第6話 水龍

 生きていた……。血みどろの凄惨な戦いを終えたころ、オレの周りは血と、ジャースネイクの死骸で埋め尽くされていた。奴らも一向に衰えない生命力と、反撃の手に贄とするのを諦めたようだ。

 オレを奮い立たせていたのは、口に噛んだロスマルの葉――。そのすっきりとした芳香と、刺激はオレの精神を安定させ、ジャースネイクを殺しつづけることを可能とさせた。

 でもそれは、錯乱しそうな激痛を、ずっと意識を保ったまま受けつづける、という拷問でもあった。諦めたら終わり、というデスゲームをひたすら忍耐し、終わりの見えない戦いをつづけた。

 その結果、腕や足など、皮膚を食い破られたところは無数で、容赦なく肉を引き千切られた。服もびりびりだったが、顔だけは守った。それは美しい顔を……ではなく目、鼻、口をやられたら、五感をつぶされ、戦うことすらできなくなる……と思ったからだ。

 毒による全身の麻痺は収まってきた。それは免疫系が抗体を獲得したためかもしれない。元々、死ぬほどの毒性はなく、相手を麻痺させて、生きながら食うためのものだ。ただ、毒による麻痺が切れてくると、逆に全身に及んだ咬み痕から激痛が襲ってくるようになった。


 とにかく動かないと……。

 それはジャースネイクの餌食にしようとした、冒険者たちがもどってくるかもしれないからだ。凄惨な死を与える……。それが叶わなかったら、トドメを刺そうとするだろう。今はまだ戦えるほど、体力がもどっていない。というより、動けるほどの体力すらなかった。

 ガリュックの粉をとりだす。これはスープなどに入れ、強烈な香りと味、滋養強壮を期待するものだが、それを直接、口に抛りこんだ。そのまま、転がっているジャースネイクの肉に被りつく。生で、臭みとぬちゃっとした食感と、吐きそうになりながら、ガリュックの味で誤魔化して呑みこんだ。

 そうしてすぐ、タリムという低木の若枝を乾燥させたものを食む。これは抗菌、抗ウィルス性をもつハーブだ。豊かな芳香と、ピリリと刺激のある味が気持ち悪さから回復してくれる。

 今は体力を回復するのが優先だ。タンパク質をとらないと……。その使命感で何体も齧ると、気絶するように意識を失った。


 何度かそれをくり返すうち、体に力が入るようになった。

 這ってでも、その場を後にする。ジャースネイクの巣窟をぬけ、洞窟を歩く。松明にする光魔法も、魔力を消費するのだ。冒険者たちがもどってくる前に、早くここを抜けないと……。

 その焦りが失敗を生む。意識が朦朧とする中、ふらつく足取りで歩いていたときに足を滑らせた。

 そのまま奈落の底へと、急峻な崖を滑り落ちていった……。


 落ちたところは地下水の溜まった場所だった。 森で生きるエルフは、泳ぎも得意だ。わずかな岸へと辿りつき、這い上がる。歩くだけでも体力を削られるのに、泳いだことで疲労は限界だ。しばらく岩の壁にもたれかかり、休んで体力を回復することにした。

 辺りを確認するために光魔法をつかうと、その泉は広く、深さもあった。

 そこに波が立つ。何かがこちらへ近づいてくる。逃げることもできずにただ見つめていると、その波をやぶって頭をだしたのは、頭だけで明らかにオレより大きい、巨大な龍だった。

「ほう、エルフか。旨そうだな」

 泉から鎌首をもたげた竜が、ガーネットのような巨大な瞳をこちらに向け、舌なめずりしてみせた。


「確かに、このところ香草をよく口にしていたから、臭みもとれているだろう。ただし、ジャースネイクにやられて瀕死だよ」

 〝卑怯〟の特性は、こうした絶体絶命においても、殊更に強気を保たせた。

「腐ってないなら、問題ない」

「体はまだ腐っていないが、精神は腐りきっている」

 そういうオレを、水龍は訝しそうに目を細めた。

「我を怖れぬか?」

「腹ペコなら、とっくに腹に収まっている……だろ? こんな洞窟で、退屈とヒマをかこっているなら、付き合ってもいいぜ。魂が腐っていても話ぐらいはできる。その後で煮るなり、焼くなり、丸呑みするなり、好きにしろ」

 身動きすらできず、隠れる場所もない。万事休すであることがかえって落ち着きをもたらしていた。

「くくく……。我は今、喰うより為したいこともある。閉じこめられて以来、話し相手すらおらん」

「閉じこめられた?」

「かつて神族と争い、この泉に封じられたのだ」

「魔族サイド?」

「そうではない。我はただ暴れたい。暴れていた……だけだ」

 水龍は喉元まで裂けた口の、口角を上げて笑った。


「竜族は神と悪魔、どちらの味方だ?」

「……族、などというが、我らに統一した意志などない。それぞれが、孤の思想に基づいて協力したり、敵対したりする」

「強力な竜は、どちらも欲しがるだろ?」

「我らは破壊の象徴――。敵味方を問わず、滅ぼす力をもつ。だから神も魔も、我らに協力を求めようとはせんよ。何しろ、我らは気分次第で、簡単に裏切ったりもするからな」

「裏切り……? オレもそうだよ。オレは転生者。その特性として〝卑怯〟なる業を身に着けた。裏切りはオレの得意項目だ」

「転生者? 強大な力を得た者……か」

「強大……かどうかは知らん。大体〝卑怯〟なんて、中途半端でろくでもないスキルだ。ジャースネイクにさえ追いこまれた」

「エクストラ・ヒール!」

 水龍がそう唱えると、オレの傷が癒えて、体力も回復してくる。そして水龍の顔の前に、光が収束していくと、そこに小さなヌイグルミのようなものが現れた。

「これは我の分身。その分身を連れて、この洞窟から出よ。外では命懸けでその分身を守るがよい」

「…………。オレを助ける、それが条件か? 分かったよ。でも、オレは裏切るかもしれないぞ」

「キサマにはできんよ。その〝卑怯〟ゆえに……な」

 水龍は自信たっぷりに、そういって泉へと潜っていった。


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