第46話 暗殺①

「オラオラ、顎を引け! 腰をギリギリまで下げろ! もっと動かしている筋肉を頭で感じろ! そして立派な剣士になって俺と戦え!」


 アインの叱咤する声が響き渡る体育館。

 そこでは、僕ら幼馴染五人共通の弟子であるヨウと、先程僕に弟子入りしたばかりのロロアンナがスクワットをして汗を流していた。


 僕が良いと言うまで続けられるそれは、彼女達に肉体的疲労と同時に一向に終わりが見えない反復作業による精神的疲労を蓄積していく。


 開始から凡そ一時間半が経過し、床に水たまりのような大量の汗が溜まっていくのを僕はただじっと眺め続ける……ロロアンナの肩の上で。


 僕達の施す訓練に甘っちょろいメニューなど存在しない。

 当然、一口ひとくちにスクワットと言ってもただのスクワットではなく、ロロアンナの肩には僕。ヨウの肩にはマリル。そしてそのマリルの肩にはシュリが乗り、サーカスの雑技団も真っ青なやり口で負荷を掛けている。


 僕らの訓練に一日の長があるヨウは比較的余裕がありそうだが、ロロアンナはフラフラで今にも倒れ込んでしまいそう。


「前屈みになると腰を痛めますよ。背筋は真っ直ぐピンと伸ばしてください」

「は、はい。マリル先生」


「はぁ~、ヨウにこのトレーニングはちょっとヌルすぎるわね。マリル、ヨウをいい感じに追い込む薬ないの?」

「うーんそうですね……あっ! ちょど良いのがあります! 胃と腸の働きを異常な程促進するお薬……言わゆる下剤なんですけど――」


「マリルお姉様!? 流石に下剤は無理です! 勘弁してください!」

「ヨウ、何度も言うけどアンタに拒否権は無いのよ。親鳥から餌を分け与えられる雛鳥よろしく、ただ師匠であるアタシらの言う事に黙々と従っていれば良いの。そうすれば勝手に強くなるから」


 シュリの言葉に顔を真っ青にするヨウ。

 それは恐らく、疲労からくるものではないだろう。

 マリルはそんなヨウの口元に錠剤タイプの薬を持って行き、無理矢理口の中に放り込もうと試みる。


「や、やめてくださいマリルお姉様。無理です! 下剤は本当に無理です~! というか下剤を飲んで訓練したからって強くなるハズがありません!」

「ったく、いっちょ前に師匠に反論とは偉くなったものね。そう言うのは実際に強くなってから言いなさい」

「……ではシュリお姉様たちも昔はこのようなトレーニングを……?」


「…………………………まぁね」

「絶対嘘です! 今凄い間がありました! 助けて下さい、ハルトお兄様!!」


 助けて下さいと言われても僕にはどうにも出来ない。

 命の危険があるのなら当然僕も師匠の一人として身体を張って助けるが、今回は命の危機どころか、むしろ腸内環境が整って健康になってしまうかもしれないのだ。


 僕と同じく天才であるシュリとマリルの二人がこの訓練法こそが最適と判断しているなら、そこに僕が口を挟む隙は無い。僕は二人を信じるよ。


「いざという時に腹痛になって戦えなかったら困るでしょ。今の内から慣れときなさい」

「ヨウちゃん、極限状態での訓練というのは通常の何倍も効果があるものなんですよ?」

「ヨウ、今鍛えてる筋肉を頭で強く意識するってのはスゲー大事な事だ。この訓練が終わったら、剣士としてテメーはまた一つ成長する」


 シュリやマリルの言っている事はまだ分かるが、アインのはなんか違くない?

 多分下剤を飲まされたヨウが強く意識するのは肛門だし、別に今は肛門を鍛えている訳ではない。そしてヨウは剣士でもない。


 そうこうしている間にも、マリルによって無理矢理薬を飲まされたヨウ。

 するとすぐに、ぎゅるるるーと大きなお腹の音が鳴り、スクワットを続ける彼女の足が急に内股になった。


 ふむ、素晴らしい即効性だ。これは売りに出せば便秘の特効薬として世界中で大ヒットするかもしれない。


「うぐっ。そ、そんな……本当に下剤……。ハルトお兄様も、アインお兄様も居るのに……」

「男を意識するのなんて百万年早いっての。大丈夫、二人はそんな事で愛想尽かすような冷たい男じゃないから」

「むしろ、好感度が上がっちゃうかもしれませんよ? 男性の中にはそういった嗜好を持つ方もいると先生に習いました!」

「ほ、ほんとですかぁ、ハルトお兄様ぁ?」


 一体僕はこの九才の女の子の疑問になんと答えてあげたらいいのだろう。

 肯定も、否定もダメ。……選択肢は無視一択だ。


 しかし、いざ苦しそうにもがきながらスクワットを継続するヨウを見ていると、彼女が少し可哀想に思えてくる。


 流石にこれはやり過ぎなのでは? ……いやそんな事よりも、事後の掃除は一体誰が担当するのだろうか。

 僕じゃない事を祈るばかりだ。


「へ、平民! これは……本当に訓練なのか? 傍から見ていると拷問のようにしか……」

「「訓練よ(です)」」

「そ、そうなのか……」


 皇女であるロロアンナが参加するとあり、訓練のお目付け役を申し出たシーナもこの光景にはちょっと引き気味だ。

 僕に対しては相変わらず高圧的な態度を崩さないが、拷問紛いの訓練を幼い少女に施している鬼畜二人には随分と弱気。


「おいヨウ! そんなに内股になってたら正しく筋肉に負荷が掛からねーだろ! もっと足を開け! 尻が地面に着くくらい腰を落とせ!」


 いつになくスパルタなアインが鬼に見えてくる。

 肛門括約筋を全力で引き締めなければいけない状況下で、正しい姿勢でのスクワットを命じるとは彼に人の心は無いのだろうか。


「おい、貴様の仲間にはとち狂った奴しかいないのか!? せめて貴様は助けてやれ平民!」

「……も、もしやハルトお兄様……。訓練の前に腹ごしらえをしておけと言っていたのは、このため……?」

「んなっ!? ……やはり同類か」


 完全に誤解だよ! 僕がヨウに対してそんな悪意に満ちた指示を出す訳無いじゃないか!


 それにやはりってなんだ、やはりって! 

 僕はアイン達と違って根っからの常識人だぞ!?


「……ハルト先生。やはり指導の件は少し考えさせてもらっても――」

「あぁ、それはダメ。一度引き受けたからにはちゃんと最後までやり遂げるのが僕のポリシーだ」

「そ、そんな…………」


 姉弟子であるヨウの訓練を間近で見て、怖気付おじけづいてしまったのだろう。

 ロロアンナはこの地獄からの即時退却を試みるが、僕はそれをすぐさま拒否。


 もしここでロロアンナに逃げられたら、リセアとの一日デート権が貰えなくなってしまうかもしれない。


「それに基礎体力はちゃんと付けておいた方が良い。いくら護衛が優秀でも、いざという時最後に頼れるのは自分の身だけなんだから」

「…………そうですね。すいません、少し弱気になっていました。これからも訓練と護衛、よろしくお願いします!」


「あぁ、任せてよ。案外、敵は今晩にでもやって来るかもしれない。しっかりと準備をしておこう」

「はい! ……ただ、下剤だけは本当にやめて欲しいです……」



~~~~~~



 深夜二時のアーレスティ魔術学院。


 昼間は生徒達の活気と熱気に溢れるこの場所も、この時間帯はただ静寂さが広がるばかりだ。

 ここに住む生徒達や教師は既に明日の授業に備えて深い眠りについており、魔道具の照明を使用している者は見受けられない。


 普段ならば月明かりに照らされる時間帯ではあるが、新月の今日は闇が濃く深く広がり、どこか不気味な雰囲気が漂う。


 そんな学院敷地内にある上級貴族専用の個人寮の一つ。

 そこでは現在、ジャーマン公爵家令嬢というアンダーカバーを利用して学院に通うロロアンナ第七皇女と護衛の二人が暮らしている。


 暗殺者対策で窓が取り外され、扉には厳重な鍵が備え付けられているロロアンナの寝室だが、そこに忍び寄る影の姿があった。 


 スタ――……スタ――……スタ――……


 影は足音を極力鳴らさないよう細心の注意を払いながら、一歩一歩ベッドで眠るロロアンナに近付く。

 真っ暗な室内ではあるが、この日の為に訓練してきた影には室内の家具の配置、いざという時の逃走経路が完全に頭に入っている。


 ニヤっ


 ようやくベッドの脇に辿り着いた影は、布団の中で猫のように丸まって寝るロロアンナを見て作戦の成功を悟る。


 今日は特別キツイ訓練を行ったせいで身体はボロボロ。ちょっとやそっとの事では起きやしないという話だ。


 影は懐に仕舞っておいた調理用の包丁を取り出し、そしてそれをなんの躊躇もなく振り下ろした。


 サクッ


「(!? 外した!?)」


 影の手に伝わってくるのは布団の感触のみ。人肉を突き刺した時特有のなんとも言えない抵抗感はまるで感じられない。


「(ちっ、返り血を避ける為にも、出来るなら布団の上から殺してしまいたかったが仕方ない)」


 影は至極面倒そうに布団を剥ぐ。

 すると、そこにいたのは――――



「ざんねーん! 地味皇女じゃなくて、アタシでしたー!」



 ――今日ロロアンナの護衛役に任命されたばかりのAランク冒険者シュリであった。


 シュリは驚愕の表情を浮かべる影に、炎魔法を纏った拳を振るう。


 ジュゥゥウウウ


 僅かに避けるのが遅れた影は頬を焼かれ、少なくないダメージを負った。

 だがその大火傷も無視して、影はシュリに問う。


「何故貴様がここにいる!? 今日の護衛役はブロアただ一人のはず!」

「そりゃ暗殺者が今晩やって来るってハルトが言ってたからよ! 最近弱っちい奴としか戦ってないから楽しみだったのー! だから早く掛かって来なさい」


 そう言いながらも、シュリは自分から影へ飛び掛かり攻撃を仕掛ける。


「くっ、我々の動きが読まれていただと!?」


 今日暗殺を実行するのは影の数多くいる仲間の中でもごく一部しか知らないトップシークレットだ。

 誰も彼もが主人に忠誠を誓い、情報を漏らすような軟弱者は一人とていない。


「(流石は新進気鋭な天才パーティーのリーダーと言った所か……)」


 シュリの拳、足、肘とあらゆる部位を効果的に使う何でもありの超実践的な格闘術に対し、影は冷静にそのことごとくを躱して対応する。


「アハハハハ! 凄い、凄い! これも躱しちゃうの? 良いわねアンタ! もっとアタシを楽しませなさい!!」 

「ちっ、この異常者めが……」


 闇で産まれ、そして闇の中で育って来た影には分かる。

 この女は人を殺すのに一切の躊躇いがない。殺人の重さを、命を奪う業を、まるで重荷に感じない根っからの殺し屋だ。


 何故このような女が冒険者として、もてはやされているか理解不能だった。

 だがこれだけは分かる。こちらが少しでも隙を見せれば、一瞬で殺される……!


 影はなんとか攻撃を避けながら、ほんの僅かな隙を見付けてはシュリに包丁で斬り掛かる。

 だがシュリはそれを必要最低限の動きだけで躱し、また笑いながら攻撃を継続する。


「(この若さで、生きるか死ぬかの戦いに慣れ切っている……!? マズい、このままではジリ貧だ)」

「ほらほら! アタシの拳を躱すだけじゃダメよ! 炎もちゃんと避けないと、気付いたら丸焼けになっちゃう!」


 シュリの撃退を諦め、なんとかこの場からの脱出を試みようと考え始めた影。

 だがそこで、寝室の扉がバッと開かれた。


「本当にハルト先生の言う通りやって来ましたね。……ッ! その恰好はユニお姉様の――。そうですか、ユニお姉様にとっても私は邪魔な存在なのですね」


 現れたのは暗殺のターゲットであるロロアンナと、その護衛ブロアであった。

 ロロアンナは先程の訓練による筋肉痛の影響で、まともに歩けずにブロアに肩を貸してもらっている。

 ここにはいないもう一人の護衛バローナも、この戦闘音を聞きつけてすぐに駆け付けて来るだろう。


「はぁっ!? なに堂々と出て来てんの馬鹿皇女! アンタ暗殺対象の自覚持ちなさいよ!」

「ば、馬鹿!? ……私は皇女として、私に仇なした大罪人の行く末をこの目で見届けようと……」

「っざっけんな! おい、軍人! アンタもなに護衛対象を危険に晒してんの!? ぶっ殺すわよ!?」

「も、申し訳ございません。姫様がどうしてもと言うものでして……」


 ちょっとはデキる男だと思っていたが、コイツも上の意向にただ従うだけの無能だったらしい。


 苛立つ気持ちを露わにしてロロアンナらを怒鳴りつけるシュリだが、それと反対に影はこの好機に目を輝かせていた。


 ロロアンナを殺すまたとないチャンス。

 この機会を逃したら次は無いと確信した影は、自身を犠牲にしてでも仕事を成し遂げようと決意する。


 だがそれを易々と許すシュリではない。

 シュリは攻撃の手を一切緩める事無く、弟の名を呼んだ。


「シュカァッ! なんとかしなさい!!」

「……もう、せっかくユノちゃんの夢を見ながら気持ち良く寝てたのに……」


 いざという時のために 姉の命令により隣りの部屋で待機させられていたシュカは寝ぼけまなこを擦りながら、皇女の前に出て魔法を発動した。

 すると、氷の分厚い壁がロロアンナの前に出現。戦いの余波から彼女を守る。


「これアタシが全力を出しても溶けないでしょうね?」

「大丈夫だよ。魔法の腕はぼくの方が上なんだ。お姉ちゃんの炎じゃ絶対に溶けない」

「ならよし!」


 シュリは満足気な顔を浮かべてそう言うと、自身の拳付近に纏わせていた炎を大きくして全身を包み込む。

 当然、その炎はベッドや床、本、衣服に引火し、寝室がみるみるうちに燃え上がっていく。


「……お姉ちゃん? この家を燃やし尽くすつもり?」

「アタシ達が請け負っているのは地味皇女の護衛。つまり、この家の保全は業務対象外。久し振りに全力を出させてもらうわ」


「はぁー、きっとお兄ちゃん朝起きたら頭を抱えるよ?」

「そんな訳無いでしょ。ハルトなら、愛する女のお茶目くらい笑って許してくれるわ」 


「(本当にそうかな……)」


 イマイチ信用できない言葉だが、シュカは姉の暴走は兄であるハルトにしか止められないと長年の経験により知っていた。

 なのでこれ以上の説得はキッパリと諦め、自身とロロアンナ、ブロアを魔法で作った氷の球体の中に閉じ込め安全を確保する。


「(あぁ、一階で消火活動をしているシーナさんと背中の赤ちゃんも助けてあげた方がいいよね)」


 こうしてシュカは周囲の安全を魔法により作り出した。

 そして全力で暴れられる準備が整った事を確認したシュリは、師匠である先生に習った中で最も強い初撃が放てる構えを取る。


 そして雄叫びを上げながら敵に向かって突貫した。



「アタシとハルトの愛のかてとなって死ねぇぇーーッ!!」 




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