第54話 不気味な進軍



View of サルナレ=ルバラス=ハーレクック ルバラス家当主 ハーレクック伯爵






 じわじわと迫って来る敵軍がそろそろ魔法の届く範囲に到達しようとした所、慌てた様子の伝令が物見台の元へと駆け込んできた。


「……閣下、先程森に送った斥候より伝令が……先だって森を調べていた斥候と、連絡が一切取れないとのことです」


 森は既に敵の支配下にあると考えなくてはならないようだ。


 奇襲により、被害が多少出るくらいは目を瞑るつもりであったが……ここに来て雲行きが怪しくなって来た。


 それを感じ取った私は、当初は見てみぬふりをするつもりだった奇襲への警戒を命じる。


「……すぐに左翼に伝令を、敵が森から奇襲を仕掛けてくる可能性がある。正面だけでなく森方向への警戒を厳とせよ」


「はっ!」


 奇襲は来ると分かっていれば逆にこちらが敵を刈り取るチャンスとなる……しかし、敵の策が上手く動いている状況は看過出来ないな。


 野盗如きと侮っていたが……戦が始まってから、どんどん敵の背後にいる者の気配が濃くなっている。


 だが……それでも敵の大半がただの民であるという事実は変わらない。


 戦とは、ただ兵の数を頼りに突撃すれば勝てるという物ではない。


 戦術、戦場の地形、集めた情報、自軍の強み、敵軍の弱み……そして敵の思考、これら全てを巧みに操ることで勝利への道筋が描けるものだ。


 こちらが当初想定していたよりも、敵が上手だということは認めよう。だが、それでもこの戦の主導権を握っているのはこちらだ。


 敵は既に防御魔法というカードを切っている。それにより矢による攻撃は防がれてしまったが、だからと言ってこちらが不利になったという訳ではない。


 確かにこちらの矢が効かない状態で、相手が矢を撃って来るというのであれば、脅威を感じただろうが……少なくとも敵軍からは一本の矢も放たれていない。


 騎兵と弓兵……どちらも、訓練をしていないただの民が突然なれるものではない。


 敵軍に、戦の要とも言える二つの兵種が見えぬのは、民によって構成された軍だからに他ならないだろう。


 守りは、一部の魔法兵によって堅牢とも言えるものが出来たとしても、攻撃が出来なければこちらの脅威足りえない。


 そして、恐らく二枚目のカードである、森からの奇襲。大軍で森を通過して奇襲をするのは現実的ではない。故に奇襲部隊は多くても二、三百といった所だろう。事前に奇襲があることは分かっているので、これも脅威とはなり得ない……。


 後警戒するべきは西だが……こちらは守備の部隊を置いてある。敵軍が大挙として迫ってくれば、伝令を送るぐらい訳ないだろう。


 少なくとも、この辺りに眼前にいる一万五千以外の大軍がいるという報告は受けていない以上、西から敵軍が大挙として押し寄せてくるという事は無い。あるとすれば少数による奇襲だが……見晴らしも良く、気づかれずに接近する事は不可能だ。


 頭の中で情報を整理した私は、先程まで感じていた敵軍の不気味さが収まっていくのを感じる。


 戦場は人を正気ではなくすと聞くが……私もその気に当てられたということか。


 私が内心苦笑するとほぼ時を同じくして、敵軍が魔法の射程内に入る。もう少し引き付けてから魔法による攻撃が放たれる……これで相手の化けの皮が剝がれるはずだ。


「閣下!西に向かった斥候より伝令が!西の橋に待機させていた防衛部隊の姿がどこにもないと!」


「なんだと!?」


 私が副官の報告に反応した次の瞬間、前線から爆発音が響き、自陣から歓声が上がる。


 どうやら魔法が放たれたようだが……今はそれどころではない!


「どういうことだ!?橋を守らせていた部隊が全滅していたのか!?」


「いえ、斥候の報告では戦闘跡すらなかったと!橋にはこちらの部隊も相手方の部隊もおらず……ただ、足跡から、こちらの部隊が橋を渡っていったのは間違いないと」


「防衛に置いていた部隊が橋を渡ったのか……?功を焦り、敵軍に奇襲でも掛けるつもりか?防衛部隊の責任者は何処の者だ?」


「ユロ家の当主、男爵です」


「領地無しか……功を焦っても致し方無しといったところだな。まぁよい。防衛部隊は少数、壊滅した所で戦況には何ら影響を及ぼさぬ。斥候にはそのまま橋付近を見張るように伝えておけ」


「はっ!」


 西の件は大した問題ではなさそうだ……私は未だ爆発音の鳴りやまぬ戦場へと視線を戻す。


 魔法の爆発によって生じた煙のせいで敵軍の姿が隠れてしまい、状況は分からない……だが、それでもこちらからの魔法は止むことなく敵軍へと放たれ続け、煙は一層広がっていく。


「風を起こして煙を吹き飛ばしたい所だが……魔法をその為に使うのは勿体ないか」


 今は手を緩めずに攻撃を継続するべきだろう。


 ……大丈夫だ。あの煙の向こうでは敵が屍の山を築き、今頃兵にされた民共が我先にと逃げ出している筈。煙が晴れればそこに広がる光景に私は安心を覚えるだろう。


 そうでなければならない……。


「今から前線に伝令を飛ばしても、間に合わないかもしれません。相当力を込めて魔法を連射しているようですし……恐らく、伝令が到着する頃には、魔法を撃てなくなっているのではないかと」


「序盤で全て撃ち尽くしてしまうのは困ったものだが……それだけ前線の者達は発奮しているということだな」


「それも無理からぬことかと……」


 副官の表情を見てその理由に思い至る……そうか、陛下が殺されたから仇を取ろうと気が逸っているといった所か。


 敵が進軍してくる前の私であれば、やりすぎだと伝令を飛ばすところだが……今はこれを止める気分にはならない。


 出来れば、敵前衛をここで潰してもらいたいとさえ考えている程だ。


 早く煙が晴れて欲しいと考える反面、もしこの魔法の雨を物ともせずに敵が進軍を続けている姿が現れたら……いや……あり得ない妄想だ。


 自分の考えを一笑に付そうとした私の視線の先で、敵軍が煙の中から姿を現した。


 魔法の雨が降る前と何ら変わらぬ姿と速度で……。


「……ば、馬鹿な!?」


 今耳朶を震わせた声は、私の物だったのか、それとも隣に立つ副官の物だったのか……いや、そんなことはどうでもいい。


 何故奴等は、矢衾にさらされながら進軍速度を変えずに進んでこられる?


 何故奴等は、降り注ぐ致死性の魔法に臆することなく歩みを進められる?


 何故奴等は、一切の乱れを見せずに進軍を続けられる?


 何故奴等は、私をこんなにも不安にさせる?


「何が起きている!なぜ敵軍は平然と進軍してくるのだ!何故矢も魔法も効かぬ!?」


 私は堪らず隣にいる副官に詰め寄ってしまう。


「か、閣下……それは、私にも……」


「おかしいではないか!敵はただの野盗とそれに従わされる民だぞ!?いや、この際建前は良い!恐らくあの軍の背後にはどこかの貴族がいる!だとしても、あれは余りにもおかしいではないか!どのような力を用いればあのような事が可能となる!」


「か、閣下落ち着いて下さい……」


「私は落ち着いている!だが、あれは何だ!?あの様子……あれは矢や魔法を防いでいると言った感じではない!全く意に介していない……そんな感じではないか!」


「確かにおっしゃる通りですが……閣下、敵軍の背後に貴族がいるというのは確かですか……?」


「確定した情報ではない!だが……私はそう睨んでいる」


 私の言葉に、副官は思案するように顎に手を当てた後、敵軍を睨むようにしながら口を開く。


「……もし、閣下の想像通り背後に貴族がいたとして……非常に高価な道具ですが、幻を生み出す魔法の道具があると聞いたことがあります」


「……確かにそういった道具は存在するが……お前の言う通り非常に高価だし、あれ程の数の幻を生み出すことは出来ない筈だ」


「そうですか……」


「だが……確かにお前の言う通り、アレが幻というのであれば現状に説明は着くな。しかし、一軍全てを幻で構成出来るとは到底思えないが……」


 魔法の道具というのは、確かに貴族であれば購入する事は可能だが、戦争に使えるような規模で効果を発揮出来る道具というのは聞いたことが無い。


 幻と考えれば説明はつく……説明はつくのだが……この考えは危険ではないか?


 いや……幻とでも考えなければ目の前の軍の動きは説明できない。


 それにアレが幻であった場合、相手の狙いは分かる。こちらの魔法を無駄打ちさせるためだ。


 こちらは王を殺され、相手を殲滅しようと躍起になっている……その結果、後先を考えない魔法の連打……もしこれを無傷でやり過ごすことが出来れば……。


「くそっ!アレが幻にしろそうでないにしろ、こちらの魔法を撃たされたのは間違いない!ここまでの流れ、敵軍の策の通り事を進められていると見て間違いない」


「……確かに、この開戦して間もない段階で魔法を撃ち尽くす勢いで放ったにもかかわらず、敵軍には被害が無いという状況、敵の戦果としては十分……」


 私の言葉に副官が表情を険しい物に変える。


「今攻め込まれると、こちらは魔法無しで迎撃をしなければならなくなる……」


 魔法が無い状態での迎撃……こんな策を実行したからには、敵軍にもそれなりの魔法使いがいると考えるべきか?


 しかし……敵の大半はただの民……いや、もしかしたら敵の主力……ここに多くの魔法使いが居たとしたら……?


 くそっ!敵の情報が少なすぎるではないか!何故斥候は敵軍の詳細を調べていないのだ!


 苛立つ私をよそに、ゆっくりと進軍を続けた敵の先陣が、ついに川岸までたどり着いた。


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