タイトルなし 210513
13日の金曜日。
皆様がこの日に抱くのはふわっと「不吉」、あるいはガッツリ「デモリッシュ」という印象だろうか。人によってはホッケーマスクとマチェットをもってキャンプ場に行く日でもある。
その起源は実にあやふやで、キリスト教的に不吉というイメージこそあるものの、総本山イタリアではそこまででもなく、むしろアメリカのようなキリスト教の伝播が遅かった地域こそ強烈に意識されると聞いている。
肇に断っておくが私は悪魔崇拝者でもないし、うらぎりものの名をうけて全てを捨てて戦う男でもない。チェンソーマンでもなければ人吉善吉でもない。
だが、強烈に嫌な予感がしていた。不吉凶兆でもいうべき何かが迫っている、そう直感した。しかし、私は何も手を打てずにいる。その正体がわからないからだ。
仕方なく、私は映画館に向かった。なんとなく私自身が知っていることなのだが、本当に不吉が迫っているなら、見る映画はたいてい期待外れになるのだ。
ということで、「死刑にいたる病」を見てきた。
https://siy-movie.com/
日本人のミステリを原作に作られた、重厚そうなプロモーション。シリアルキラー、いや和製ハンニバルこと榛村役を面白個性派俳優こと阿部サダヲが、事件の真相を追うFラン大学生(行動力◎顔面◎推理力◎そして何より非童貞というハイスペ人材)を岡田健史が演じている。
当たり前だが犯人は榛村だろうし、警察が非介入である以上アリバイ崩しや密室崩しがあるわけでもない。マジメに警察が追いかけなかった関係者同士の線を解きほぐしていく、ミッシングリンク探しというのが主題だ。つまり、「へーあの人っとあの人っとあの人とあの人とあっの人でオリオン座」を作るわけだ。
およそ私の納得できる内容ではない、知性と知性のぶつかりあう高尚な映画にはなりえないだろう。私の苦手なグロい映像や暴力表現も出るかもしれない。
クソ映画であってくれ
結論、私の目論見は大外れだった。
一種の占いがてら見るべき内容ではなかった。展開も結論も伏線回収も肝心かなめの構成も、何もかも予想通りだったのにもかかわらず、演技と演出だけで圧倒されてしまった。悔しい。
つまり、死にたがりの君たちも、そうでない君たちも見るといい。命の尊さなんてこれっぽっちも意識できない。一方的な不条理、それも「終わったこと」がただ目の前で流されていく無力感。エンドロールが流れ切って「終わった終わった」と明るい廊下に出た時の、肩の荷が下りた時の虚脱感。
私が2度味わった感覚によく似ている。
喉元をムカデが這いまわるような、言いようもない感覚になりながら私は劇場を後にした。結局、凶兆が何なのか、私の前にすでに現れているのかはわからない。私には、ただ、怯えて暮らすことしか許されていないのだ。
◆
本来なら自分語りなど許されないのだが、あえて言わせてほしい。許してください。
「こっち側に来たらもう戻れないよ」と、私は言われる側にいる。もちろん、そっち側に行くつもりはない。私は快楽のために人は殺さないし、そう言う形でしか関われないわけでもない。いや、後者については疑問の余地はあるものの、少なくとも被害者をいたぶる趣味はない。むしろ逆だ、苦しみを終わりにしてあげたい、それだけなのだ。
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