第42話 リセア
大量に並べられた机と椅子。消した跡の残る黒板。壁に張られている時間割。
行儀よく椅子に座った八十の目が、僕に好奇の視線を向けてくる。
年齢は統一されておらず、僕と同じくらいの人もいれば、明らかに十歳は上だろうという人の姿もあった。
基本的にこの学院では若ければ若い程、優秀であると見なされるらしい。
超難関の入学試験をそれだけあっさりと突破して見せたという証明に他ならないからだ。
だが、このクラスは一年生の中で最も優秀な生徒を集めたと聞く。
なので恐らく、あの傷だらけの顔に立派な髭を生やした歴戦の勇士っぽいおじさんも、赤子を腕に抱えて哺乳瓶でミルクを飲ませている母親も、それはもう優秀な人材なのだろう。
「オギャァアアアーー」
そんな事を考えていたら、どうやら赤子が催してしまったようだ。
母親は「すいみませんすいません」と周囲にペコペコと謝りながらオムツを取り換える。
むわぁっと教室中に広がるうんちの香り。
生徒達はもう慣れたものなのか、嫌な顔一つせずに僕の言葉を待つ。
教壇の上に立った僕はそんな便臭漂う空気の中、将来国を背負って立つ才ある若者達の顔を眺め、初めての自己紹介を行う。
「今日から君達に教える事になったハルトだ。よろしく」
そう、今日から僕はここアーレスティ魔術学院で教師をする。
担当するのは一年A組。前述したように特に優秀な生徒を集めた特殊なクラスだ。
Aクラスに在籍していたというだけで履歴書に書けるし、Aクラスで卒業したともなれば未来の栄華は約束されたようなもの。
だが得てしてそういった人より優れた人物は、性格や人格が終わっている事が多い。
例に洩れず、僕と言う天才の教え子となれた幸運を察せない残念な生徒達が口々に文句を言う。
「あんな若い奴が教師? はっ、冗談でしょ?」「覇気も無い、オーラも無い。ただの一般人じゃない」「魔力も感じられないし、本当にあの男何しに来たの?」「前の先生はどうしたのよー! あの嫌みったらしいジジイの方がまだマシ!」
……こいつら、殺してやろうか?
おっと、いかんいかん。今の僕は教師。生徒を教え導く存在なのだ。
こんな低レベルな煽りに乗ってしまえば、僕の器が知れるというもの。
それに……このクラスにはあの勇者ちゃんが在籍している。
今日は遅刻しているのかまだ姿は見えないが、勇者ちゃんに惚れてもらう為にはここで深い度量を見せ付けておくべきだろう。
ついでに聖女である先輩もここのクラス。先輩は頬杖付きながら僕を心配そうに眺めていた。
……眺めるだけじゃなくて、アホなクラスメートを宥めて欲しいんだけど……。
「だ、黙ってください! ハルトお兄様は凄いんです。Aランク冒険者だし、ここに来るまでの道中だって歯向かって来た盗賊を皆殺しにして来たんですから!!」
騒がしい教室を静めたのはそんなヨウの言葉であった。
レドン学長に生徒として学院に通う事を認められたヨウは、教師としての準備があった僕と違い、数日前から学院で勉強している。
少し年齢の高い同級生とも問題無く仲良くなったようで、騒いでいた生徒達はヨウの言葉を疑う事無く受け入れてまた再びざわめき出す。
「Aランク冒険者!?」「あの若さで!?」「めちゃくちゃ将来有望じゃない!」「あの馬鹿強いヨウがお兄様呼びだなんて……」「ヤバい、生意気言った私達も皆殺しにされる!?」
いや、皆殺しになんてしないから……。
「わたしの地元ではまふぃあに殴り込みを掛けて敵を蹂躙しました。死にたくなかったらハルトお兄様に全面服従の誓いを……」
誓いを……じゃないよ、誓いをじゃ!
誰もそんなのは求めてないし、それではまるで僕が暴君とか独裁者みたいではないか。
一体あのオドオドとしていた宿屋の娘はどこに消えてしまったのだろう。人格変わりすぎである。
生徒達はAランク冒険者という肩書きが効いたのか、それともヨウの脅しの成果か。僕に対する先程までの嘲った表情は鳴りを潜め、手のひらを返したように尊敬と恐れの入り混じった顔を浮かべる。
歴戦のおじさんは敵兵にでも向けるような鋭い視線をこちらに飛ばしてくるし、子育てお母さんは赤ん坊を僕の視界に
……ヨウのせいで僕と言う人間性が酷く誤解されてしまった。
そもそもあの時の盗賊も皆殺しになんてしていない。
アイン達が殺したのは最後の最後まで反抗してきたどうしようもない奴だけだったと聞くし、他の連中は今頃僕の指示で平和に穴を掘っている。
なんでそんな事をさせているかって?
穴を掘ったら温泉が出てくるからだよ。
馬車での移動中はお風呂どころかシャワーも滅多に浴びれなかった。
だから僕の温泉入りたい欲が天元突破してしまったのだ。
僕の予想では、十メートルくらい掘ればいい感じの温度で効能たっぷりな温泉がドバドバと湧き出てくるし、そうしたらあの盗賊達も温泉に入れて皆ハッピーになれる。
まさに天才である僕だからこそ閃いた完璧な策と言えるだろう。
という事で盗賊を皆殺しにしたというのは事実無根の真っ赤な嘘である。
「皆殺しになんてしてないし、誓いもしなくていいから。Aランク冒険者って所以外全部ヨウの作り話だよ」
僕の言葉を聞き、安堵したかのようにホッと胸を撫でおろす生徒達。
ヨウや先輩は「何言ってるんだこいつ」みたいなシラーッとした視線を向けて来るが一切無視だ。
ていうか――――
「ヨウってここのクラスだったんだね。全然気付かなかったよ」
「!?」
生徒の顔はよく見ていたつもりだったが、人間の目は意外と見ているようで見ていないものだ。
ヨウは僕の言葉を聞き、ショックを受けたようにその目を見開く。
「ひ、酷いです、ハルトお兄様。毎日学院での出来事を詳細に報告していたのに……」
あー、あれって報告だったんだ。
友達が出来て凄く嬉しそうにしてたから、学校での出来事を家族に話す娘的なアレだと思って聞き流してたよ。
「ハルト先生! 先生はなんの授業を担当なさるのですか!」
「良い質問だね。僕の担当は『リーダーシップ論』だ。ここにいる生徒達は将来人の上に立つ人物が多いだろうから、高レベルパーティーのリーダーとして色々教えてやってくれって学長に言われたよ」
「学長直々に!? 流石はAランク冒険者ですね! 楽しみにしています!」
楽しみにして貰っている所悪いが、僕は生憎と『リーダーシップ論』なんて言うふわふわした怪しげなぼったくりセミナーみたいな授業を受講した経験が無い。
だから一体何を教えれば良いのか、そしてどこを評価すれば良いのか。まるっきり謎だ。
考えが思い浮かばな過ぎて、いっそのこと生徒達にも温泉を掘らせようかと考えているくらいである。
Aランク冒険者をただ遊ばせておくのは勿体無いというレドン学長の考えも分かるが、素人の僕らに教師をやれというのはどう考えても無茶振りでしかない。
特にアインを教師に任命するとか、レドン学長には破滅願望でもあるのだろうか。
僕達というストッパーが居なければ、自分の教え子だろうと平気で斬るよ彼は。
「まぁ僕の仲間もそれぞれ魔法や剣術、薬学を教える予定だから楽しみにしててよ」
「他は分かりますが、剣術……ですか? 我々は魔術師で、剣など持ったことも無い者が多数なのですけど……」
「大丈夫だよ。杖で剣術するから」
「…………それは杖術と言うのでは?」
いや僕もそう思うけど、教える当人のアインが剣術だと言うのだから仕方ない。
彼にとっては、杖術も格闘術も、頭突きや金的だって立派な剣術なのだ。
ガラララ
そうして質問タイムと言う名の雑談に興じていると、一人の生徒が扉を開けて入って来た。
腰まで伸びた長く艶のある黒髪。
コントラストを引き立たせる陶器のような白い肌。
先程まで寝ていたのか、今にも閉じてしまいそうな瞳は、油断すると吸い込まれるのではと錯覚させる不思議な魅力がある。
「よぉ、遅かったな。また遅刻だぜリセア? お前アタイが起こしてやった後二度寝しやがったな?」
そう、やって来たのは僕の勇者ちゃん――リセアであった。
リセアは勇者パーティーの仲間である先輩の隣りの席に腰を下ろし一息つく。
子供の頃見た美しさにはさらに磨きがかかり、右目の下の泣きぼくろも相変わらず健在。
僕は想い人との久し振りの再会に息をするのも忘れて見惚れてしまう。
「……うん、まだ眠かったから。でも、四度寝は我慢した。褒めて?」
「三度寝してんじゃねーか!? どこに褒める要素があんだよ! 今日は新しい先生が来るから遅刻すんなって言ったろ?」
学院の制服は男子はズボン、女子はスカートと定められている。
なので当然リセアもスカート姿なのだが……
くっ、スパッツやストッキングも履かずに生足だと!? 僕を殺す気か!?
オシャレの為にスカートの丈を短くする女生徒も多い中、リセアは膝くらいの位置に調整し、スカートを健全に履きこなしていた。
僕の位置からは前の席に座っている生徒が邪魔で、右のふくらはぎしか見えないが、それでもリセアの生足の魅力は存分に伝わって来る。
細すぎず、太すぎない。肉付きの良い健康的なふくらはぎ。
恐らく魔法の訓練だけでなく、身体もよく動かしているのだろう。
勇者の名に相応しい、それは見事なふくらはぎだ。
「ほら、遅刻したのに謝罪もねーから新入りがこっち見てるぞ? テキトーに謝っとけ」
いやテキトーはダメだろ……。
まぁ他でもないリセアが謝ったら僕は何でも許しちゃうだろうけど。
「…………新入り?」
「あぁー、リセアが冬眠している間に色々あったんだよ。ま、その話は後だ。ほら、こっち来たぞ」
僕はこてんと可愛らしく首を傾げるリセアを見て、居ても経ってもいられなくなり教壇を降りて彼女の元へと向かう。
すると、ようやくリセアはその美しい双眸を僕に向けてくれた。
「…………………………」
「…………………………」
交差して絡み合う僕らの視線。
運命の赤い糸で結ばれた僕達の間に言葉は要らない。ただその目を見れば、相手の言いたい事など全て分かる(多分)。
だがそんな僕達の愛のコミュニケーションの間に割って入る無礼者が一名いた。
「いや、リセアも新入りもなんか喋れよ! なんだよこの謎の沈黙は!」
なるほど、それもそうだ。
せっかく運命の相手と再会したのだから言葉を交わさなければ勿体ない。
どうやらあまりにもリセアが可愛すぎて、僕の言語機能が麻痺してしまっていたらしい。
恐らくリセアの側も、「なにこの先生メッチャカッコいい! 結婚したい!!」とか考えて言葉を失っていたのだろう。
でも、なんて声を掛けようか……。
初めまして? 久しぶり? それとも、まずはおはよう?
どれもイマイチしっくりこない。
リセアに対するこの数年に堪った想いが大きすぎて、なかなか相応しい言葉が思い浮かばないのだ。
だがこういった時の対処法を僕は知っている。
頭を空っぽにして思った事を素直に口に出せば良いんだ。
日頃から特に何かを考えて喋っている訳では無いが、僕は意識する事でいつも以上の無心を目指す。
さながら滝に打たれながら無我の境地へと至る修行僧のように。
見事余計な邪念や雑念を振り切る事に成功した僕は、座っているリセアの視線に合わせて立ち膝の姿勢を取る。
そしてリセアの目を見詰めながら言った。
「結婚しよう」
僕の言葉で教室中が一斉に色めき立つ。
そんな中、隣りの席の先輩はポツリとこう呟いた。
「……あれ、なんかデジャブ?」
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