18 一日
翌朝。俺たちが寝ている間にあさみちゃんはすっかり支度を整えて、小さなワンセグテレビを窓辺に置いた。窓辺がいちばんよく映るらしい。
民放の朝の情報番組は、ニュースの時間のあと、「超速えんため」というコーナーが始まった。最新のエンタメ情報を流すコーナーだ。おそらくここにオーヤマ氏と三村さんが出るはず。
「いまネットで話題の『ヴィジュアル系わんにゃん体操』。YouTubeにUPされてすぐ、世界中で視聴され、歌ってみた動画や演奏してみた動画が大量発生し、いまではすっかりネットミームになりかけています」
あさみちゃんは開院の準備をしながら、窓辺に置かれたワンセグテレビから流れてくる音声を聴いている。俺たちもクレートのなかでキャットフードをもぐもぐしながら聴く。
「これを歌っているのがヴィジュアル系アマチュアバンド『ムニツィオーネ』。以前から『♯ムニツィオーネは猫のひと』というハッシュタグと、メンバーのチカさんの飼い猫が話題になるなど、動物愛護に積極的に関わってきたそうです」
あさみちゃんはカウンターの椅子にかけて、画面を眺めた。きょうは珍しくアニメ柄の割烹着でなくスクラブシャツを着ている。だんだん暑くなってきたからだろうか。
「ではご登場いただきましょう、ムニツィオーネのお二人です!」
「おお……チカさんだ。ちゃんと衣装貸してもらって……それなりにカッコイイな」
画面に映し出されたのは、バリバリのヴィジュアル系になったムニツィオーネの二人だった。相変わらず通販の入門用エレキギターを持っているのは残念だが、これで慣れてしまったのだから仕方があるまい。
「お二人は、どうして『ヴィジュアル系わんにゃん体操』を作ったのですか?」
「先日、この局の動物番組に出させていただいて、それで近所の人たちにも認知されて、それでペットシェルターの人にローカルCM用の楽曲を提供することになったんですけど、諸事情あってその話が流れてしまって、曲だけが残ったんです」
オーヤマ氏、いや「チカ」が淡々と説明する。
「それをYouTubeにUPしたらこんなことになってしまって。我々はどっちかって言うと自分たちをYouTuberと認識してるんですけど、バズってしまってテレビに出ざるを得なくなった次第です」
スタジオから笑いが巻き起こる。
「ではさっそく演奏していただきましょう、ムニツィオーネで『ヴィジュアル系わんにゃん体操』です!」
ジャカジャーン。
相変わらず脳のシナプス結合がおかしくなりそうなカオスな歌詞。
それに対してむやみに派手なギターのメロディ。
――歌声を聴くかぎりでは、オーヤマ氏は楽しんでいるようだった。
「すっごいねえ……」
あさみちゃんはため息をついた。
ヴィジュアル系わんにゃん体操が終わり、ムニツィオーネの出番が終わった。次のコーナーはどうやら映画の最新作の話題のようだ。ムニツィオーネははけていく。
あさみちゃんはワンセグテレビの電源を切った。それから俺たちをクレートから出す。
さっそくあさみちゃんの足にスリスリする。あさみちゃんは、
「なんでこんなにオーヤマブラザースに好かれるんだろう」とぼやいた。
クレートから出してもらって、俺たちはさっそくしろおか動物病院のなかを探検してみることにした。あずけられている動物は俺たちだけのようだ。
奥にいくと階段があった。どうやらここから上に登るとあさみちゃんの生活スペースのようだ。でっかい箱でジャガイモが積まれている。
さすがに動物に危ないものはなにもないようだ。二階に登ってみると、あさみちゃんの部屋は万年床とチューハイの缶の転がった、荒れた生活を想起させる部屋だった。
「こらこら、どこいくの」
あさみちゃんは俺たちを小脇にかかえて階段を下りた。抱え方が完璧でもがくこともできない。そうやっているとあさみちゃんは動物用の体重計を出してきて、俺たちの体重を測った。
「およそ2キロかー。そろそろチョッキンする時期を考えようかね」
股間の鈴カステラがひゅんっとした。
俺たちをしばらく遊ばせてから、あさみちゃんは俺たちをクレートに戻し、表のシャッターを開けた。開院の時間だ。
まもなく土佐犬のちいくんが連れてこられた。やっぱり飼い主はヤのつく自由業にしか見えない。どうやら最近ちいくんが散歩に行きたがらない、という話らしい。
「やっぱり年齢だと思います。いま10歳ですよね、大型犬だともう十分老犬です。ちいくんがお散歩に行きたがらないのは足腰の不調かもしれません。当院にはレントゲンの設備がないので、隣町の大きい獣医さんに行ってみてください。城岡の紹介と言っていただければ機嫌よく診てもらえると思いますよ」
「隣町の大きい動物病院でレントゲン撮ってもらったらよくなるんですか?」
「直接よくなりはしませんが少なくとも原因は分かると思います。関節のお薬とか出してもらうことになるんじゃないかな。でもちゃんと原因を調べるのが大事です」
「……分かりました。あっちで診断出たらまた来ます」
パンチパーマの飼い主は、しょんぼり顔でちいくんを抱え上げた。怪力だ。
病院の駐車場に止められた黒塗りの高級車の後部座席にちいくんを乗せて、パンチパーマにド派手なスーツの飼い主は帰っていった。
それからしばらく間をあけて、おじいさんが柴犬っぽい雑種犬を連れて入ってきた。
「初めてですよね、どうされました?」
「安楽死をお願いしたいんですが」
あさみちゃんの表情が曇る。
「どうしてまた。こんなに元気そうなのに」確かに犬は元気にしっぽを振っている。
「お腹にできものができて、隣町の犬猫病院でこれはガンだって言われて。治療には何万円もする抗がん剤が必要だって言われて、それを聞いて怖くなって保留して帰って……家族に相談したら雑種なんだから楽にしてやれと」
雑種だから安楽死していいというのはなかなかひどい話である。
「……隣町の先生、わりと重く見積もるタイプなんですよ。ガンで薬が必要なワンちゃんが、こんなに元気ってことはないと思います。ちゃんと検査はしたんですか?」
「いえ……長年のカンだと」
「じゃあ、安楽死は本当のガンだと分かってからにしましょう。組織を取って検査に回してみますね。それでもしガンじゃなくて手術でとれるものだったら、何万円もする抗がん剤は必要ないので、手術しましょう。長生きしてくれたほうが嬉しいですよね?」
「そうです、孫が欲しがってもらってきた犬なんです。孫ももう高校生になって、犬よりえすえぬえす? に夢中で……でもきっと、長生きしてくれたら喜びます」
「よーし。できものっていうのはこれかな? ゴロゴロして邪魔っけだけど痛くはないんだね。組織取ります。ちょっと痛いよー……はいできた。明日には検査結果が出ますので」
そんな塩梅で、あさみちゃんはテキパキと働き、午前中だけで十匹近い犬猫を治療したり検体を取ったり薬を出したりした。なんだかんだ繫盛している。
昼になった。俺たちにキャットフードを与えて、あさみちゃんは車で養豚場に向かったようだった。午後は二時からの開院なのだ。
あさみちゃんはでっかい肥料袋に詰められたジャガイモを抱えて帰ってきた。どうやらまた養豚場でもらってきたらしい。
「こんなにジャガイモもらってもねえ……さて」
改めてシャッターを開ける。小学生くらいの女の子が、カラスにいじめられていたハトを連れてきた。傷だらけでズタボロになった、おそらく助からないハトの傷を縫って、
「もし明日もこのハトが元気だったら、このお薬を傷につけてあげてね」
と優しく言い、薬を出して治療費は取らなかった。
あさみちゃんの一日は、怒涛の一日と言えた。
隙間時間に本を読んだり、noteの記事を書いたりしている。すごい人だ。
夜遅く、シャッターを降ろして、あさみちゃんはスマホをとった。オーヤマ氏に電話をかけているようだ。
「もしもし。遅くなってごめんね、かっこよかったよ」
電話の向こうで照れるオーヤマ氏がありありと想像できた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます