タイトルなし 210427

何かしようと思った時。しかもそれが人生における大きな決断だった時。背中を押したのは何だろうか。友人や恩師の言葉、憧れへ、たぎる情熱、あるいはほんのちょっとのきっかけ。

結論から申し上げるなら、先ほど一人お亡くなりになりました。言葉を選ばなければ、私がこの手で殺した。だが、仔細は割愛する。当たり前だが、その文章から私にたどり着かれるわけにはいかない。それでもこの文章を読んでいる人間にどこぞの殺人鬼のコピーキャットだと疑われるのは癪だ。だから一つだけ、公開時点では誰も知りえない情報を書き加えておくことにする。


「二宮三四郎」を殺してきた。今でこそテレビに出ることはない俳優だが、一時期はドラマによく出ていた。そんな人物でも殺害されれば多少は報道されるだろう。そこには大きく弊社、いや私のコンセプトを書いておいた。そのうち警察の捜査が進めば、私とのコンタクトの取り方も公開されるはずだ。あとは私は連絡を待つだけ、滑り出しとして見積もりはかなり甘いが、まあいいだろう。しばらくは二宮の金で生活できるだろうが、自分がニートでない証明のためには仕事が必要だ。社会の歯車としてドロップアウトしたはずなのに、そうやって執着している自分に吐き気を催すが。


これを読む人間がいるとすればどういう人間だろうか。警察、あるいは中2で(中略)クサレ野郎というところだろうか。私もクサレ野郎だったことを思い出し、彼ら好みの文章を書こうと思う。逆に言えば熱心なミステリファンは回れ右して帰っていただきたい。私はホワイダニットをひけらかすつもりはないし、御大層なトリックがあるわけでもないから、心底つまらない文章になること請負だ。


まず、「二宮三四郎」との出会いだが、何のことはない、同じメンタルクリニックに通っていたのだ。私の学生時代にはテレビドラマによく出ていたのを覚えている。待合席にちんまりと座る彼の姿は、爽やかでどこか熱い男という印象からとても遠かった。それでも私が彼を「二宮三四郎」だと判別できたのは偏に運がよかったと言う他ない。どこの世界にもデリカシーのない人間というものはいるもので、彼が女性にクリニックの前でサインを求められているのに、たまたま立ち会わせたのだ。

私は胸が弾んだ。渡りに船とはこのことだ。死にたがっている元有名人が近くにいたのだ。こんなにご都合主義的な展開もないだろう。気づいたら私はWikipediaで「二宮三四郎」の記事を調べていた。

世間が求めるヒーロー像がまだ赤い熱血、青い爽やかさだった時代に、皮肉にも売れすぎてしまったのだ。今や世のドラマはリアルな灰色か優しい黄緑の方が売れるのだ。自分には不相応な理想を屈託のない笑顔で吠えるでも、おもしれ―女と頬を撫でるでもなく、日頃のリアルなモヤモヤを少しだけスッキリさせてくれるくらいでいい。彼は染み付いたイメージを拭えなかった。いや、私も含めて、「暴論を大声で通すやべーやつ」という、歪んだキャラクター像を持ってしまっていたのだろう。それならそれで「面白おじさん」枠で再ブレイクを狙うこともできただろうに、彼はそれまで培った自分のイメージに泥を塗れなかったのだ。その結果露出は減り、忘れ去られた。だが、その実誰も悪くない。彼は彼で自分の過去の仕事を誇ってブレずにいただけだし、周りは周りで見たいものを見ただけだ。需要と供給が絶妙にかみ合わず彼は一人ぼっちになった。そうなると憎むべきは過去の自分か、世間そのものというわけだ。絶望的な二択である。私は、彼は栄光の過去に鎖をつながれてしまったがために病んでしまったと仮定した。

仕事はあまりなくても大きな一軒家に住んでいる彼は、はたから見れば風流人そのものだ。手元のお金を担保にFIREしてもいい、私と比べればかなり未来は開けているように感じる。だが、それはあくまで私視点での幸福の尺度によるのだ。事実として彼は精神が異常をきたすほどに追い詰められていたし、私の提案を彼は受け入れているのだ。彼ら芸能人は「お金」と「ルックス」、「才能」があるように見えるからこそ、嫉妬されるし「有名税」などという理不尽を押し付けられる。画面の彼らが心から笑っているかと言われればそれは違うのだろう。私も「楽しそうに仕事をする」とよく言われたものだが、単純にいつ何時もヘラヘラと笑うしかなかっただけだ。

直接会って、よければ私があなたを殺しますよと提案した時、彼のぽつりと呟いた言葉は「これで、俺がいたってこと、忘れられないかな」という、実に芸能人らしい一言だった。少なくとも私は彼のことを忘れることはないだろう。


殺し方はいたってシンプルに。当たり前だが、私だってできることならサッサと済ませたいのだ。立ったままだとバランスが悪いので、壁に背をつけてもらった。結果は、あまり芳しくはなかった。本当なら心臓を一突きにして、楽にしたかったところなのだが、当たり所がよくなかった。ゴボゴボと血を吐きながら1分ほど痙攣していたが、それが静かになったのを見え、「死にたい人コロします」という宣伝文句をスプレーで書き残す。

その後、手の震えは10分は止まらなかった。口から泡立つ赤い液体のことも、まるで美しいとも思わなかった。命の儚さを感じて涙を流すでもない。ただただ、虚脱感。足元に倒れているさっきまで動いていたそれは、もう二度と指の一つも動かせない。だから何だというのだ?私は幸せになれたか?一瞬日和る。それが当人の望みだったとしても、私が望んでいたことなのか?渦巻く自問自答。「馬鹿だなオメー、もう後戻りできないねぇ!」と幻聴も煽る。他人を殺して幸せになれるわけがない。くそったれ、どうしてこんなことに気づかなかった!じゃあ社会人に戻るかと言われればそれも無理だ。私はもう人殺しなのだ。


叫びたい気持ちでいっぱいだったが、すぐに考え直す。


まあでも、自分にできることなんてこれくらいしかないのだ。やれるだけやってみた結果が足元の血だまりだったというだけで。それに「諦めたら試合終了」なら、これはまだ始まったばかり。今の時点で、何を悲観することがあろうか。

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