第29話 狂った狂犬③

「彼は?」


 突如やって来た大男を指差し、マリルがテゾンに問い掛ける。


「交配実験に関わっていなかったため処罰を免れた唯一の古株の幹部です。名はグオと言います」


 以前までの幹部は貴族に粛清されて殺された。

 という事は、彼が【狂犬】幹部のたった一人の生き残りという訳だ。


 グオは手に持っている三十センチ程の小型のハンマーを壁に叩きつけ、苛立ったようにテゾンに話し掛ける。


「テゾンさんよぉ。【黒狼】の直系であるアンタを立ててこれまでは従って来たがな。こんなガキ共に忠誠を誓うたぁ、どういうことだ!?」

「……これはボスとしての私の決定だ。いくらお前でも逆らうのは許さん」


 どうやらグオは【狂った狂犬】が僕達に忠誠を誓うのが気に食わないらしい。


「そもそもこっちは下っ端を殺されてんだぞ? なら報復するのがセオリーってもんじゃねぇか!」

「先にこの方達の身内に手を出したのはこちらだ。それだってお前が私の名を使って勝手に部下に人攫いみたい命令を下したのが悪い」


 へぇ、ヨウを捕まえて変態に売ろうとしたのはテゾンじゃなくてグオだったのか。

 ならヨウにこの男の処罰を決めさせても面白いかもね。


 …………そう言えばヨウは無事に裏口を見付けられたのだろうか?


「うっせぇ! テゾン、あんたが決断しねぇから俺がしてやったんだろうが! こんなガキ共くらい、俺が瞬殺して――」


 グオがそう言った瞬間だった。

 アイン達が目にも留まらぬ速さでグオを包囲する。


 アインは短刀を首筋に、シュリは拳を顔面に、シュカは魔法で作ったツララを心臓部に、マリルは手に持った矢を後頭部にそれぞれ寸止め。


 ……これは僕も股間を蹴り上げる素振そぶりくらいした方が良いのかな?


「ガキ、ガキと先程から失礼ですね。私達は正真正銘の大人です」

「当然アッチの方も経験済みで立派な大人だぜ?」

「それはアインだけでしょ。私達はアッチの方はまだ純真無垢な子供よ」

「話がややこしくなるから静かにしようよアイン君」


 殺意を剥き出しにして、グオを威圧するアイン達。

 グオは突然のその動きにまるで反応出来ていなかった。

 目を大きく見開き、脂汗を流しながら間近に迫った死に恐怖している。


「そもそも、貴方達の忠誠はハルト君が既に受け取っています。今更それを話し合う権利などあなた達にはありません。これ以上駄々をこねるのなら反乱分子としてここにいる者全員を皆殺しにしますよ?」

「そ、それはどうかご勘弁を」


 マリルの言葉を聞き、テゾンとその周囲の幹部達は顔を真っ青にして謝り出す。

 いい加減大の字に寝転がる大人達という光景にも見飽きて来たので、普通に立って謝って欲しいのだが今それを言うのはなんだか空気が読めていない気がするので黙っておく。


「ほら見て下さいハルト君の表情を! とっても怒ってますよ!」

「いやどこがだよ! 真顔じゃねーか!」


 マリルの言葉にすぐさまグオが反論する。


 いつ死んでもおかしくないと言うのに、意外と余裕あるな彼。


 にしても、僕を引き合いに出してお説教するのはやめて欲しい。

 全く以て僕は怒りを抱いていないし、今は如何にして彼らに勇者ちゃん似の女の子を探し出して貰うか考えていた所なのだ。


「いいえ全然違います。ほら、眉と眉の間がいつもより一センチくらい寄っています。これはもう『おこ』を通り超して『激おこ』状態ですよ!」


 それはもはや誤差の範囲だよね。

 そんなもので僕の機嫌を図られたら、僕は今後仮面でもしなきゃ生きていけなくなっちゃうよ。


「初対面の俺がそんな変化分かる訳ねーだろ!」 


 初対面どころか僕本人ですらそんなの分からない。

 一体マリルはどれだけ僕の変化に敏感なのだろう。


「ていうかおこ? 激おこ? お前は一体何を言ってるんだ?」


 『おこ』、『激おこ』というのは、先生が僕達に教えた意味不明言語の一つだ。

 他には『なう』や『チョベリバ』なんてものもある。

 意味は……僕達も完全には理解できていない。どれも取り敢えず感情が昂っている時に使っておけば良い言葉であるらしい。


「ごちゃごちゃとうるせー奴だな。死ぬか服従かサッサと選べ」

「そうだよ。おじさんが死ねば全て丸く収まるんだから」


 とんでもない二択だな。

 僕の幼馴染達は昔から身内以外にやけに厳しい。


「分かった。あんたらに従う」

「……怪しいわね。そう言って後ろからずぶっと刺すつもりなんでしょ?」

「どうしろってんだよ!? 俺は自分よりも強い奴にならちゃんと従う。それは強ければ強い程良い。あんたらなら百点だ」


 グオは持っていたハンマーを床に落とし、降参の意を伝える。

 そしてアイン達はどうする?と僕へ視線を向けきた。


 うーむ、殺せって言えば皆は躊躇いもなくグオを殺すんだろうな。

 流石にそんな指示は下さないが。


 ここで意表を付いて踊れって言ったらどうなるのかな?

 ノリの良い皆なら喜んで踊ってくれそうだ。


「グオ。君をどうするかはヨウに任せよう。ヨウは君のせいで拉致された被害者だ。覚悟はしておくんだね」

「……承知した」


 僕の発言を受け、アイン達はグオへの警戒を解き僕の近くへぞろぞろと戻って来る。

 グオも自身の命令によって被害を被ったヨウからの報復を恐れ、表情に影が落ちる。


「…………すまんさっきから腹が痛くて仕方ないんだ。トイレに行かせてもらっても良いか?」


 ――と思ったが、どうやら腹痛を我慢していただけみたいだ。

 何故わざわざ僕に訊ねるのだろうと疑問に思いながらも、僕は許可を出す。


「二階のトイレは今修理中で、一階のトイレしか使えんぞグオ」

「分かった」


 そうしてテゾンの言葉に頷くと、グオはお腹に刺激を与えないようすり足になりながらそーっとトイレへと向かって行った。


「ハルト君。ヨウちゃんに任せるってそういう事だったんですか?」


 そういう事…………?



 ――……あっ! もしかしたら今トイレにはヨウがいるかも!?



~~~~~~



 ドンドンドンドン


 屋敷中に響き渡るような強い勢いのノック音が鳴り渡る。

 当然その音の発生源はトイレのドアであろう。


「誰だよさっきから個室を占領しているやつは!? 早くしてくれ、もう限界なんだ!!」

「入ってます」

「入ってるのは知ってんだよ! 早く出ろって言ってんの!!」

「入ってます……」


 グオの肛門括約筋もいよいよ限界が近付いて来たのか。

 焦ったようなグオの声と、ちょっと困ったようなヨウの声がこちらにまで聞こえてくる。


 そしてヨウは僕の言った事を真に受けて『入ってます』botと化していた。

 ……いやそれ以外喋るななんて一言も言ってないんだけど!?


「てか屋敷の連中はテゾンやメイドを含め、ホールに全員いたはずだぞ!? 本当に誰だよお前は!」

「入ってます」

「だからそれは分かってるっつーの!! もう十五分はここで待ってるんだぞ!? どれだけ長いウンコなんだよ!」 

「…………吐いてます」

「ウンコじゃなくてゲロだった!? だったらもうトイレじゃなくて外で吐けよ! 迷惑なんだっつーの!」


 凄い、ヨウの奴使える語彙が少なすぎてあまりにも会話にならないから、『入ってます』を改造して無理矢理会話を繋げたぞ。 


 マリルもその手がありましたか!と感心した様子だ。


 バリボリバリボリ


「っておい! お前なんか食ってんだろ!?」


 あぁ、多分さっきマリルがあげた煎餅だな。

 トイレで煎餅なんて食べないと言っておきながら当たり前のように煎餅を食べ始めた所を見るに、余程トイレにじっとこもり続けるのは暇らしい。


「吐いてます!!」

「なんで逆切れ!? 明らかに吐いてる音じゃねーだろ!」


 バリボリバリボリバリボリ


 ヨウも肝が太いな。

 あれだけ急かされてもトイレを出るどころか、煎餅を食べる手すら止めないとは。


「も、もう本当に限界だ! お前ズボンとパンツは脱いでないな!?」 

「……? ……履いてます」

「よし、十秒以内に出て来なかったら俺はドアを蹴破る! 分かったらサッサと出てこい!!」

「はい、出ます!」

「よ、よし……やっとこの腹痛ともおさらばだぜ。クソ、あの目玉焼き屋のオヤジ、期限ギリギリの卵を使いやがったな。トイレが済んだら覚えておけよ……」


 ……。


 …………。



 …………………………。



「なんで出て来ねーんだよ!!」


 グオの言葉通り、待てど暮らせどヨウはトイレから出て来なかった。

 そして煎餅をかじる音も消えない。


「ハルトの許可が無いから出て来れないんじゃない?」


 するとその様子を見かねたシュリがそんな事を言う。

 いや、まさかそんな訳はないでしょ……たぶん。


「ぼくもお姉ちゃんの言う通りだと思う。お兄ちゃんはヨウちゃんに復讐する機会を与えたけど、本人はまだそうだと理解していないからね。きっとお兄ちゃんの言いつけを破れば、ぼくたちに不利益が生じるとでも思ってるんだよ」


 別に僕はトイレで復讐しろだなんて欠片も思っていないのだが……。

 だがシュカのその推測はなかなか的を得ている気がする。

 なので、僕は試しにヨウのいるトイレに向かって「もういいよ」と告げてみた。


「分かりました、ハルトお兄様!」


 その言葉を聞いた瞬間、開かずの間と化していたトイレの扉がバッと開く。

 本当に僕の許可待ちだったよ……。


「そろそろおせんべいも無くなりそうでどうしようかと思ってたんです。助かりまし――キャッ!」


 トイレの前でヨウが何を見て悲鳴を上げたのか。

 そしてこちらにまで漂ってくる異臭はなんなのか。


 僕らの倍は生きているグオに敬意を表し、詳細は差し控えさせてもらう。


 ただ、彼のズボンとパンツはすぐさまゴミ箱行きになり、暫く彼の屋敷内でのあだ名が『うんこ野郎』になったという事だけは言っておこう。

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