10 運命

 シロさんはその後も、オーヤマ氏のアパートのベランダにたびたび現れて、俺たちの様子を見ていた。しかしシロさんは助けてほしいとか、面倒をみてほしいとか、そういうことを一切言わなかった。

 シロさんを助けたいと思うのは、人間の傲慢なのかもしれない。俺だっていちおう元人間として、シロさんを放っておけないからシロさんを助けたいと思うのだ。

 ある雨の晩、ベランダにシロさんが現れた。シロさんはボロボロで、顔が血で汚れていた。

 オーヤマ氏はあわてて、

「お、おい、お前どうしたんだ?!」と、シロさんに声をかけた。シロさんは苦しげに、

「にゃーん……」と鳴いた。明らかに怪我をしている。このままではまずい。

 オーヤマ氏は慣れた手つきでベランダを開けてシロさんを捕獲し、体を雑巾で拭いてやった。雑巾はべっとりと血で汚れた。シロさんは弱っていた。

 そのまま、シロさんを古い洗濯ネットにいれて、キャリーバッグに押し込むと、オーヤマ氏はアパートを飛び出していった。

 なにが起こっているのか知りたかった。しかし俺たちはオーヤマ氏のアパートから出ることはできないし、出ようとも思えない。正直なところ、シロさんがどうなるのか、俺たちに知るすべはないのである……と思っていると、目の前にいつぞやの猫頭の女神さまが現れた。

「あの白い猫は、NNNが預かりました。どうしているか見たいですか?」

「あ、は、はい……」

 女神さまは手で四角を描いた。空中に四角形の画面が現れる。

 そこには、シロさんを診る城岡先生と、心配そうに見守るオーヤマ氏が映し出された。

 シロさんは無抵抗で、城岡先生に診察されている。

「たぶん車にはねられたんだと思います」

「車にはねられた……」

「この子は運がよかったんです、即死しなかったし、骨が一か所折れるだけで済んだ。あと頭部を打撲して鼻血ですか……道で怪我しているところを拾ったんですか?」

「いえ。うちのベランダに来て」

「そうかー。お家に入れてほしかったんだねえ。これからちょっと痛い痛いのところ治すからね、じっとしててね。あ、オーヤマさんは出てもらえますか」

 そういうわけで、シロさんの緊急手術が始まった。オーヤマ氏は待合室で、まるで子供が生まれるのを待つ父親のようにソワソワしている。

 しばらくして、城岡先生はオーヤマ氏に入るように言った。

「骨折はすごく単純に足の骨が一か所ぽっきりいってるだけなので、固定しました。傷になったところはぜんぶ縫合して、鼻血は吸い取りました。まだしばらく看病が必要なので、きょうはここで様子を見ましょう。口元の傷は残るかもしれません。それからしばらく点滴です」

「ありがとうございます」

「で、どうしましょうか。助けてしまったならどこかで飼ってくれるひとを探さないと」

「そうなんですよね……怪我していてつい可哀想で連れてきてしまったんですけど」

「見つけたのがオーヤマさんでよかった。いい人のところに行って大正解だったな~」

 城岡先生は入院治療用のゲージにシロさんを入れた。シロさんは麻酔が効いているのか、動こうともしない。

「しばらくうちで預かって、とりあえず飼い主募集のポスター貼りましょう。あるいはシェルターに相談する手もあります」

城岡先生はオーヤマ氏の経済状況を想像して、そう提案してきたようだ。

「や……助けたのもなにかの縁なので」

「でもオーヤマさんのところ、オスの子猫が二匹ですよね。いまから馴染むのは難しいですよ。それにこの状態だと定期的な通院と点滴と投薬が必要になります」

「うっ」

「うっ、でしょ? わたしも心配してたんです、この子。よくゴミを漁ってたり地域猫活動のひとからキャットフードもらってたりしてたので。地域猫は場所がバレると動物虐待のひとにいじめられたりもするので、なんとかしたかったんです」

「城岡先生は優しいんですね」

「職業病ですよ。苦しんでる犬猫小鳥その他もろもろを放っておけないんです」

「そうですか……あ、しまった。慌てて飛び出してきて財布を忘れた」

「きょうはお代はいりません。あさってオーヤマさんのライブじゃないですか、そこで素敵なギターを聞けたらそれでいいです」

「……申し訳ありません」

「いいんです。オーヤマさんの、小さくて弱いものを大事にする心がちらっと見えたのが嬉しいんです」

 そこで中継が終わった。それから少ししてオーヤマ氏が帰ってきた。

「ただいま、ヤスハル、マスタツ」

 オーヤマ氏はシロさんの血がついた雑巾とシロさんを入れた洗濯ネットを処分し、ため息をついた。

 その次の日。オーヤマ氏はふつうにアルバイトに出かけていった。俺たちはシロさんを心配しつつ、オーヤマ氏の帰りを待った。そうしているとだれかがドアをノックした。

「おーいチカ? いるのか? ああ、いないのか。どーすっかなあ」

 バンドマン仲間の三村さんだ。なんの用だろう。

「ミム、お前ストーカーみたいだな」

「お、ナイスタイミング。こんなん用意したぞ」

 ふたりで部屋に入ってくる。俺は寝たふりをしながら、様子を伺う。マスタツはガチで寝ている。

「白い猫の飼い主募集のビラ、とりあえずコンビニでコピーしてきた。ライブで配ろう」

「助かる! これでよし。オーヤマブラザースのおかげで猫バンドのイメージもついたしな」

「本当にオーヤマブラザースさまさまだよなー。演奏動画よりオーヤマブラザースのほうがバズってるのが納得いかないが」

 こいつらの言う「バズる」の規模の小ささを想像してしょんぼりしてしまった。

 とりあえず決戦はおそらく明日。明日、シロさんの運命と、オーヤマ氏の未来が変わるはず。

 人間の運命を変えて幸せに導くのがNNNの大目的である。

 マスタツにその自覚はないようだが、俺は俺が幸せになるためにオーヤマ氏の幸せを願わなくてはならない。そういうものの考え方をするあたりが猫になった、という感じがする。

 ――さて、その日もオーヤマ氏と三村さんはアンプにヘッドホンを繋いで練習し、それからふたりで持ち寄った総菜屋さんやら肉屋さんやらのおかずで白い飯を食い、じゃあ明日は頑張ろうな、とグータッチして解散した。

 オーヤマ氏はあがりきった顔で俺たちをちらちら見て、

「俺、頑張るよ」と、俺たちに言った。

 ◇◇◇◇

 翌日。オーヤマ氏は衣装やメイク用品をトランクに詰めて、夕方に家を出た。

 ヴィジュアルナイト、とやらに参加するのだ。女装でなくてもヴィジュアル系のひとはこってりメイクするらしいので、まあ特に心配なことはない。

 果たして城岡先生はくるのか。シロさんの飼い主は見つかるのか。

 不安だがうまくいくことを祈るほかない。ちいくんや金剛丸くんが急にお腹を下さないことを祈るばかりである。

 オーヤマ氏が売れて、人気が出て、アルバイトしないで暮らせる収入を手に入れることが、結果俺たちの幸せに繋がるわけで、ただただ、俺は俺のためにオーヤマ氏の幸せを願った。

「見たいですか?」

 オワッなんだなんだ。突然女神さまが現れて俺たちに声をかけてきたぞ。

「オーヤマ氏のバンドの様子、見たいですか?」

「見たいです」というわけでこの間のシロさんと同じ要領で画面が開かれる。

 映し出されたのは小さなライブハウスだ。いろいろ魑魅魍魎めいたバンドマンが出番を待っている。オーヤマ氏は俺たちのこさえた破れたジャケットを着て、何度も何度も手のひらに人と書いて飲み込んでいた。

 最初の出演者のバンド名が呼ばれて、和風の出で立ちのバンドが出ていく。観客から歓声が上がる。観客席のすみっこをよく見ると、城岡先生の姿があった

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