第188話 欲



View of ザナロア=エルシャン=ソラキル ソラキル王国元国王 元王位継承順位第七位






 姉上に促され装置の傍に近づいた私は突如光に包まれたかと思うと、次の瞬間先程までとは違う場所に立っていた。


「……ここは?」


「ふふっ、驚いた?ここは王都よ?」


「……王都?……なるほど、確かにおっしゃる通りここは王都の北部大通りですね。向こうに王城も見えますし……これは、どういうことですか?」


「凄いわよね。転移と言うらしいわ。これなら出不精な私でも遠出が出来る……かもしれないわね」


「外に出たがらない姉上が旧王都に居たのは、こういうことでしたか。この局面ですから、流石の姉上も我慢して遠出をしたと思っていたのですが……」


 私が呆れたように言うと、姉上は何の混じりけも感じさせない綺麗な笑みを浮かべる。


 日頃から、あまり外に出たくないと冗談か本気か掴みにくい雰囲気で言っていたが……姉上のこの様子だと、かなり本気で言っていたようだな。


 それにしても転移……一瞬で長距離を移動する技術。


 間違いなくエインヘリアによって齎された物だろうが……こんな物があっては大帝国も危ういかもしれんな。


 恐らく旧王都にもあったあの装置……そして今目の前にある同じ物……これによって二拠点間を転移できると言う事なのだろうが……どの程度の人数を一気に転移させられる?距離や回数の制限は?


 流石に条件も何もなく無尽蔵に移動させられるとは思えないが……いや、この装置自体が私の常識の範疇に無い物だ。私の尺度でこれの機能について考えるのは無意味だな。


 そう考えた私は塔から目を外し、姉上へと向き直る。


「それじゃぁ、ザナロア。舞台の方に向かいましょう」


「えぇ」


 舞台……それが何なのか聞くまでもない。


 私の最後は斬首。


 民からすれば悍ましい犯罪者ではあるが、私を残酷な方法で処刑する事は出来ないのだろう。


 新王である姉上にとっては弟でもあるからな……恐らく姉上としてはどんな処刑方法でも構わないのだろうが、姉上は仁徳を以てエインヘリアに国を譲り、エインヘリアは慈愛の心でそれを受け入れ統治をして行く……そんなシナリオが出来ている筈だ。


 だから私の処刑は残虐な物であってはいけない……ソラキル王国の罪の全てを一身に背負い、その上で慈悲の心で処断しなくてはならないのだから。


 恐らく私が最後に目にするのは……民衆の憎悪に満ちた目だろう。


 恐怖、不安、怒り、絶望、諦観……それらを私の処刑と言うイベントで誤魔化し、飲み込もうとする民達の目。様々な負の感情に晒されながら迎える最後は、自らの欲に従い、人が絶望に沈むさまを何よりも愛した私にとって、最高の物だと言えよう。


「ザナロア。貴方はこれから案内する天幕で待っていてください。私は先に舞台に上がり、民の前で演説をしなければならないの。貴方の処刑はその後ね」


「晒しものにすらしないのですね」


「えぇ。これは民達の留飲を下げる為の処刑ではないの。法に則り、正しき行いが粛々と成されるだけ。公平、公正、公明。これからの統治は、そういうものであることを広く知らしめる為に行われるのよ。まぁ、大半の民達にとっては、高貴な者が処刑され地に落ちる様を楽しむだけの物でしかないだろうけど……」


「それは仕方ありませんよ。民にそうあれとしてきたのは、上に立っていた我々なのですから」


 手枷を嵌めたまま私が肩を竦めて見せると姉上は静かに笑う。


「姉上。情けない限りではありますが、私には最後まで貴女を見抜くことが出来ませんでした。良ければ姉上が何を成したかったのか、教えて頂けませんか?」


 私達が会話を出来るのはこれで最後。


 次に顔を合わせる時は、話をすることなど出来るはずもない……速やかに私の刑が執行されるだけなのだから。だから最後に……知ったところで何の意味のない事だとしても、姉上の中にある欲……それを知りたかった。


「……簡単な事ですよ、ザナロア。私は貴方や他の兄弟達のように苛烈な欲は持ち合わせていません。私はただ……何もしたくないだけです」


「何も、したくない?」


「えぇ。日がな一日、部屋でゴロゴロしていたいですね。読書をしたり人の話を聞いたりするのは好きなので……一日をそれで完結させたいです。食事、睡眠、読書に会話……何の心労もなくそれだけをしていられたら、素晴らしいですね」


 姉上の事は読めないと思っていたが……まさか、直接欲を聞いても理解出来ないとは予想外だったな。


 何もしたくないのが欲……?


「ふふっ……貴方のそんな顔、初めて見ることが出来ました。少しだけ、貴方の趣味が理解できたかもしれません」


「そうですか……私には少し姉上の欲は難解すぎますが……」


「ふふっ……そうかもしれませんね。貴方は自ら精力的に動いて欲を満たすタイプなので。ですが、私の欲を満たすのも、これで結構難しいのですよ?」


 姉上は愉快そうに笑みを浮かべながら、頬に人差し指を当てる。


「何もせずに生活していくためには、私の世界を平穏に保つ必要があります。ですが、ソラキル王国は……対外的には強い国ですが、その内面はかなり歪で脆い国です。上層部は腐敗しており、民は困窮に喘ぐ……彼らを導くべき王族は自らの欲を最優先とする。まぁ、これについては私も含めてですが」


 そう言って小さく苦笑しながら言葉を続ける姉上。


「でも、そのおかげで政情は不安定……大帝国の後ろ盾があるし、謀略の国っていう看板があるから他国はあまりちょっかいを出してこないけど、国内に革命軍がいるのは貴方も知っているでしょう?」


「えぇ。ですが動向は把握しておりますし、革命軍と言っても大した力を持たない民の集まり……その内遊ぶつもりではいましたが、彼らが脅威と?」


「いえ、そうではないわ。彼ら自体が脅威という訳ではないの。この国の現状に不満を持ち、立ち上がろうとする者がいる。貴方からすれば良い玩具なのでしょうけど、私にとって国がそのような状態である事は、あまり好ましいとは言えないのよ」


「……つまり姉上は、自らの安息を守る為、それを害する者達を排除して更に他国に国を譲り渡すと?」


「エインヘリアであれば、私の安息を十全に守ってくれるわ。きっとこれは大帝国では叶えることが出来ない事よ」


 ……姉上の何の屈託もない笑みと共に吐かれたその台詞を聞いた時、背筋にゾクりとしたものが走った。


 あぁ。やはり姉上も私と同じ血を……ソラキル王国王族の血を色濃く受け継いでいる。


 ……エインヘリアの統治次第ではあるが、恐らく姉上は後世で、ソラキルの王族において唯一慈悲深き慈愛の者として語られるだろう。


 民の為に弟であっても公平に裁き、腐敗した貴族達を弾劾する。


 しかしその実、姉上の中にあるのは、己の欲が最優先……後の全てはどうでも良い付属品であるという考え方。


「だからね、ザナロア。私の安息を脅かしかねない王族も、腐敗した貴族達も要らないの。これからソラキルの民達は、エインヘリアの方々がしっかりと管理してくれるわ。エインヘリアは民に優しい国みたいだし、きっと彼らの不満も減るはず……無くなりはしないのでしょうけどね」


「……あのキリクという参謀が、姉上を遊ばせておくでしょうか?」


「ふふっ……それについては、エインヘリア王陛下に直接お約束頂いたわ。ソラキル最後の王として務めを果たした後は、蟄居と言う形で過ごさせてもらうことになっているの。とても楽しみだわ」


「……エインヘリアが敗れぬ限り、姉上の世界は安泰と言う事ですね」


「えぇ、そうよ。そしてエインヘリアが敗れる事なんてありえないわ」


「そうでしょうか?大帝国は例えエインヘリアでも簡単な相手ではないと思います。ソラキルの領土が戦火に包まれるのは時間の問題では?」


 私の言葉に姉上が小首を傾げながら口を開く。


「私は軍事には疎いけど……英雄をあっさり破る強者、転移という破格の技術、謀略のソラキルと呼ばれた私達以上の諜報力、キリク様という参謀……そしてそれら全てを掌握し、十二分に使いこなす王。とても負ける姿が思いつかないのだけど」


「……確かにそう簡単にはエインヘリアも負けないでしょうが、戦いが長引くことは十分あるかと。その場合は、エインヘリアで一番北方にある領土であるここが戦場になる可能性は非常に高いですよ?」


「……では蟄居するのは南方にしてもらいましょう。移動は一瞬ですからね」


 随分と図々しい蟄居もあったものだ……。


 私が姉上の言葉に苦笑すると、丁度そのタイミングで姉上が立ち止まる。


「ザナロア、ここでお別れです」


「分かりました。それでは姉上、お元気で」


「えぇ」


 最後に私に向かって微笑んだ姉上の考えは、やはり私には読むことは出来なかった。


 だが、今まで一切の欲を見抜くことが出来なかった姉上の欲を知ることが出来て、私は少しだけ充足感を得ていた。


 ここまでの事……全体の絵図を描いたのはキリクという男。恐らく姉上自身が仕組んだことは殆ど無いのだろう。にも拘らず、姉上は自身が望んだ物全てを手に入れていると言う事だ。


 もし姉上の欲が怠惰ではなく別の物だった場合……ソラキル王国はどうなっていたのだろうか……。


 遠ざかっていく姉上の背中を見ながら、そんな世界も見てみたかったと残念に思う。


 ははっ……なんだ、意外と私は生に未練があるみたいじゃないか。


 私は小さく嘆息した後、舞台の裏手に設置されている天幕の中へと入る。


 誰もいないと思っていたその天幕の中には、予想だにしていなかった人物が座っていた。


「来たか。ソラキル王……いや、元王だったか」


「……エインヘリアの王?何故ここに?」


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