第39話 聖女

 冷え切った不衛生な床。床に穴が開いているだけのトイレ。そして、鋼鉄の檻。

 僕はまさに囚人のように牢屋に閉じ込められている最中だった。


 一体何故!?


 おかしい、僕は歓待を受けるためにここにやって来たはずだ。

 それがどうしてこんな扱いになる?


 最初は歓迎パーティーの準備が整うまでの待機室かなにかだと思っていたが、こんな場所に一時間も放置だなんて普通じゃない。


 まだウェルカムドリンクも貰っていないんだぞ!?


 僕はいい加減この檻から抜け出したくなり大声で叫んだ。


「誰かー! 誰かいるーッ? 檻の生活にも飽きたからそろそろ出たいんだけどー?」


 シーン


 僕の言葉に反応する者は誰もいない。

 もしや聞こえていないのだろうか。


 仕方なしに自力での脱出を試みようと檻の扉を調べるが、鍵がかかっていてビクともしなかった。

 ……ここに入れられて、すぐさま鍵を閉められた時におかしいと気付くべきだったか。


「うおおお、僕をこんな所に閉じ込めてただで済むと思うなよー! 僕は繊細なんだ! こんな所で寝て風邪でも引いたらただじゃおかないからな(アイン達が)!!」


 檻をガンガンと叩きながら叫ぶ僕。

 暫くそうして叫び続けていたら、ようやく反応が返って来た。


「あー、うっせーなー。騒がしくて寝れねーじゃねーか。諦めろ新入り。連中はアタイらの言葉になんて耳を傾けやしねーよ」


 低めの女性の声。

 その出処でどころは右隣りの壁の向こうからだ。


「なんだ、人いたんじゃん。なに、君も閉じ込められてるの?」

「気安い野郎だな。そうだよ、アタイは三日前からここにいる。分かったらアタイの事は先輩と呼びな」 


「先輩はなんで閉じ込められちゃったの? もしかして僕みたいに歓迎パーティーを開くって騙された?」 

「……アタイはそんな馬鹿みてーな理由じゃねーよ。人を待っていたらあいつらに集団で囲まれて、ここに連れて来られたんだ」


 馬鹿みたいとは失敬な。

 僕は高度な騙し合いの末仕方なくここに閉じ込められているだけだ。


「アタイは太陽教で結構偉い地位にいるからな。多分身代金をガッポリ踏んだくるつもりなんだろう」


 太陽教と言うと、世界で最も信者の多いメジャーな宗教である。

 それがこんな荒っぽい口調の、それもあっけなく牢屋に閉じ込められるような女を偉くするだろうか?


 …………怪しい。


「おっ、信じてねぇなテメェ? ったく、これでもアタイは当代の聖女として崇められてんだぜ?」


 聖女だって!?


 確か、聖女は勇者ちゃんの現状唯一の仲間。


 会ったばかりである先輩の言う事を完全に信用し切ることは難しいが、学術都市に近いここに聖女が居てもなんら不思議ではない。

 もしや僕がここに閉じ込められたのは、単なるうっかりとかではなく、聖女せんぱいを救って勇者ちゃんを惚れさせるためだったのでは――?


 ヤバい、流石は僕。考え無しの行動でも常に最善の選択を選んでいる。


「ふっ、知っていたさ。実を言うと、僕は聖女である先輩を救う為にここまでやって来たんだ」

「……いや、さっきまではまるで意図しない内にここに閉じ込められたー、みたいな口調だったじゃねーか」

「それは敵を欺くための演技だ。騙されたな」

「アタイを騙してどうすんだよ……。せめてその檻を出てから言え」


 出られるもんならとっくに出てるわ!

 アインやシュリならばどうにか出来るだろうが、僕は頭脳派なのだ。

 こんな鉄製の檻には傷一つ付けられない。


「まぁ気を落とすな新入り。アタイの待ち人がそろそろニノの街に到着するハズだ。そうすれば、その待ち人が教会の連中と一緒にここへ乗り込んできて助けてくれる」

「へぇ、そんな強い人を待ってたの?」

「あぁ、最近Aランクに認定された期待の冒険者達だ。確か五人組のパーティーで、リーダーの名前は……」

「……ハルト?」

「そう、それだ! ってあれ? なんで新入りがその名前を知ってんだ?」


 なるほど、五人組のAランク冒険者でリーダーはハルトか。

 世の中には僕達と似たような冒険者が居るんだなぁ。――ってんな訳あるか!


 最悪だ、完全に僕達だよそれ。

 どうやら僕達を本当に迎えるはずだったのは、あのムサいオッサン達ではなく先輩だったらしい。

 確かに聖女なら僕らを迎え入れるのにこれ以上ない人材だよね。


「実は、僕の名前もハルトって言うんだ」

「へぇ、そんな偶然あるんだな。良かったじゃねーか、英雄と同じ名前で」


「ついでに僕も冒険者で、五人組のパーティーのリーダーをしてるんだよ」

「……ますます凄えな。こりゃこっちのハルトも将来はAランクになれるんじゃねーか?」


「……もうAランクなんだよね」

「………………我が女神ソラよ、アタイはここで死ぬのですか?」


 凄い、壁越しで姿は全く見えないのに必死に祈ってるのがこちらにまで伝わって来る!


「死ぬなんて大げさだなぁ。太陽教の人が助けに来てくれるんでしょ?」

「太陽教に戦える人間は極僅かしかいねーよ。この短期間では集められても十人ってところだろうな。さらに太陽教には殺生の禁止という教義もある。こんな条件じゃ、あの百人近い集団にはとても――」


 なんて使えない宗教なんだ。


 僕達の先生であるリャキト教の暴力シスターなんて毎日動物やら魔物を殺しまくってたよ?

 自身の邪魔をする者は教え子だろうと村長だろうと力で黙らせるゴリラ女だったよ?


 まったく太陽教は情けなさすぎる。


「でも仲間のピンチなら勇者ちゃんが動くんじゃない?」

「勇者ちゃん? あぁ、リセアなら多分助けに来ないぜ? テスト勉強で七徹したから五日くらい寝るって言ってた。リセアが起きるのは早くても明後日だ」


 いくらなんでも寝過ぎだろ勇者ちゃん!?


 しかし勇者ちゃんの名前が早くも判明したのは嬉しい。

 世間では勇者とか、当代の勇者としか言われていないから、勇者ちゃんの情報は全くもって手に入らなかったんだよね。マリルは勇者ちゃんの情報を頑なに教えてくれないし。


 リセア……うん、僕のお嫁さんに相応しい可愛い名前だ。


「ちなみに先輩の名前は? これから助ける相手の名前くらいは知っておきたい」

「まだそれを言うか。まぁ同じ閉じ込められ仲間として名前くらいは教えてやる。アタイはユノ、聖女ユノ様だ。聖女として無駄に有名だから聞いたことくらいあんだろ?」


 ヤバい、全く聞いたことが無い。


 でもしょうがないよね。僕はずっと田舎の村で生まれ育ってたし、勇者ちゃんにぞっこんだったから聖女なんて眼中になかったし。


 聖女としての自身の認知度にはそれなりの自負があったのか。先輩は言葉に詰まった僕の反応を受けて少しいじける。


「ふ、ふん! そりゃアタイだって世界中の全ての人間が聖女を知ってるとは思ってねーよ? でもさぁ、せっかくジルユニア帝国内から建国以来初めて聖女が誕生したんだから、帝国民は知ってくれてると思うじゃん? ……なんだ、アタイって案外大したこと無いんだな……」


 凄い落ち込みようだ。

 こんな時、一体なんと声を掛けてあげれば良いのやら。


「…………まぁ、生きてればその内良い事あるよ」

「くっ、慰めんじゃねーッ! 顔も知らねー相手から慰められるほど惨めな事はねーだろ!」


 いや、もっと惨めな事なんていくらでもあるでしょ。

 例えばそう……九才の女の子ヨウに腕相撲で負けたりとか。


「安心してくれ、僕はイケメンだ。ついでに美少女が大好きで天才でもある」

「安心出来る要素はどこだよ!?」


 さて、いつまでも楽しくお喋りをしている訳にもいかない。

 僕は先輩を助けた上でここから脱出し、勇者ちゃんを惚れさせなければいけないのだ。


 まずはこの閉じ込められた空間から脱出する手段を探さなければ。

 でも、着の身着のままここに連れて来られたし、武器になりそうなものも何も無い。

 ……もしやこれは詰んだのでは?


「そう言えば、新入りの仲間は助けに来ねーのか? 全員Aランクって話だからあんな数だけの集団どうとでも出来るだろ?」

「あー、そりゃどうとでも出来るけど……皆殺意高めだから。今頃向かって来た敵を皆殺しして、ヒントも無しに荒野を彷徨いながら僕を探してるかも」

「本当にその仲間は冒険者なのか!? ヤクザとか街のゴロツキでももうちょっと頭を使うぞ」


 アイン達は昔から僕やニナという頼れる司令塔がいたから、頭を使う苦労を完全に捨てて本能の赴くまま好き放題やっている節がある。

 唯一マリルだけは、敵から情報を奪う重要性を理解しているが、彼女も僕絡みの事となると直情的になるからな。


 僕らの命運は、マリルの理性に掛かっていると言ってもいいだろう。


「まぁまぁ、落ち着いて? 夜は長いんだ。一緒に朝まで歌でも歌ってこの鬱々うつうつとした雰囲気を吹き飛ばそう!」

「まだ昼過ぎだぞ!? 何十時間歌わせるつもりだテメェ!?」


 昔から気分転換には歌が良いと聞く。

 きっと歌えば先程から興奮しっぱなしの先輩も落ち着いてくれるし、もしかしたら僕達の楽しそうな歌声が気になって敵もノコノコと現れるかもしれない。


 僕は自身のナイスアイディアを心の中で絶賛しつつ、歌う為に大きく息を吸い肺に空気を送り込む。そして歌いだした。


「この狭~くて、ジメジメ~とした、窮屈な世界にいつまで僕はいるのだろう~♪ 暗~くて、辛~くて~、逃げ出したい~♪」

「おい、その曲のどこがこの雰囲気を吹き飛ばす歌なんだよ!? 聞いてるだけで死にたくなってくるぞ!!?」


 久し振りに歌うとあり、さらに狭い鉄製の牢屋という事でいい感じにエコーが掛かっているのもあり、僕のテンションは最高潮。

 先輩の言葉をガン無視しながらテキトーに踊りを交えウキウキで熱唱していると、一番のサビが終わったあたりで僕の牢屋の前にシュカとアインが現れた。


「やっほー、お兄ちゃん元気?」

「ハルト、あの連中は雑魚過ぎて訓練にならねぇ。もっと強い敵を寄越してくれよ」


 二時間振りくらいに会った二人はどちらも元気そうだ。

 まぁアイン達をどうこうできる手練れなんてそうそう居ないから心配はしていなかったけど。


 しかし何故ここが分かったのだろう。

 マリルなら敵を拷問するなりして、僕の所在を聞き出しそうだけど、この二人がそんなまどろっこしい真似をするとは思えない。


 この二人は、よっぽどの強敵でも無ければ敵と会話なんてしないし、頑張って情報を得ようとしても、「情報を吐け」→「誰が言うもんか」→「なら死ね」ってなるタイプである。

 基本的に堪え証が無いのだ。



「…………もしや、僕の美声が二人を召喚した!?」

「んなわけねーだろ!!」



 隣りの部屋から先輩のツッコミが響き渡る。

 そうか、違うか。僕の秘めたる才能が開花したのかと期待してしまったが、流石に歌で人間を召喚するのは人類という枠組みから逸脱し過ぎているよね。


「来てくれたんだね、アイン、シュカ!」


 何はともあれ、こんなに早く助けに来てくれるとは思わなかった!


 状況から考えて、どうやらマリルが血を求める本能と殺意の衝動に打ち勝ったらしい。

 殺したがりのアイン達を押さえ込み、敵から情報を得る事に成功したのだ。

 僕は信じていたよマリル!


「でも他の三人はどうしたの?」

「お姉ちゃん達なら別の拠点を潰しに行ってるよ。マリルちゃんが盗賊達を尋問したんだけど、全部で十五ある拠点のどこにお兄ちゃんを連れて行ったか、連行した当人達じゃないと分からないって言われたから、取り敢えず二手に分かれて全部潰す事にしたんだ」


 なるほど。ならこの短時間で僕のいる場所を見つけ出せたのは相当に運が良かったのか。

 ていうか、あの連中盗賊だったの!? 誰だよ、魔術学院の先生なんて言った奴。……僕か。


「それじゃ伏せてなハルト、この檻を斬ってやる」

「あ、隣りの檻もついでに頼むよ。先輩も助けてあげたいんだ」

「先輩? もしかしてお兄ちゃん、その人を助ける為にわざわざ自分からここに入ったの?」


 当初はそんな予定ではなかったが、勇者ちゃんであるリセアちゃんの仲間と聞いて見捨てる真似は出来ない。

 僕はきっとここで聖女せんぱいを助けてリセアちゃんにお礼のキスを貰う運命だったのだ。


「まぁね。先輩は聖女だから、ここで彼女を失う訳にはいかない」

「へぇ、聖女か。てことは強えーのか? 剣士なら一度戦ってみてーな」


 いや聖女って言ってるだろ。

 どこの聖女が剣を振り回して前線で戦うと言うのか。


「んじゃ斬るぜ? おい、聖女。テメェも伏せてろ。じゃねぇと身体が真っ二つになっちまうぞ?」

「へいへい、ご忠告ありがとさん。だけど、元々床に寝っ転がってたから、その心配はいらねーよ」


 シュパンッ シュパンッ


 聖女の言葉を聞き、斬っても問題無いと判断したアインは、本当に軽くといった感じで短剣を横薙ぎに二度振り、鉄製の檻を斬る。すると、人が充分通れる程の空間が出来た。


「流石はアインだね。また剣の腕を上げたんじゃない?」

「へへ、やっぱそう思うか? 人を斬りまくったらなんかコツを掴んだんだよ」


 それは良かった。

 きっと斬られた人も未来の剣聖の糧になったのなら本望だろう。


「うーん、やっと出れたぁー!」


 久し振りに牢屋の外へ出た事で、これまでに無い程の解放感を感じる。

 腕を大きく上に上げ伸びをしていると、隣りの牢屋から出て来た先輩も僕と同じようにこわばった身体をほぐしていた。


 ようやく姿を確認できた先輩は、聖女と呼ばれるだけあってかなりの美少女だった。


 子供のように小柄な体格とそれに似合わぬ大きな胸。

 そして整った顔の造形と大きな瞳は、周囲に庇護欲を引き立たせる。


 そこにいたのは、まさに喋らなければ完璧な聖女。


 そんな先輩の姿を見て、最初に口を開いたのはシュカだった。


 シュカは先輩の前で片膝を付き、右手を差し出す。

 そして真剣な面持ちでハッキリと言った。



「惚れました。ぼくと結婚してください!」

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