12 過去

「noteの記事、見つけちゃったんですよ。自分たちを推してくださってる、っていう」

「あ、ああ……そうですね、わたしが寝ぼけて書いたものです。いやー恥ずかしいなあ」

 城岡先生はわかりやすく恥ずかしがっていた。オーヤマ氏はたたみかける。

「でも、自分は、……俺は、城岡先生が好きなんですよ」

 おお、よう言うた。城岡先生は顔を真っ赤にしている。なんならちょっと震えてさえいる。

「……わたしは、うんわたしは、誰かを好きになる価値ないんで」

 誰かを好きになる価値がない人間なんているんだろうか。わからないが城岡先生の反応を見ると、オーヤマ氏はあくまで推しであり、恋愛対象でないことを全面に打ち出している。

「でも俺は、城岡先生が好きです」

「よしてくださいよ、わたしなんて好かれる価値皆無の人間なので。獣医師免許持ってるだけの陰キャなんで」

「なんでそんな悲しいこと仰るんですか」

「そ、そりゃ……陰キャだからですよ」

 城岡先生のどこが陰キャなのだろうか。むしろかなりの陽キャで強キャラだと思うが。

「小学校中学校って成績どん底で過ごして高校で持ち直したものの友達いないし大学でもサークルとか全無視でやってた陰キャなんですわたし」

 城岡先生は早口で一気にそうまくしたてて、

「耳掃除のローションは千二百円です」

 と小声で言った。ドアの向こうをちらりと見ると、ちいくんがやっぱりパンチパーマのおじさんに連れられて来ていた。

 これ以上の長居は無意味と悟ったらしいオーヤマ氏は、千二百円払って耳掃除ローションを買い、俺の入ったキャリーバッグを抱えてしろおか動物病院を出た。

 オーヤマ氏は、悔しい顔をしていた。そりゃ悔しいだろう。

 家に帰ると、オーヤマ氏は俺とマスタツを捕まえて耳掃除をした。それから城岡先生の記事を開いて、悲しげな顔でしばらく眺めた。

 これを失恋というのだろうか。

 オーヤマ氏はため息をひとつついて、その記事を閉じた。

 それからオーヤマ氏はふて寝を始めてしまった。そこに猫頭の女神さまが現れた。

「ヤスハル、マスタツ」

 マスタツはどでかいあくびで返事をした。

「お前たちは、オーヤマ氏を幸せにしようと頑張っていますね」

「はあ。それが女神さまとNNNに与えられた任務ですんで」と、俺が答えた。

「オーヤマ氏が恋慕の情を抱くあの獣医師が、なぜ恋愛を拒むか、知りたいですか?」

 知りたいというか気になるが、なんだか怖い気もする。

「そうなのか? ヤスハル」

「ああ……きょう、オーヤマ氏が勇気を出して好きだって言ったんだが、城岡先生は恋愛する資格はないって……」

「城岡あさみ、あの人の過去を教えましょう」

 ぐにゃり、と世界が歪んだ。世界は彩度を落とした、セピア色になった。


「あさみぃっ。犬どもに餌はやったかぁっ」

 明らかに精神に異常をきたした女の声が聞こえた。それに合わせて、家のあちらこちらで、小型犬のキャンキャン鳴く声が響いた。

「いまやるから怒らないで」城岡先生だ。中学生くらいだろうか。どんよりと生気のない顔をして、小型犬用ドッグフードを段ボールの箱にざららと入れた。犬たちが群がってきて、ガツガツとドッグフードを食べている。

 この状況は、完全に「多頭飼育崩壊」というやつだった。犬のなかにはお腹の大きい雌犬もいるし、それに非常に衛生状態がよくない。あちらこちらに犬の散らかした汚いものが落ちている、不衛生な家だ。しかもゴミや脱ぎ散らかした服、生活用品が至る所にあって、シンクには洗っていない食器が山になってハエがたかっている。

「あさみぃっ。さっさと学校にいけぇっ。目の前から消えろっ」

「ごめんなさい。いってきます」

 朝ごはんも食べず顔も洗わず、城岡先生は汚れた制服に着替えて家を飛び出した。学校はすでに始まっていて、教室に入るとクラスメイトたちは「うわ」という顔をした。

 城岡先生はあきらかに授業についていけないでいた。上の空で黒板を眺めている。弁当の時間になって、みんな弁当を食べるなか、弁当を持って来ていない城岡先生は、グラウンドのベンチに座っていた。

 どん底の中学校生活だ。

 その最悪極まりない中学校の授業を終えて、城岡先生は家に帰っていった。なにやら騒がしい。犬の吠えまくる声と城岡先生の母親が怒鳴る声が聞こえる。

 城岡先生が恐る恐る家に入ると、城岡先生の母親はそっくりな男性と口論していた。家には、ペットシェルターの人たちがいて、犬をクレートに入れている。

「あさみちゃんをこんな環境に置いておくわけにいかない」

「なんだと和彦っ。あさみは母さんが好きだよな?! あさみは犬も好きだよな?! ずっとずっとここで暮らすんだよなっ?!」

「……いやだ」

 城岡先生は小声でそう呟いた。

 震えていた。怖いのだろう。そりゃ怖いに決まっている。

「いやだ。こんなところいたくない。母さんは病院にいくべきだし、犬たちもちゃんとした飼い主に飼ってもらうべきだ。母さんは犬が好きなんじゃない。犬たちをいじめてるんだ!」

 城岡先生の母親は、表情を失った。そのままよろよろと座り込んだ。

「あさみちゃん、叔父さんのところで暮らさないか。姉さんは病院にいくべきだし、おそらくそうなったら閉鎖病棟に入ることになるんだと思う」

 そこから一瞬世界が暗転した。城岡先生は、高校生になって、叔父の家で暮らしているようだ。容姿端麗な猫を一匹飼っているようでもある。

 城岡先生の叔父は文筆業者のようで、原稿用紙に万年筆を走らせている。懐かしいフォルムのガラケーが鳴った。城岡先生の叔父は電話に出た。

「はいもしもし……ああ、りゅうちゃん。ここのところご無沙汰だったね、どうしたの?」

 城岡先生の叔父は柔らかい口調で、電話の相手の妙にしなをつくった男と話している。

「うん、うん。じゃあきょうホテルで……」

 そこで俺は、この城岡先生の叔父が、いわゆるゲイだと察した。

「……叔父さん、叔父さんはよくホテルで男の人と仕事してるね」

「そうだね」

「それって仕事じゃないんじゃないの? 同級生が噂してた。城岡の父さん、たぶん叔父さんのことだと思うんだけど、二丁目のオカマバーに入っていくのを見た、って」

「それをからかわれたりしたのかな? だとしたら……」

「叔父さんの性的嗜好はどんなでも構わない。噓つかれてたのも全然平気。母さんに比べたらぜんぜんマシだよ、でも、なんで秘密にしてたの? 教えてほしかった」

「あさみちゃんに、嫌われたくなかったんだ」

「わたしそんなことで人を嫌いになったりしないよ。信用されてなかったのが悲しいだけ」

 城岡先生はそう答えて、課題を始めた。

 そこでまた世界が歪んだ。現実に戻ってくる。


「と、まあ、こういう子供時代を送ったので、あの獣医師は極端に自己肯定感が低くて、その後大学に進学してもだれとも恋愛したり友達を作ったりせず、自分一人で生きて自分一人で死んでいく覚悟を決めた……というわけなのです」

 思った以上のどん底、思った以上の闇の深さに、俺とマスタツはため息をついた。

 つまり城岡先生の明るくて優しいあのキャラクターは、無理して作ったキャラクターなのだ。

「で、これを俺らに見せてなにをしようってんですか」俺は女神さまにそう訊ねた。

「わかりません! お前たちで考えなさい!」

 そう言われても困る。城岡先生の自己肯定感の低さの理由を知ったところで、なにもできることはない。俺たちは猫だ。なにができる?

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