第55話 地下遺跡③

 勇者。

 それは神に見出されし者にして、世界を守護せし者。


 一般に、勇者の使命は魔王を討つことだけと考えられているが、それは大きな間違い。

 世界を終焉に導くほどの大きな戦争や、疫病、虐殺、暗躍。

 それらを収束に導くのも勇者としての立派な役割だ。


 そんな崇高な使命を背負う勇者として選ばれた、当代の勇者であるリセアは現在、『してやられた』という気持ちでいっぱいだった。

 その感情が向かう先は、今向かい合っている人化したドラゴン……ではなく、魔術学院の教師にしてAランク冒険者ハルトにある。


「くはははは。勇者と言えどまだ若すぎるではないか。これなら我にも充分チャンスはある」


 リセアと対峙ているドラゴン――ヴァンズリイは、高笑いしながら強烈な突きと蹴りを交互に繰り出してくる。


 人間の姿ではあるが、彼はれっきとしたドラゴン。

 その皮膚の硬さと攻撃の重さは尋常ではない。


 常人が受ければ、盾や防具ごと身体に風穴を開けられることだろう。

 いや、何が起きたのかさえ認知することなくあの世へと旅立つかもしれない。


 しかしそれなりの修羅場をくぐり抜けているリセアは、その攻撃を冷静に自身の持つ聖剣で受け止めた。


 聖剣は決して砕けない。さらに勇者としての人外じみた身体能力に加え、いつも通りユノの神聖魔法によるサポートもある。

 負ける道理が見当たらなかった。


「ほれほれほれ! 受けるだけではいつまで経っても我には勝てんぞ!!」


 リセアは今回の迷宮攻略において、自分は極力手を出さないようにしようと決めていた。

 一つはシンプルに眠かったというのと、そしてもう一つはハルト達の実力を見極めたいと考えていたからだ。


 特に知りたかったのはハルトの力。


 勇者リセアから見て、ハルトの戦闘力は明らかに一般人のそれであった。

 体付きを見ても特に鍛えているようには見えないし、武器を持っているのも見た事が無い。


 圧倒的強者である幼馴染達と比べて、彼の存在はあまりに異質過ぎる。


 子供の頃初めてハルトに出会った時、幼いリセアはかつてない衝撃を受けたものだ。

 何故ここまで普通の人間が、輝かしい才を持つ者を引き連れ、勇者である自分を前にここまで自信満々な顔をしているのか、と。


 数多くの人間と顔を合わせるリセアをして、初めて見るタイプの人間。

 ユノにからかわれる程度には興味を惹かれた。


 すると次に会った時にはなんとAランク冒険者に認定されていたのだからより驚く。


 ――他の四人は分かるが、何故彼も……?


 そこで、戦闘力一般人のハルトがAランク冒険者にまで登り詰めた秘密を解き明かそうと、リセアはわざと寝たふりをしていたのである。


 だが結果はご覧の通り。


 寝たふりをしている時も『バレバレだぞ』とでも言うように執拗にリセアに視線を向けて来たし、戦わずしてドラゴンから逃れるチャンスがあったにも関わらず、平然とドラゴンの手を振り払い戦闘へ誘導した。

 ユノの背中から高みの見物を決め込んでいたリセアが割って入らざるを得ない状況を、自然な形で彼は作り上げたのだ。


 恐らく、彼は彼で勇者としての自身の実力を知りたかったのだろうとリセアは推測する。

 リセア対ドラゴンの状況をわざとらしい演技をしてまで作り上げた理由はそこにあるのだろう。


 しかしリセアはやはりこう思わざるを得なかった。



 してやられた!



「ふん、我は五百年前に勇者が戦う姿を見た事がある。だがあの勇者はこの程度で防戦一方となる貴様ほど弱くはなかったぞ!」


 こうして手玉に取られて初めて、自身のハルトに対する評価が全くの不適切なものであった事が分かる。


 確かにハルトは戦闘力だけを見れば弱いだろう。

 攻撃を避ける技術だけを見れば一流なのかもしれないが、まともな攻撃手段を持たなければそれは無力なのと一緒だ。


 だが彼には、それを補って余りある頭脳がある。

 数少ない情報から正確な未来を予測し、最高の結果を掴み取るその天才的頭脳。それが彼をAランク冒険者……いや英雄たらしめている最大の要素。

 恐らく、彼にとってはアイン達の存在こそが己のこぶしであり剣なのだ。


 リセアが知るだけでも彼は、全員がAランク冒険者という天才集団のリーダーを務め、誘拐された聖女を救い、皇女の暗殺を阻止し、【混沌の牙】幹部を次々と撃破、さらには未発見の迷宮まで発見している。


 この短期間の内に信じられないほどの功績だ。

 人の強さは腕っぷしだけで決まらないと知っていたハズなのに、何が彼を見る目をこうも狂わせていたのか。


 ……まさか思考を誘導された?


「……行動を読みやすくするために、敢えて自分の評価を幼馴染達より下げようとしている……?」

「なにをブツブツと言っている勇者! 今更神頼みをした所でワシに勝つことなど出来んぞ!! あのクソ叔母に挑む前に、まずは貴様を殺してくれる!!」


 リセアの頭の中に新たな疑問が浮かび上がってきたが、今はそれどころでは無い。

 このあまりにも雑魚過ぎるドラゴンをそろそろどうにかしなければ。


「……ハルト、コレどうすればいい?」

「殺しちゃって良いよ。リセアを殺そうだなんて万死に値する」


 当初はユノやハルトなど大切な友達を襲われた事で頭に血が上り殺す気満々だったが、色々考えている内にリセアの頭も冷めていた。


 ドラゴンというのは一匹だけで国家存亡の危機にもなるし、その素材の売却価額だけで新たな国家を作り上げる事すら可能だ。

 故にその扱いには誰であろうが非常に頭を悩ます。


 でもここにはハルトがいる。

 彼の指示に従えば……間違いない。


「殺す? 貴様らが、我を? ぶははははは! まだ本気を出していない我にこのザマで何を言う! 万死に値するのは貴様らの方だ!」


 ヴァンズリイはそう言って大きく息を吸い込むと、口から炎を吐いた。

 そしてその炎の後を追うようにリセアに向かって突貫する。


 炎を避けた所を蹴り殺す。

 ヴァンズリイはそう考えていたのだ。


 だが――――


「……分かった」

「ちょっと待ちやがれリセア! こいつが迷宮の主だったらどうするつもりだ! ぜってー面倒な事になるぞ! 考え直せ!!」


 向かってくる炎とドラゴンを眺めながらハルトの言葉に了承するリセア。

 ユノがなにやら騒いでいるが、敵を殺す事に集中している今のリセアにその言葉は届かない。



 ――ハルトが最善の行動であると決断したのなら、友として私もそれを信じるのみ――



 リセアは創造魔法を使用し、今持っている聖剣を一旦霧散させる。そして新たに自身の身長の倍以上はある聖剣を創り出した。


 それを両手で強く握りしめると、横薙ぎに振り払う――!  


 予備動作無しで振るわれた聖剣は、刃を立てない事で広く長い峰により空気が押し出され、圧倒的な剣速との相乗効果で炎を消滅させる。


 炎から逃げるのではなく消滅させてみせたリセアのそんな神業に、驚いた顔を浮かべるヴァンズリイ。

 だが勇者が次の攻撃に移る時間よりも、このまま自分が蹴り殺す方が早いと判断した彼はそのまま蹴りを繰り出す。


 リセアはそのヴァンズリイの考えも行動も全てが想定内であるかのように表情を一切変えない。


 最初の横薙ぎの勢いを利用して、くるりと一回転したリセアは先程と同じく横払いの攻撃を繰り出す。


 ヴァンズリイに近付く二度目の攻撃は、身体を回転させたぶん一度目よりも剣速が早く……そして当然刃が立てられている。



 結果――――


 ――ヴァンズリイは驚愕の表情を浮かべたまま、自分が斬られたのを理解する間もなく即死した。




~~~~~~



「あー! やっちゃった! やっちゃったようちの勇者様! ……もう、アタイらは終わりだ。これから一か月くらいは各所に謝罪参りをして、その埋め合わせとして仕事生活の日々を送るんだ。ケーキなんて贅沢品、二度と食べられないに違いねぇー!」


 脳、首、心臓を綺麗に真っ二つにされたヴァンは、暫くピクピクと痙攣していたがじきに動かなくなった。

 あれ程おしゃべりなドラゴンが急に無口になるとも思えないので、恐らく即死だったのだろう。


 まぁ僕の大好きなリセアと散々お世話になったヴェネさんを殺すと言い放ったのだ。

 自業自得と言える。


「安心してよ先輩。土下座の仕方なら僕が教えてあげるから。こう見えて僕は土下座マスターなんだ」

「やかましいわ! 誰のせいでこんな絶望的な状況になってると思ってんだ!」


「……僕なわけないし、リセアはもっとあり得ない。うーん……ヨウ?」

「そんな……!? わたしはハルトお兄様の後ろに隠れていただけなのに!?」

「なんで自信満々に実行犯二名を除外するんだテメェは!?」


 いや悪いのは僕でもリセアでも無くてヴァンだよね。

 あのまま僕と友好的な関係を結んで、色々貢いでくれていればこんな結末にはならなかったのだ。

 口はわざわいの元とは良く言ったもので、彼が無口なドラゴンであったならきっと今も彼はピンピンしていた事だろう。


「……ハルト、どうだった私の戦いぶり」

「カッコ良かったよ! 流石は勇者だね。ドラゴンを一振りで殺せる人間なんてそうはいない」 

「……嬉しい。ちょっぴり張り切った」


 ヴァンの返り血を浴びて血だらけのリセアだが、これはこれで普段と異なるリセアの魅力を感じられるから不思議だ。


 ぽたぽたと滴り落ちる血も、真っ赤に染まった学院の制服も。

 その全てがリセアを引き立たせるのに一役買っている。


 きっと全身血塗れでここまで可愛いのは、世界でもリセアだけに違いない。


 そうしてリセア(返り血ver.)を脳裏に焼き付けようとリセアをじっと見詰め続けていたら、我が親愛なる幼馴染達が全力疾走で戻って来た。


「うおおおおおお! ドラゴン! ドラゴンはどこだぁぁあああ!?」

「敵! アタシの敵!」

「お、お兄ちゃん。はぁはぁ。や、やっと雑魚を片付け終わったよ。はぁはぁ」

「素材素材素材素材素材素材素材素材……」


 アイン達もなかなかの激戦だったのか。身体のそこかしこに魔物の返り血が付いていたり、服に魔物の指が引っ掛かっていたり、頭の上に眼球が乗っかったりしている。


 うんうん、リセアと違ってグロさしか感じないけど、怪我が無いようで一安心だ。


「……残念。ドラゴンなら私が殺した。……ハルトの指示で」


 そう腰に手を当てながらドヤ顔をかますのはリセア。

 当然、強者との戦いを楽しみにしていたアイン達は不満を溢す。


「はぁっ!? ふざけんな! ドラゴンは俺達のモンだぞ!? 戦いも、肉も全て!! そうだろハルト?」

「てかなにハルトに指示されて嬉しそうにしてんのよ! ハルトはアタシ達のリーダーだっての! ねぇハルト?」

「よしよし、大丈夫だよユノちゃん。何があったか知らないけど、お兄ちゃんが全部なんとかしてくれるから。ね、お兄ちゃん?」

「素材素材素材素材! ドラゴンの素材……が無い!? ちょっと! なに人化した状態で倒しちゃってるんですか!? 素材が回収できません! ……うぅ、なんとかしてくれますよね、ハルト君?」


 ……戻ってくるなり皆僕を頼りすぎであった。


 しかし、そうか。ドラゴンは人化した状態で倒すと旨味が無いのか……。

 知らなかったとはいえ、マリルには少し悪い事をした。


「でも珍しいね。アイン達がドラゴンほどの強キャラを見て戻って来なかったなんて」


「あ? だっていつもボス戦は雑魚を全滅させてからのお楽しみじゃねーか」

「……ちょっと待って。その言い方、もしかして今回は雑魚無視して良かったの?」

「ええ!? でもまずはこいつらを皆殺しにってお兄ちゃん言ったよね?」

「……今思い返せば、最初からドラゴンは姿を見せていました。ならその皆殺しの対象にドラゴンも入っていた……?」


 衝撃の事実発覚みたいな顔で驚いているとこ悪いけど、僕はそんな深く考えてモノを喋っていないよ?

 幼馴染である君達なら重々承知だろうに、何故そこで深読みする?


「……全てハルトの計算の内。きっとまだこれ以上の強者との戦いが残っている」


 ヤバい、なんかリセアまで僕を持ち上げ始めた。


 遺跡内の魔物を皆殺しにしたのにこれ以上何があるって言うんだよ。てかドラゴン以上の強者ってなんだよ。


 もはや意味不明すぎて、僕の心は混乱を通り超して虚無だ。

 もうこうなると僕に出来るのは、リセアの言葉に確かに!と盛り上がる幼馴染達の言葉に合わせて、うんうんと無意味に頷いている事だけ……。


「このまま帰ればアタイらは迷宮を潰したとして国家反逆罪が適用される。それもなんとかする策があるってのか新入り?」

「当然だよユノちゃん! お兄ちゃんは凄いんだから!」

「流石はハルトお兄様です……」

「ハルト先生の計画に隙はありません。……ありませんよね? 皇女が国家反逆罪はシャレにならないんですけど……」


 幼馴染も勇者も聖女も教え子も。皆が期待を込めた視線を僕に向けてくる。

 僕はそれに対し、はいともいいえとも言わず、微妙な顔をしながらこう口にした。



「……よし、それじゃ皆で地面を掘ろうか」



 頼む、もう一個出て来い、古代都市型の迷宮!

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