第219話 隙



View of フィリア=フィンブル=スラージアン スラージアン帝国皇帝






 執務室の隣にある応接室で、私はラヴェルナの入れたお茶を飲みながら一息ついていた。


 少し時間を空けたこともあり、頭に溜まっていた熱が下がる感じはあるけど……ウィッカがこれから話をしに来ることを考えたら、あまり気を抜くわけにもいかない。


「陛下、ボーエン侯爵が面会を求められておりますが、如何なさいますか?」


「問題ない。入れろ」


 扉の近くに待機していたラヴェルナがウィッカの来訪を告げて来る。


 この部屋でのやり取りは執務室に聞こえるようになっているので、ラヴェルナも私も気を抜くことは出来ない……それ故このように形式的なやり取りをしているのだけど、疲れている時は面倒なことこの上ないな。


「陛下、お待たせして申し訳ありません」


 部屋に入って来たウィッカが、私に向かって頭を下げる。


 会議室で傲慢な態度で他を威圧し、何かと言っては戦をと叫ぶ男の姿は何処にもない。


「ウィッカの頼み……しかも急ぎと言われれば仕方あるまい?何かあったか?」


「まだ何かが、という訳ではありませんが……少々西方領地の方が妙な動きを見せておりまして」


「西方領地か……」


 先の離反の件を上げるまでも無く、帝国西方は何かと問題が多い。


 帝都より最も離れた土地であるし、帝国の傘下となってからも日が浅い……問題が噴出するのは仕方のないとも言えるが、こうも頻繁に騒がしくされると頭が痛くなるな。


「彼らの多くは帝国貴族として日が浅く、力がない事を何よりも憎んでいる……自分達を一番蔑んでいるのは本人達なのですがね」


「……中央から派遣した貴族は拒む癖に、なんとも面倒な奴等だ」


「地方貴族にとって、中央の人間は中央というだけで反発する要因となるのでしょう。とは言え、その地方派閥も一枚岩でないのは……良いのか悪いのか」


「地方安定の為に仕方が無かったとはいえ、派閥の権力争いに極力口を出さなかったからな」


 地方貴族達の派閥が形成されるのをある程度自由にさせたのは、地方を安定させる為という事が一つだが、それとは別に、放っておけば派閥同士の牽制により一定以上地方が力を持たないという目論見もあったからだ。


 中央の二大派閥……特に好戦派を掌握できているからこそ、出来るやり方だが……今の状況ではそれが裏目に出ている。


「彼らは帝国への忠誠心かそれとも虚栄心か……どちらにせよ、何とかして立場を向上しようと必死です。地方をまとめ上げてしまえば、小さな功を立てるよりもよっぽど影響力を強められるのですがね……」


「派閥を纏められないのであれば、彼らの対立を煽るように地方に送ったものには言ってあるからな。睨み合う程度の小競り合いならこちらとしては大歓迎だろう?」


「平時であればそうなのですが、今の状況では非常に頭の痛い問題です」


「……資源調査部が機能不全を起こしていなければな」


 本来であれば、そういう怪しい動きは資源調査部の者達が監視して我等に情報を持って来るのだが、今はその資源調査部の齎す情報を完全に信じることが出来ない。


「確かに、この状況で彼等に信を置けないというのは大問題です」


「その事で相談しようとディアルドを呼んだのだが……」


「ディアルド老を……?もしや、まだ育成機関にいる者を使うおつもりで?」


 ディアルドの名から、私の考えを読んだウィッカが尋ねて来る。


「質は落ちるが、流石に育成機関の者までは向こうも把握していないだろう?顔バレしている諜報員なぞ、送り込んだところで意味はあるまい?」


「確かにそうですが……随分と質が落ちることになりませんか?」


「だからディアルドに確認をとるのだ。奴の推挙があれば問題あるまい」


 資源調査部には育成機関で英雄の領域に達することが出来ずとも、諜報員としての教育課程を卒業できたものだけが所属している。


 当然、未だ育成途中の者達とは能力も経験も雲泥の差だ。


「資源調査部のことまでバレている以上、『至天』はおろか英雄予備軍の者共も顔が割れていると見て良いだろう。ならば、ひよこを出すしかあるまい。幸い、今の所こちらの諜報員は無傷で解放されているしな。意外と良い経験を積んで一皮むけるかもしれんぞ?」


「それは希望的観測に過ぎると思いますが……先帝に似てきましたか?」


「……やはり育成途中の者達に実地は早すぎるか。ディアルトに何か代案を出させるとしよう」


 私がそう言ってソファの背もたれに体を預けると、ウィッカは苦笑しながら口を開く。


「申し訳ありません、陛下。口が過ぎましたな」


「好戦派を率いるだけあって、恐れを知らないと見える」


 睨みつける私の視線を意にも介さず、ウィッカは大きく口を開けて笑う。


「はっはっは!相変わらず親子仲は最悪ですな!」


「当然だ。既に死んでいる者相手に和解も何もなかろう?」


 執務室には補佐官たちが居るので、ウィッカの言葉にそんな風に返す。


「……娘を持つ身としては、色々と思う所はありますが……先帝陛下は色々と手加減を知らぬ方でしたからな……」


「あの男と比べればどんな者でも立派な父親だろうよ。」


「こと戦にかけては神懸った読みを発揮する方で、共に戦場に立つ身としてはこれ以上ないくらい心強い御方でしたが……」


「……ウィッカ。今あの男の事はどうでも良い。それよりも諜報員だ。こちらの目と耳が正常に動いていない今、エインヘリアの事も国内の事も霧の向こうだ。最低でも国内の霧を晴らさねば動くに動けん」


 私は不機嫌さを隠すことなくそう口にして……今の自分の発言に何か違和感を感じた。


「……」


「陛下?どうかされましたか?」


 黙り込んだ私の様子に、ウィッカが怪訝そうな顔をしながら尋ねて来るが、私は自分の台詞を反芻しつつ、己の内側へと埋没していく。


 霧……エインヘリアはともかく国内に目が行き届かなくなる……何故?資源調査部の内偵が機能しなくなったから……それはどうして?エインヘリアに情報が漏洩……裏切り……機能不全……。


 胸中に冷たく黒い物が広がって行く感じがする。


 これは……今日の会議中にも感じた……不安?


 あの時は何を考えていたのだったか……そうだ、エインヘリアの動きについて、搦め手を使うのは戦力が十分でないからと考えられれば楽なのにと……。


 会議中に過った嫌な予感、そして今感じた物を反芻した瞬間、心臓が大きく鳴った。


「……ウィッカ。好戦派の連中はエインヘリアについてどう評価している?」


「これと言ってどうこう言えるほど情報がありませんからな。ただ、少なくとも帝国に対して強気に出るつもりはないだろうという事と、それでも我々としては戦う事を前提に動く必要がある。恐らく全ての者がそう考えているかと」


「何故だ?今の所エインヘリアはこちらに攻め込んで来る素振りは見せておらぬぞ?」


「その素振りが見えないからこその警戒ですね。エインヘリアがこの一年侵略戦争を繰り返して領土を拡大してきたのは事実。それが、ここで止まるとはだれも考えておりません。南か東に進む可能性もありますが、北にも小国が二つ……スラージアン帝国とエインヘリアの間にあります。そちらに攻めてくる可能性は非常に高い」


「……我等の庇護下にある国と知った上でか?」


 戦術や戦略に関して、父やウィッカ程の眼は持っていないが……それでも言わんとしている事は分かる。


 だが、それでも私はウィッカに質問する。


 自分の中で生まれた考えを消化する為に。


「だからこそです。エインヘリアは既にソラキル王国を潰しています。あの国が我等の南方の盾だったことは周知の事実。それを知ってなお、ソラキル王国を滅ぼしたのです」


「……」


「エインヘリアは、既に我々に喧嘩を売っている状態なのです。他所に目を向けるよりも我等に集中する可能性は高い。仮にサレイル王国かその隣のスコア王国、そのどちらかが攻められたとしても、我々は派兵する必要があります。エインヘリアの動きを見る限りこれはそう遠くない内に起こることでしょう」


 ……そうなのだ。今この時までこれを完全に失念していた。


 面子がどうこうという話は、今まで全く考慮に入れていなかった。


 何故なら、私達は自他共に認めるこの大陸の覇者だ。


 確かに、名を傷つけられることで被る不利益を厭い、面子を第一に考えなければならない事はある……だが、その為に得体のしれない相手と戦うという発想が、私には無かった。


 何故なら、例え相手が小国であったとしても、私は情報を優先する……面子だなんだというのは、それが無ければ己の権威を維持できないからであって、我がスラージアン帝国は内情はどうあれ、この大陸に確固たる立場で君臨している。


 我等が手を出す暇も無く潰された盾のこと等、私自身、気にも留めていなかったのだ。


「陛下が非常に合理主義であり、相手の情報がある程度集まってから方針を決めるという事は存じておりますが……」


「……帝国が強大であるが故、攻め込まれるという考えが若干薄かったようだな。しかし、ようやく理解出来た」


「何を、でしょうか?」


「エインヘリアの狙いだ。エインヘリアは何かと派手な国だ。それは戦争、政治、技術、そして経済の分野においてもだ。そんなエインヘリアが、我々に対しては随分と弱腰のようだっただろ?諜報員を捕まえながらも無傷で解放、なんだったら案内までする程に。しかし、その癖こちらの諜報員を無力化するように動く……警戒している事は明らかだ」


「そうですね。だからこそ相手の情報を得ようと人員を動かしていたのでは?」


「そう、それ故、国内に向ける目がおろそかになっていた。一番の原因は使える人材が減ったことによるものだが、今まで内側を安定させるため使っていた人員を、対エインヘリアに投じてしまった。少なくなったリソースを全てエインヘリアに持っていかれてしまっていた」


 いつから……?いつから思考を誘導されていた?


 エインヘリアという国に、その得体の知れなさに怯えていたのか?だからこそ優先度を上げて相手を調べようとしていた?


 いや、未知の相手を知ろうとするのは正常な思考のはず……それに傾倒してしまったのは……そうだ、最初の報告書を見てから……あの時から私は操られていた?


 私の胸に過った予感、そしてウィッカから諭された面子という話、機能不全に陥った資源調査部……それらが全て繋がる。


「ウィッカ!西方だ!既にエインヘリアに仕掛けられているぞ!」


「西方!?どういうことでしょうか!?」


 私が声を荒げると、ウィッカが身を乗り出しながら尋ねて来るが、それよりもまずは指示を出さねば……!


「ラヴェルナ!ディアルドを呼べ!最優先だ!」


「はっ!」


 既にここに来るように伝えてはいるが、悠長にしてはいられない。一刻も早くディアルドを西方に派遣せねば!


「ウィッカ、恐らく西方の連中はエインヘリアに操られている。恐らくそう遠くない内に何かしらの行動を起こすぞ」


「それは……離反するという事でしょうか?」


「それもあり得る。独立……もしくはエインヘリアの軍を領内に招き入れる可能性もある。あるいは……地方守護の裁量権を行使する可能性もある」


 地方守護……帝国西方は仮想敵国である商協連盟と近いこともあり、自衛の為であれば大規模な軍を動かすことをある程度認めている。


 無論勝手に外征を行って良いという程の強権ではないが、友好国への援軍等迅速に動かなければならない件への対応は問題ない。


「西方が独自に軍を動かすと?」


「そこまで愚かではないと思うが、サレイル王国等に援軍を頼まれたという名目で軍を南下させる可能性はある」


「そのような事が……」


 ウィッカの顔色が一気に悪くなるが、私は言葉を続ける。


「後は……そうだ、元ソラキルの王族が留学している筈だ。既に亡国の王子だが……担ぎ上げられかねん、保護しておけ。いずれ避けられぬことだとしても、今はまだエインヘリアとぶつかるには早い。私の予想が当たっているかどうかは分からんが……ここで相手の思惑を潰せないと、今後雪崩のように事態が動きかねん。ウィッカは好戦派の手綱を引き締めろ。西方が離反するだけなら対した痛手ではない、一番厄介なのはエインヘリアとの全面戦争が始まる事だ。下手をすれば商協連盟の介入もあるぞ?」


「直ちに動きます」


 私が捲し立てるように言うとウィッカが真剣な表情で立ち上がるが、それと同時に部屋の扉がノックされ、扉の向こうからラヴェルナの声が聞こえた。


「陛下、ディアルド様をお連れしました」


「入れ」


 許可を出すとすぐに部屋の扉が開かれラヴェルナとディアルドの二人が入室してくる。


 随分早かったところを見ると、既に近くまで来ていたのだろう……ディアルドは普段通り柔和な笑みを浮かべていたが、私とウィッカの様子を見てその表情を真剣な物に変えた。


「陛下、何がありました?」


「ディアルド、これを持って急ぎ西方に向かってくれ。細かい説明は……ウィッカ頼む。私は急ぎキルロイ達と話さねばならん」


 私はそう言って、腰に差していた儀礼用の短剣をディアルドに押し付けるとラヴェルナを伴って応接室を出る。


 ディアルドに渡した短剣には、私自身を現す紋章が入っている。


 アレを持つ者の言葉は、皇帝である私と同等の力を持つ。それを否定したり覆したりすることが出来るのは私だけだが……信任して短剣を預けた者の言葉を否定することは非常に外聞が悪く、基本的にそれをすることはない。


 ディアルドとウィッカに任せておけばあちらは問題ない。


 後は……私のこの決断が間に合っているのかどうか、全てはそこにかかっているだろう。


 その結果が分かったのは、それから十日後の事だった


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