16 制作

「なあ」

 マスタツがいきなり声をかけてきた。

「どうした?」

「オーヤマ氏、毒親に育てられて、そこから逃げ出して猫が歌を聴いてくれて、それで猫に救われたってことになってたけど、猫を飼うのは俺たちが初めてじゃないよな?」

「うん、俺もそう思う。でも具体的にいつ猫を飼ってたかとかはちょっとわかんないな」

「やっぱしシロさんが言ってた通り、あの猫頭の女神さまはいろいろ抜けてるな。俺らとしてはオーヤマ氏が猫飼ってたとこを見たいのに」

「……マスタツ、お前そんなに喋るんだっけ?」

「なんていうか、うすらぼんやり……猫になるまえのことを思い出してきたんだ」

 おん?! マスタツ、それはどういうことだ。

「俺、猫になるまえは、人間だった気がする。なんか――薄気味悪いぐるぐるした記憶がある。たぶん精神に異常をきたしてたんだな。それでどっかで自殺したんだ」

 マスタツの前世がなかなかドロドロしているのはともかく。

 謎がひとつ増えてしまった。オーヤマ氏が猫に救われた、というのは猫に歌を聴いてもらった程度のことではないと思う。もっと、なにか深い事情があるのだ。

 それから何日かして、開院前のあさみちゃんが朝ごはんを持ってやってきた。オーヤマ氏は、あさみちゃんと朝ごはんをぱくついて、他愛もないお喋りをした。

「チカさん、オーヤマブラザースの扱い見てると猫飼うのは初めてじゃないよね?」

「うん……子供のころ祖母が飼ってて、祖母が亡くなってその猫を引き取ったんだけど、俺の親なかなかの毒親で、俺が学習塾に行ってる隙に保健所に」

「うわあ……さいあく……」

「楽しかったなあ。ミケトラの可愛い猫で、名前はツナっていって。ちょうど高校入試に失敗して若すぎる浪人やってたころの話」

「え? 後期試験とかやらなかったの?」

「うちの父がどうしてもこの学校に入れーって言って、ほかのところに行くくらいなら浪人しろって言われたんだ。結果入れたもののいじめのターゲットになったんだけど」

「うわあ、最悪にもほどがあるよ。わたしの親もたいがい毒親だったけど、そこまでじゃないなあ……それにいじめっつうのは犯罪でしょうよ」

「まだ被害者側がカウンセリングを受ける時代だったから。いまは加害者がカウンセリングとか別室登校とかになってるそうだけど」

「それだって特別すすんでる学校の話でしょうよ。ツナちゃんかあ……」

「まだ携帯持たされてなかったから画像はないんだ」

「まあそれは仕方がない。そういやなんかお仕事の依頼がきたんだって?」

「うん、近くのペットシェルターがケーブルテレビでコマーシャル流すらしいんだけど、それの楽曲制作。でも俺らでいいのかなあ。歌詞に全く意味がないんだけど」

「最近のアーティストってぜんぜん知らないけど、たまに独特な言語感覚の詞のついた曲あるよね。『ムニツィオーネ』の歌詞はわりかし意味通ってると思うよ」

「そ、そう? ははは……せめてローカルタレントになるのを目指すよ」

「頑張ってね、チカさん。わたしのきょうの仕事は怒涛の手術だ」

「そっか、曜日を決めて手術してるんだっけ」

「すっごい疲れるよ、来る人がたくさんいるわけじゃないけど……オーヤマブラザース、体重どれくらい?」

「1キロと500グラムぐらいかなあ」

「よーし。ヤスハルもマスタツも二キロ超えたらキンタマいつとるか観察しないとね」

 そう言ってあさみちゃんは俺の頭を撫でた。ひゅんっとした。

 そのあとオーヤマ氏もあさみちゃんも仕事に出かけてしまった。キンタマ取られたらどうなるのだろう。古代中国の宦官とか、西洋のカストラートとか、あとからちょん切る事例は人間にもあるが、猫だとどうなるんだろうか。太りやすくなるとは聞いたことがある。

「なあ」

「どうした? マスタツ、お前なんかいうとき『なあ』で始めがちだよな」

「そりゃどうだっていいんだが、あれモデムだよな?」

 マスタツの見ているほうを見る。モデムが点滅しているが、なにやらいつもと灯りのつき方が違う。上半分の灯りがすべて消えているのだ。

「モデムがどうした?」

「もしかして、ワイファイ死んでるんじゃないか? 隣のルーターもなんか変だぞ」

 確かにルーターのランプもいつもと違う。

「――オーヤマ氏のことだから、ワイファイ死んでることに気付いてないんじゃね?」

「確かに……きょう帰ってきてパソコンいじってびっくりする可能性はあるな。でも俺らになにができる?」

「そうなんだよなあ……なんか俺生まれ変わる前はコンピュータいじくってた記憶があるんだよな」

「マスタツはその手のエンジニアだったのか?」

「たぶん……いまになって思い出したのは本当になんでなのか分からないんだが。ヤスハルはなんの仕事してたんだ?」

「ただの営業マンだ。外回りの最中に車で事故って死んだ」

 そんな話をして、そのあとは猫らしくプロレスごっこをして遊んだ。

 マスタツの過去も気になるし、ネット環境の状態も気になる。

 一通り遊んで、キャットケージにつるされたハンモックですやすやと寝ていると、オーヤマ氏が三村さんと家に入ってきた。

「よし、音源ができたからとりあえずテイクワンということで送ろう」

「まずパソコンでチェックしてからのほうがよくないか」と、三村さん。

「それもそうだな。やってみよう」オーヤマ氏はパソコンを起動して、USBメモリをぶすっとパソコンに接続した。なにやらねこねこいぬいぬと歌っている。こんなんでいいのだろうか。

 そのデータを送信しようとして、オーヤマ氏はやっとワイファイが死んでいることに気付いた。とりあえずモデムのコンセントを抜いてみる。戻してみるが治らない。

 マスタツが、

「あのタイプのモデム、上と下のふたつのパーツでできてて、あれはおそらく上半分が壊れてる。交換するしかないだろうなあ」とため息をついた。

 オーヤマ氏は慌ててネットの契約をしている通信業者に電話をかけた。はい、はい、とやり取りして、どうやら交換には二~三日待たねばならないようだった。

 電話が切れて、

「どうするミム。モデムの交換、二~三日かかるらしいぞ。〆切明日だ」

 えらく短い〆切である。おそらく依頼した側は音楽制作にどれくらい時間がかかるか分かっていないのだ。あるいは何度も作り直すつもりなのか。

「俺の部屋ワイファイないし……そうだ。チカの彼女んとこにワイファイないか」

「いまちょうど昼休みだから聞いてみる」

 オーヤマ氏はあさみちゃんに電話をかけた。三村さんにも聞こえるようにスピーカーフォンにする。あさみちゃんは困った様子で、

「ワイファイないことはないけど、チカさんの部屋のパソコンってデスクトップだよね? メールで送るんだったら、Gメールならわたしのパソコンからログインすればできるけど……」

 と、そう話した。

「……教えた連絡先、プロバイダと契約したとき設定したメールだ。依頼主に確認とってみる」

 いきなり頓挫しかけてないか。大丈夫なのか? わからないがなんとかするほかない。

「わかった。なにか手伝えることがあったら言ってね」

 電話が切れた。オーヤマ氏はため息をついて、ツイッターのDMから依頼主に連絡をとる。別の連絡先から送信していいですか、というようなことを訊いたようだ。

 しばらく返事がこないまま、オーヤマ氏と三村さんは難しい顔でスマホを睨んでいた。

 とりあえず三村さんが帰ったあと、DMの返事が来たようだった。オーヤマ氏ははあ、とため息をついた。

 それが安堵のため息なのか悲しみのため息なのか一瞬分からず、とりあえずスリスリするふりをしてオーヤマ氏の膝に登って、俺はスマホをのぞき込んだ。

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