13 告白

 うーむ。

 俺はオーヤマ氏に耳掃除されながら、城岡先生を幸せにする方法を考えていた。

 つまり城岡先生は子供時代が暗黒すぎて人生の希望を見失っているわけで、そのせいでだれかを好きになることもだれかから好かれることも拒絶しているわけである。

 あるいは、動物からの愛だけは、信じられるのだろうか。

 動物の愛というのは、基本的に見た目だとかその人の過去だとかは関係ない。ただ純粋に、ご飯をくれる人、遊んでくれる人、可愛がってくれる人を愛するものだ。

 だとしたら、なにかできるのは、俺たちだけなのではないか。

 俺たちになにができる? と考えたけれど、俺たちにしかできないことがあるのではないか。そんなことを考えているうちに耳がさっぱりした。奥のほうがまだかゆいが、無理に綿棒を突っ込まれるのはいやだ。猫になってからいろんな穴を攻められているな……。

 マスタツも耳掃除をされているがもがいて逃げ出した。よほどいやだったらしい。

「お前らなあ……耳掃除の薬高かったんだぞ!」

 オーヤマ氏はそう言い、ふさいだ顔をした。

 そりゃ耳掃除の薬をもらいにいって、ついでに告白までして見事に振られたのだからふさぐのも当然という感じである。

 とにかくキャットフードを出してもらった。がつがつ食べる。人間のころの味覚はもううすれていて、ほんのり魚の味がするのを感じるだけでうまいと思える。

 このまま俺はただの猫になるのだろうか。

 それもそれで悪くないかもしれない。

 ――その日の晩、オーヤマ氏がアンプにヘッドホンをつないでギターの練習をしていると、なにやら消防車の音が聞こえてきた。けっこう近くだ。さすがにオーヤマ氏も気付いて、カーテンをがっと開けた。

 火事というよりはボヤとかなのだろうか、大きな煙は立っていない。

 オーヤマ氏はカーテンを閉めた。それとほぼ同時にスマホが鳴った。オーヤマ氏はスマホが鳴ったことに気付かず練習を再開しようとしたので、俺がスマホをばしばしたたいて教えた。

「なんだなんだ」

 ギターを置き、ヘッドホンを外して、オーヤマ氏は座ってスマホをのぞき込んだ。

 そして生唾を飲み込んだ。なにごとだ。俺は座っているオーヤマ氏の肩によじ登った。

「病院兼住居で放火騒ぎがあって、財布もすっからかんで寝るところがないんですけど、大山さんのお家に行っていいですか?」

 城岡先生からだった。おお、一歩進んだぞ。オーヤマ氏は慌てて部屋を片付けた。

 オーヤマ氏はそわそわして、連絡が来てすぐ家を出た。すぐ戻ってきて、ギリギリ外を出歩くことができる、部屋着以上普段着未満の服装の城岡先生を連れてきた。

 どうやら銭湯に行っているうちに放火されてしまったらしい。財布には銭湯の入浴料しか入っておらず、こんな時間なのでATMも閉まっていてビジネスホテルに泊まることもできなかったようだ。

「おーヤスハルくんマスタツくん元気そうだねー! にゃんプロして遊んでるのかな?」

 俺は猛ダッシュで城岡先生に駆け寄り、足にスリスリと頭をこすりつけた。城岡先生は、「お、おう……ネコチャンにめちゃくちゃ好かれている」と呟いた。

「布団、一枚しかないんで、城岡先生はそれで寝てください。俺は床で平気なんで」

「え、あ、う、いえそんな、わたしこそ床でダイジョブダイジョブですよ」

「せっかく来てくれたお客さんを床に寝かすわけにいかないです」

「じゃあ、お言葉に甘えて……すみません、夜は練習してるんですよね。ご迷惑ですよね」

「城岡先生、俺は頼ってもらえてうれしいですよ」

「……?」

 城岡先生はよく分かっていない顔をした。城岡先生はいままで、だれかに頼ろうと思ったことがないのだと思われる。それで、頼られてうれしい、という感情がよく分からないのだ。

「俺は、城岡先生にいっつもヤスハルとマスタツを助けてもらえるし、ジャガイモとかたくさんもらえて嬉しいし、しょっちゅう城岡先生に頼っているわけです」

「はあ」

「で、その城岡先生に頼ってもらえるのが、うれしいわけです」

「……迷惑ではないんですか?」

「城岡先生はお仕事で人が来て迷惑だって思います?」

「いやオーヤマさんちはホテルではないですよね」

 そういうことではないのだが、とにかく話は続く。

「城岡先生、病院に犬とか猫とか連れてこられて、どう思いますか?」

「きょうも仕事があってうれしいなあって思います。必要とされてるなあって」

「それです。必要とされてるのがうれしいんです」

「……わたしなんかに必要とされてうれしいもんなんですか?」

「うれしいです。俺は、……城岡先生が好きなので」

 オーヤマ氏は堂々と言っているが伝わっているんだろうか。城岡先生は切ない顔で、

「好き……ですか。中学のとき、噓告のターゲットになって言われて以来だ」

 と、静かに呟いた。

「でもわたし噓告のターゲットになるような陰キャですよ、好きになってもなんも得とかないと思います。オーヤマさんならもっと素敵な人が近寄ってくるんじゃないですか?」

「好きっていうのは損得抜きでしょう。俺は城岡先生が好きです」

 すごく真正面から攻めている。城攻めだったらすでに死んでいる感じだ。

 オーヤマ氏は静かに押入れをあけて、いつものペシャンコなうえに湿っている布団を引っ張り出した。

「布団、湿ってて申し訳ないんですけど」

「い、いえ。布団で寝られるとは思ってなかったです。ありがとうございます」

 城岡先生は布団にもぐり込んだ。オーヤマ氏は床に、薄手の毛布一枚にくるまって横になる。そのまま灯りを消す。

「……オーヤマさん。わたしも、人を好きになっていいんでしょうか?」

「もちろんです。誰かを好きになっちゃいけない人なんていないですよ」

「誰かを好きになったときに、その相手に迷惑だって思っちゃうんです」

「俺としては迷惑でもなんでもないです。俺が好きかどうかは聞きませんが」

「いえ、その、なんていうか……オーヤマさん、すごくカッコイイなって……でも、バンドマンって恋愛関係が難しいっていうじゃないですか、だから迷惑じゃないかなって」

「俺なんて遠巻きに観察されてるだけの変態です。言い寄ってくるファンなんていませんよ」

「じゃあ、じゃあ――オーヤマさんが演奏してるのを見て、好きになっちゃったのは、身分不相応ではないんですか?」

「なんで身分不相応だなんて思うんです?」

「わたし、仕事柄明るい人間を演じてるだけの陰キャなので。特に美人でもないし獣医としてはふつうレベルだし、友達もいないし、人間が小さいので……」

「そのどこが悪いんですか? 俺は、」

「……ふふっ」

 城岡先生は悲しげに笑った。俺は猫なので暗くても表情はよく見える。

「よくよく考えると、オーヤマさんの演奏を聞いて『推したい』って思ったのは、好きだって思っちゃいけないって考えたからなんですよね。ふつうに『好き』、でよかったんですね」

 これは、うまくいったやつか。

「……、付き合ってください」

 城岡先生は静かにそう言った。オーヤマ氏は、

「はい」と答えた。まるで中学生の恋愛のような、たどたどしいやり取りだった。

 とりあえずこれで、スタートラインに立った。俺はそう思ってマスタツとハイタッチしようと思ったが、マスタツはすでに寝ていた。諦めて、俺は城岡先生の寝ている布団にもぐって寝ることにした。ボディソープの清潔な匂いがする。

 翌朝、オーヤマ氏が朝食を用意して、俺たちにもキャットフードをくれた。少ない食器を工夫して二人前の朝食をテーブルに並べると、城岡先生は涙目で玉子焼きをかじった。

「うんまあ……人権のある食事だあ……」

 まだスタートラインに立っただけ。ここからが問題なんである。

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