タイトルなし 210512
一体全体、世間は大賑わいだ。
縊死。
ほんの数週間前までこの2文字の読み方を、ほとんどの人間が知らなかったはずだ。それがどうだ、「まさかあの人が亡くなるなんて」の連続だ。一体全体、何が起きている?5月病とは死に至る病だったとでも?
いや、その可能性はぬぐえない。4月、何かを始めて、5月、何も結果ができず死んでいく。期の変わり目は人生の節目なのだ。そこでプツンと何もかも終わりにしたくなる衝動に駆られるのは、実にもっともらしい道理なのだ。
末恐ろしいのは、「周りの人のためにも死ぬべきではなかった」という意見が見当たることだ。そう言う人こそ、少し冷静になって考えてほしい。死ぬほど追い詰められている人間に「俺のことも考えてくれ」というのは酷ではないか。紐で括り付けて猿轡をかませる確固たるエゴをもってしてでも、「あんたが死んだなら悲しい」と言えるのか。
「ウチも死ぬほど悩んだけどね」ではないのだ。当の本人が「死ぬまで」悩んで出した結論を多少尊重しようとは思わないのか。もしくは助けになれなかった自分を呪おうとは思わないのか。後からしゃしゃり出て賢ら顔で自分語りとは。はいはい、強いですよあんたは。アンパンマンみたいに頭を食わせて元気を分けてやってくれ。
結局必要なのは、「妥協」なのだと思う。やりたかったことができない。はたから見れば幸せかもしれないが、当の自分はそう思わない。自分の出た作品がぼろくそに叩かれる。何か、できることがあったんじゃないか。これらの発想を「まま、これでええやろ」「しゃあない、切り替えていけ」と、自分のことを棚に上げて切り捨てることが必要なのだ。
私はそう言う意味ではいい判断をしたと言える。「死」はゴールだ。それ以上でも以下でもない。生きている当の本人はどうであれ、死んだ本人はもう何も感じない。そこに損得もない。悲しみ怒りも不満も後悔もない。終わりだ。つまり、私にとって、殺人がもたらす死という結果の評価は完全に私の主観によってなされるものなのだ。自己満足と、妥協。これでよかったのだと私が思ってさえいれば、それ以上の負の側面は追ってこない。
以上が、2件目の依頼を果たして感じたことだ。必要なのは踏ん切りではなく、妥協だ。それはすべての人生に言えることだ。諦めずに日本代表になっても、適わない相手にはとことん負ける。夢は追いかけないと叶わないが、追いかけても叶わない時はあるのだ。
もう一つ、言わなければいけないことがある。縊死は決してすべてが自殺とは限らない。あくまで首がしまって脳に血液や酸素が行かないことによる臓器の機能不全が起きることによって死亡することを差すのであって、それが「自分で」首を絞めたとは限らないのだ。いのちの電話のコールナンバーが記事の末尾に書かれているからと言って、「彼は自分の人生について誰にも頼れずに死んでしまった可哀そうな人」と断ずるのは早計、というか失礼千万だ。もちろん、自死であるケースが多いのは事実なんだろうが、あれはあくまで、君たちの後追い自殺のリスクを少しでも軽減する目的ということを忘れてはいけない。
そう、私が殺した可能性だって万の一くらいにはあるのだ。
だが、彼らのイシは無駄にはしまい。やはりかつての名優が死ぬよりも、明るめなイメージのある人間、それも芸人が死ぬ方がインパクトがある。
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