17 牛蒡
どうやら、単純に「お断り」されてしまったらしい。
相手は本当に、音楽制作をだれかに依頼したことがなかったのだろう。そしてパソコンを扱ってメールの添付ファイルを保存、みたいなこともあまりやったことがないに違いない。
オーヤマ氏は三村さんに電話をかけて、しばらくグチグチ言ってのち、
「まあ、なにかの機会に演奏できれば」
と、勝手に二人で折り合いをつけて通話を終了してしまった。
それでいいのか。人気者になって、ネットでないところで認知されるチャンスだったんだぞ。俺は一人で憤慨していた。いや一匹で憤慨していた。マスタツは寝ていた。
オーヤマ氏は俺たちにキャットフードを与えると、天井を見て横になった。
その日は「体調がよくないんで」とアルバイトをサボったようだった。
夜、あさみちゃんが夕飯をもってやってきた。オーヤマ氏はことのあらましを説明する。あさみちゃんはため息をついて、
「あの独善シェルターかあ」と呟いた。
「独善シェルター?」
「うん。けっこうな歳のおばさんとその友達で運営してて、まあ動物を保護しようって気持ちは正しいんだけど、世の中のこと知らなすぎてワガママしてるだけにしか見えないんだよね」
「そうか」
「断られて正解だよ。もし無事に楽曲提供できてたら、次は割引にしろとか言い出したと思うよ」
「そうなのか。いろんな人がいるな」
オーヤマ氏はちょっと元気になって、箸を二膳出してきた。二人してきんぴらごぼうをつつく。
「あさみちゃんのきんぴらごぼう、うまいな」
「そう? 中学くらいのころ乏しい材料から必死に料理してた経験が活きてるだけだよ」
「まあ……いろんな人生があるからな」
「そうだよ。失敗人生なんてそうないんだから。仮に行き着いた先が石の裏の虫でも、それでも生きてるだけで丸儲けってやつなんだよ」
二人は淡々とそんなことを話した。毒親持ち同士意気投合、という感じだ。
「いいよねー猫は。難しいこと考えないでご飯食べて遊んで寝てればいいんだから」
それがそうでもないんですよと説明したかったが人間の言葉はあいにく話せない。
なので俺はあさみちゃんの膝に乗って、全力の甘えをかましてやった。
「なんかオーヤマブラザースには好かれるんだよねえ。ほかの猫にはだいたい嫌われるのに」
NNNのミッションがありますので……。
ふと見ると、マスタツがごぼうをかすめ取ってモグモグしている。
それに気付いてあさみちゃんは全力でマスタツの口をこじ開けた。かじりかけのごぼうを没収すると、あさみちゃんは強い調子で「NO!」とマスタツを叱った。
「チカさんもちゃんと見ててくださいよ」
「あ、ああ……」
「子猫ってよく変なもの誤飲しちゃうから、ちゃんと見てないと……きょうもおもちゃにしてたビニール袋の破片を飲み込んじゃったっていう子猫がきてそりゃえらい騒ぎだったんだよ」
「そんなもの飲み込むのか」
「うん。でも変なもの食べちゃうのは犬のほうが多い気もするけど」
二人はのどかに夕飯を食べて、あさみちゃんは帰っていった。
オーヤマ氏は「うしっ」と気合いをいれた。
それから二日ばかりして、新しいモデムがやってきて接続し直すことになった。なんとか配線を終わらせて、オーヤマ氏はばったり床に倒れた。
「めんどくさかった……」
その気持ちは分からないでもないが、これが君の生命線でしょうよ。
さっそく、納品しそこなった楽曲に映像を編集し、三村さんのOKをもらってUPする。
すごい勢いで再生回数が伸びていく。
今回の曲は変に中毒性のある曲だなあと俺は思っていた。カン●ムスタイルとかP●APとまではいかないが、いちど聴いたらずっと頭のなかでぐるぐるするやつだ。
それもあってか再生回数の伸びがすごい。なんとコピーするギターYouTuberとかピアノYouTuberとかボカロPとか歌ってみたとか踊ってみたが続々と発生している。
「これはやべえもん作っちまったかもしんない」
と、オーヤマ氏は呟いた。
完全にネットミームになる流れだ。タイトルは「ヴィジュアル系わんにゃん体操」という。脳細胞のシナプス結合が狂うような歌詞とメロディ。「みん●のうた」で流れていても驚かない狂気ぶりだ。
そしてついにそのときがやってきた。
オーヤマ氏のツイッターDMに、朝の情報番組の出演依頼が送られてきたのである。
それも全国放送の、民放のいちばんでかいところだ。にぎやかしでなくエンターテインメントのコーナーに、いま話題のバンドとして出演するのだという。
オーヤマ氏はあわてて三村さんに電話するが、指が震えて通話のボタンをなかなか押せない。どうにか電話に成功して、ちょっと混乱した調子でなにが起きたか説明した。
話を伝えて、電話を切る。それから時計を見る。しろおか動物病院はもう閉院しているだろう。オーヤマ氏はあさみちゃんにも電話をかけた。
「ええっ」
あさみちゃんのびっくり声は俺たちにも聞こえた。
「そういうわけだから、東京に行っているあいだ、オーヤマブラザース預かってくれないかな」
俺たちはあさみちゃんに預けられることが決定した。
出演は二週間後。それまでに練習やらリハーサルやら打ち合わせやらいろいろある。貧乏アマチュアバンドなので衣装がないと言ったら貸し出してもらえることも決定したようだ。
さらに、テレビ出演の話を聞きつけた芸能事務所が、ムニツィオーネのふたりに会ってみたい、と言っているらしい。なので結局二日ばかり東京に滞在することになったようだ。
俺たちはNNNの指令を半分くらい果たしたのではなかろうか。
酒場通りにあるしろおか動物病院に、キャリーバッグに入って向かう。反対にはいつものキャットフードとトイレ砂少々。
「チカさん、がんばってね。テレビぜったい観るから」
「うん、ヤスハルとマスタツをよろしく」
そう言い残して、オーヤマ氏は三村さんとふたり、夜行バスで東京に向かったようだった。
「はー……カップラでいいか。晩御飯にしよ」
あさみちゃんはため息を一発ついて、戸棚からカップラーメンを取り出し、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。せっかくオーヤマ氏と健康な食生活をしていたのに……。
あさみちゃんのスマホが鳴った。あさみちゃんは電話に出た。
「はーいもしもし。しろおか動物病院です。……叔父さん」
あさみちゃんの表情が曇った。東京にいる――以前女神さまの見せてくれた映像で、二丁目の話をしていたので、おそらく東京にいるのだと思われる――叔父だろうか。
「うん……うん……でもいまわたしすごい田舎にいるし、仕事もあるから簡単には帰れないよ。動物病院を開業して犬とか猫とか治療したり養豚場の衛生管理やったりしてて……うん、ごめん。本当にごめん。でもおめでとう」
なにがめでたいのかは分からないが、あさみちゃんは最初の暗い顔から、晴れやかな顔になっていた。
しばらく電話して、伸びきってしまったラーメンをすすり、あさみちゃんは動物病院のシャッターを降ろした。夜9時。いい子は寝る時間だ。
俺たちはキャリーバッグからクレートとかいうでかい箱に移動していて、あさみちゃんの様子を見ていた。あさみちゃんはニコニコして、
「よーし、先生ちょっと銭湯行ってくるね。お利口さんにしててね」
と言ってご機嫌さんで出ていった。
だんだん眠たくなっていたので、俺もマスタツもそのまま寝てしまった。
明日の朝九時、オーヤマ氏がテレビに映る。面白お兄さんではなく、ミュージシャンとして。
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