的野心というものを持っておらず、如何に人々の水神への信仰を強めるかという点にしか関心がない。

 そのため、外交は常に弱気で戦争の引き金となるような挑発的行為は絶対にしない……そのハズだった。


 何故帝国に喧嘩を売るような今回の件を突然引き起こしたのか。そしてこれはラトナ聖国としての国家戦略を含んだ行動だったのか。それとも一部の馬鹿の独断だったのか。


 何度目になるか分からない堂々巡りの思索をしていると、ふと隣りで歩きながら僕に傘をさしてくれていたローズが口を開く。


あるじよ。まずはどう動く? あたしがここらの情報屋を捕まえてこようか?」

「いやそれには及ばないよ。情報屋よりももっといい人材がいるから」


 ローズは僕の言葉にイマイチピンと来ていない様子で首をこてんと傾ける。


「まずは中央広場に向かおう。さっきの魚屋のおばちゃんが言っていた週に一度の聖王のお言葉って奴を聞いてみたい」

「ふむ、了解した」


 もしここに幼馴染達が居たのならば、僕の言葉を瞬時に理解してくれたであろうが、ローズはまだ付き合いが浅い。今の彼女に一を聞いて十を知れというのは無茶が過ぎる。

 それにアイン達はアイン達で僕が考えていない事すら勝手に汲み取って、勝手に動きだすからどっちもどっちと言えた。


 アインは牢獄の中でジッとしてるだろうか。

 ……してないだろうなぁ。


 僕がそんな事を考えていると、



 ドォオオオオオン



 先程僕達が居た牢獄の方向から巨大な爆発音が聞こえて来た。

 それから一拍遅れて悲鳴。音がした方向ではどす黒い煙がモクモクと立ち込め、衛兵達は血相を変えて爆心地に向かって走り去って行く。


「さて、調査にあまり時間は掛けられない。遅くとも今日中には結論を出すからローズもそのつもりで頼むよ」

「ちょっと待て、なんだ今の爆発は!? 確実にさっきの牢獄の位置だぞ!?」


「……ローズ、世の中に絶対や確実というものは存在しない。だから……今のは単に牢獄の看守達が花火大会を開催したという線が捨てきれない」

「捨てきれるだろう!! どこの世界の看守がいきなり花火大会を開くというのだ! それも屋内で!」

「世の中にはトンデモない事をしでかす人間がいるものさ」

「しでかしたのはアイン様だろ!? 現実を見ろ主!」


 やれやれ、アインめ。僕が牢獄での護衛を頼んだから、敢えて敵を牢獄に誘い込もうとしているな? そしてあわよくば聖騎士長と戦おうと企んでいるに違いない。


 しかし天才である僕は幼馴染達の暴走にも慣れている。この程度のハプニングならば……計画の修正も容易だ。


「まぁ爆発の原因がなんであれ、アイン達なら大丈夫。それよりも僕達は僕達の仕事を果たすとしよう」




 やけに騒がしい牢獄方面に後ろ髪を引かれながら中央広場を目指すと、広大な面積を誇る広場では、それを埋め尽くす程大勢の民衆の姿があった。


 そこで、この有様では碌に聖王の姿も見られないと判断した僕達は急遽近くの宿を取り、部屋のバルコニーからそれを眺める。

 そうして暫く民衆を見下ろして悦に浸っていると、広場の中心部にある塔のような建物から聖王が現れた。


 聖王は純白のドレスのようなものに身を包み、押し寄せた民衆に笑顔で手を振ると、拡声の魔道具を手に取り口元にやる。

 すると、広大な広場を埋め尽くす大勢の信者達も、非常時に備え警備に当たっている衛兵達も。皆が聖王の言葉を聞き逃さないよう物音一つ立てず静まり返った。



『今、この国は未曽有の危機に晒されています』



 身長が高く、肉付きの良い体型の聖王は水の透き通るような声でそう言う。


 国家元首とは思えぬ、年若き女性。恐らく二十台前半くらいだろう。

 目鼻立ちの整った美しいその顔とドレスをはち切らんばかりの巨乳は、僕調べ『上司にしたいお姉さんランキング』Sティアに堂々ランクインするほどの包容力と母性を感じさせる。


 くっ、敵として出会っていなければ、僕専属のお姉さん係として組織にスカウトしていたのに……!


 思いも寄らぬ聖王の発言にざわめく信者達を無視して、巨乳美人お姉さんな聖王は言葉を続ける。


『ラトナ正教において争いは禁忌です。私達はその教えに従ってきました。どれだけ挑発的な態度を取られようと、領土を掠め取られようと、理不尽な外交ルールを敷かれようと、懸命な努力により建国以来一度も戦争を起こす事無く周辺各国と平穏な関係を築き上げて来たのです』


 不安そうな観衆の多くが聖王の言葉に頷く。


『しかし! ジルユニア帝国が我々に牙を向いてきました。我が国へスパイを送り込み、親愛なる聖国民をテロで虐殺しようとしたのです!!』


 感情が昂ったのか、聖王は目の前にある手すりをドンと殴る。するとその反動で胸もポヨンと跳ねた。  


「ふむ、手すり殴り係としてスカウトするのも悪くない」

「なにを馬鹿な事を言ってるのだ主よ……」


 たかが脂肪。されど脂肪。

 人類の夢と希望と愛とエロスと理想と現実と欲望が詰まったその胸は一体どれだけの人々を救って来たのだろう。


 聖王の胸を一目見るだけで、今日も頑張ろう、明日も生きようと活力が注入される。

 きっと広場に集まった信者の中には、水神ラトナではなく聖王のおっぱいを信仰している者も多くいるに違いない。


 無論、僕もその内の一人だ。


 これまで、僕の信じる神はマリルのおっぱいとリセアの二の腕、シュリの太もも二つずつだけであったが、今は違う。聖王のおっぱいもそこに加わり、僕の信仰は四つのおっぱいと二つの二の腕、二つの太ももに注ぎ込まれている。(この前リセアから届いた脅迫文めいた手紙により、若干リセアの二の腕への信仰が揺らいだけど、あれはリセアの名を騙った偽物による偽造文書なのでノーカン)


 願わくば、そんな御神体とも言える聖王を殺す決断を僕にさせないで欲しい。

 彼女が今回の事件に関係ありませんように……。


 しかし、そんな僕の儚い願いはあっという間に消え去った。


『ですが安心してください。優秀な聖騎士達が実行犯の一人を捉えることに成功しました。帝国からやって来た刺客、その名はサティ。メイドに扮し、密入国していた彼女の処刑を明日正午、ここナブーナ広場にて執り行います。これを聞いているその仲間共! 出頭すれば命だけは助けてやります。もしこの呼びかけを無視しテロが実行された場合、我々は帝国を相手取る聖戦を行なう事をここに誓いましょう』


 聖王、サティの拉致に思いっきり関わってそうで笑う。ていうか、むしろ首謀者じゃない?


「この状況でよく笑っていられるな主は」

「ふふ、手すり殴り係への任命は難しそうだ」


 争いは禁忌じゃなかったのかよ……。


 そう思うものの、信者達にとってこれは矛盾ではないらしい。

 民衆は興奮したように叫び声をあげ、衛兵や聖騎士達は覚悟を決めたような凛々しい表情を作り出す。


 これが宗教の力か。

 嘘の情報でも聖王が口にすればたちまち真実へと変わり、一気に戦争ムードに様変わりする。

 今回の敵はなかなかに厄介である事を認識した僕はローズに言う。


「よし、それじゃ攫って来て?」

「攫うって……誰をだ?」


 やれやれ、まだ分かっていないのか。話の流れ的に対象は一人しかいないだろうに。


「聖王」

「なるほど、聖王か……あ!? 聖王!? たった今宣戦布告みたいなデマを流してたあの!?」

「これくらいの距離を往復する魔力は残ってるだろう? ほら、早くしないと攫うのが大変になっていくよ?」

「いや、でもあたしまだ死にたくないし……」


「大丈夫、もしなにかあったら助けるから。それに……さっきデリシャスオークの肉を食べたよね?」

「うぐっ」

「……実はまだ少しだけ残ってるんだよねー。後でサティにあげようと思ってたけど、引き受けてくれたら全部食べてもいいよ?」

「…………くそお! 主だけはまともな人間だと信じていたのに!!」


 そう言い残してローズは転移した。

 失敬な。僕はまともだよ。



~~~~~~



 演説が無事に終わった事で、聖王もその護衛も油断していたのだろう。

 転移魔法を使った聖王の誘拐はあっさりと成功した。


「なんですか貴方達は! 私を誰だと思っているのです! ラトナ聖国の聖王その人ですよ!」


 転移して来た途端、状況を把握し暴れ出そうとするその頭の回転は褒めてあげても良い。

 そして、間近で見るとより凄さが分かるそのダイナマイトボディーも全力で褒め称えてあげよう。

 でも相手が悪かったね。


「それは知ってる。だからこそ攫った」


 僕の合図でローズが部屋に備え付けられていたカミソリを聖王の首筋に当てる。

 すると、聖王は冷や汗を流しながら両手を上にあげて降参のポーズ。


「なに、ちょっと知りたい事があっただけだよ。そこらの情報屋よりも聖国内の事情には余程詳しいだろう、君は」

「……じきに聖騎士長がやって来ます。彼女に掛かれば貴方達程度――」 

「あぁ、聖騎士長なら来ないよ。今頃僕の仲間と戦っている最中だ」


 牢獄を吹っ飛ばす勢いで絶賛大暴れ中のアインを抑えるのは並大抵の戦力では困難だ。

 おまけに、その牢獄に閉じ込められているのは明日処刑すると聖王自らが宣言したサティ。

 十中八九聖国最強がその対処に当たっているに違いない。


「くっ、牢獄での騒ぎは貴方達の仕業でしたか。わざわざあの混ざりものを助けに来るとはモノ好きな……おや? よく見たら貴方も混ざりものですね。同胞を救うためにこの人間を騙しでもしましたか?」

「黙れ、お前は主の質問にだけ答えれば良い」

「あらあら。どうしてこんなに嫌われてるんでしょう。まぁ、仕方ありません。私も死にたくないので、サッサと質問してサッサと解放してくださります?」


 首筋に刃物を突き付けられているのにこの余裕の対応。

 聖王、度胸あり過ぎであった。


 もしかして胸が大きい人ほど心臓も大きくなるのだろうか。

 いや、いかんいかん。今は大事な調査の時間だ。

 僕は頭を切り替えて聖王に問う。


「そのおっぱい何カップ?」

「Gカップです」

「なるほど、実に素晴らしい」

「ええ、良く言われます」

「おい、人が命懸けて攫って来てする質問がそれか!」


 なにやらローズがプンプンしているがどうしたのだろう。

 魅力的な女性のカップ数は人類史上最大の命題として、男には解明する義務があるというのに。


「彼氏はいる?」

「いません。処女です」

「パンツの色は?」

「黒です」

「いい加減にしろ主! あとなんでもホイホイと答えるんじゃないこの馬鹿聖王!」


 ローズはカミソリを持っていない方の手で聖王の頭をチョップする。

 しかし聖王は何事もなかったかのようにすまし顔だ。


 聖王のキャラがイマイチ掴めない……。


「ローズ、僕は至って真剣だ。君にはまだ分からないかも知れないけど、この質問が後に重大な謎を解明する一助となるんだよ。ね、聖王?」

「ええ、その通りです。私も質問に素直に答えているだけです。混ざりもの如きが我々の高度な情報戦に介入しないでください」

「何故あたしが怒られる!? いくらなんで理不尽だろう!?」


 そうして話している間も、牢獄のあった方面からは激しい戦闘音が聞こえてくる。

 ふと窓に視線を向けると眩い閃光や斬撃、謎の光の柱やらが見え、常人の入る余地がない超人バトルを繰り広げている最中であることが伝わって来た。


 うんうん、とびっきりの強者と戦えて充足したアインの笑顔が目に浮かぶようだ。

 そしてその戦闘に巻き込まれないよう、必死になってちょこまかと逃げ回る無表情メイドの姿も想像できる。 


 ……少し可哀想だから早めに戻ってあげよう。


「さて、冗談はここまでだ。まず一つ。何故サティを攫った?」

「ええ。こんなものでしょう。その答えは、アレが混ざりものだからです。混ざりものがのうのうと人間のように生きているのは不愉快でした。ちょうど帝国に戦争を吹っかける理由で悩んでいましたので、色々都合が良かったんです」

「おい、貴様らやっぱりふざけてたんじゃないか! なにが冗談はここまでだ。馬車役として出過ぎた真似をしたかと反省したあたしの気持ちを返せ!」


 そう言えば君、そんな役職だったね。

 むしろ馬車役として相応しい真似がなんなのか聞いてみたい気持ちに駆られるが、今は聖王の相手に集中しなければ。


「戦争を吹っかける? 争いは禁忌じゃなかった?」

「教義と言うものは時代の流れと共に変化します。今がたまたまその変革期だったというだけの話ですよ」


「なんでそこまでして帝国と戦争したいの? いくら今の割れた帝国でも国力差がありすぎて君達は蹂躙されるだけだ」

「ふふ、それは秘密です。ですが、この策こそが我々にとっての最善なのです」


 僕は聖王のその言葉を聞くなり、視線を外して悩み込む……振りをしてその胸をガン見する。

 右胸、左胸……。流石は僕の信じる神の二柱だ。

 サイズ、張り、形。どれも申し分ない。よく見ると左胸の方が若干大きいか?


「状況から見て、貴方が帝国人であることは疑いようもありません。ですが、もう戦争を回避するのは不可能。先程の私の演説により、聖国は一気に反帝国へと傾きました。ここで私を害そうものなら、聖国民は死兵となって戦いますよ? これでも私大人気なんです」


 たまに胸が大きいと下品に見えるという目と頭の腐った輩が存在するが、そいつらにこの完成された巨乳を見せ付けてやりたい。

 下品どころか、神聖ささえ感じさせるこの神々しい胸は、存在だけで人々の悪しき気持ちとよこしまな思いを浄化する。  


「今貴方に唯一出来るのは、私を説得する事でも、私を脅迫する事でもありません。一目散に帝国へと戻り、戦争の準備をさせる事です。あぁメイドは置いて行ってくださいね? たくさん痛めつけてあの異常な再生力を民に見せ付けたいので」


 聖王が息をする度に、ほんの少し胸が上下する。

 ただそれだけの事で、何故こうも幸せを感じられるのか。


「ほら、恐怖を煽ると、戦争になっても皆必死に戦ってくれるでしょう? あのメイドはそのための生贄なんです」


 それに聖王は胸だけではなくお尻も凄い。

 大きく、それでいて引き締まったお尻は服の上からでも分かるほどパツンパツンに張っていて、それはまさに第二のおっぱいのよう。さらに――――


「貴方の仲間がどれ程の腕かは知りませんが、うちの聖騎士長が負けるとはとても思えません。彼女が戻ってくる前に、逃げ出す方が賢明ですよ?」 


 ――そもそも尻というのは明確な線引きが難しい。腰、お尻、そして太もも。その境界がハッキリとしているほど美しいお尻というのは賢明な者ならば誰もが知る所だが、ではそれ以上の美醜の判断はどう付けるのか。これは恐らく学会でも多くの議論を戦わせる難問となり――――


「ちっ、聞いているのですか!? 現時点で貴方と私の関係は対等。これ以上私を拘束するならこちらも相応の手段を――」


 ――と、このように聖王の身体は余すことなく美しさで溢れている。



 だが――――


 ――頭脳は残念であったようだ。



 僕は世界を征服する覇者の一人として決断した。


「ローズ、やれ」

「承知した」

「!?」


 グサッ


 僕の命令を受け、躊躇なくカミソリを首筋に突き刺すローズ。

 すると、聖王の傷付いた首元から鮮血がじわじわと溢れ出す。


「な……ぜ……?」


 まさか殺されるとは夢にも思っていなかったらしい聖王が息も絶え絶えで心底不思議そうに問う。


「君が言っていた事以外で、僕に出来る事はもう一つある。それは――君を殺して聖国を征服する――だ。確かに僕は帝国人だけど、別に帝国がどうなろうと知ったこっちゃない。それよりも問題なのは、僕らの仲間に手を出した事さ。その代価は利子を付けてキッチリ返してもらうよ」

「狂……て、る…………」



 息絶えた聖王から視線を外し天井を眺める。

 僕は国宝と認定されてもおかしくない素晴らしい肉体の持ち主が死んだ事に少し気落ちしていた。


 サティに手を出しさえしなければもっと良い関係を作れたのかもしれないのに……。

 

 はぁ。



「神は死んだ」

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