9 救出

 シロさんを飼ってくれる、それも責任を持って最後まで愛情を注いでくれるひとは、どこかにいないだろうか。シロさんは確かに自由かもしれない、でもそれは危険と隣り合わせだ。いつだれにいじめられるか、いつ車にはねられるかわからないのでは、幸せとは言わない。

「あの。シロさん、しろおか動物病院ってご存知ですか?」

「ご存知もなにもそこでキン●マもがれたんだから知ってるわよ」

 え、シロさんオスだったの。

「あそこの先生は動物を最後まで飼ってくれます。行ってみたらどうですか」

「ぜったいにいや」

 でしょうね。そりゃキン●マもがれたらねえ……。

「シロさんはどんなひとに捕まってそういう目に遭わされたんですか?」

 マスタツが尋ねる。シロさんは、

「知らないわよ。でもなんだか柔軟剤臭くて偽善者の顔をしたババアだったわね」

 えらく断定口調である。でもまあ実際そうだったのだろう。俺も人間時代、地域猫活動というのになんとなくいい印象はなかった。地域猫と言い換えてはいるが、要するに野良猫を不妊去勢して、増えないように管理してエサをやるのがその実質的なところだからだ。

 俺たちだけでなく、シロさんにも幸せになってほしい。

 そう願うのはおかしいことだろうか。シロさんが帰っていったあとのベランダを、俺とマスタツは呆然と眺めた。

 少ししてオーヤマ氏が帰ってきた。ベランダに残されたシロさんの足跡をみて、

「……やっぱり野良猫が来てたのか」と呟いた。やっぱり、ということはオーヤマ氏はシロさんがここにくることを知っているのだ。

「どうしたもんだろうなあ……野良猫はどんな病気拾ってるかわかったもんじゃないし。ブラザースにうつされたらたまったもんじゃないし」

 そこまでぼやくと、オーヤマ氏はパソコンを起動して、スマホで撮影した動画の編集をはじめた。ギターの音やシャウトする声がヘッドホンからけっこうはっきり漏れている。

 夜になった。オーヤマ氏は俺たちにキャットフードを与え、中華料理屋で持たされたらしいレバニラ炒めを食べた。それから、さっき編集した動画をUPした。

 どうやらオーヤマ氏がバンド――おそらく三村さんとふたりなので、どう考えても楽器が足りない――の動画編集を一手に担っているらしい。であればパソコンなどの機材は、二人で金を溜めて買ったのだろう。

 俺たちを養えているのが不思議な貧乏さ、である。

 夕飯を食べ終えたオーヤマ氏がぼーっとテレビを眺めているのを、俺たちもぼーっと見た。

 オーヤマ氏は、スマホを取り出してSNSを見ている。テレビではくだらない海外のハプニング動画番組をやっているのだが、スマホのほうが面白そうなので俺はそっちを覗き込む。

 ヴィジュアル系というより単なる中二病に近そうな印象のアイコン。ツイート内容もほぼほぼポエムと告知。ときどき俺たちの画像や動画もあるし、ワンフレーズだけの演奏動画もあるようだ。

 それでもそれなりにファンはいるらしく、女の子とおぼしきアカウントからのリプライもそこそこある。けっこうリツイートされているし、バンドの活動はそこそこイイ感じらしい。

 オーヤマ氏は、メジャーデビューできたらもうちょっといい暮らしができるんだろうか。

 そんなことを考えていると、急に吐き気がしてきた。思わずゲボォと吐いてしまう。

「ヤスハル、大丈夫か? ビックリしたなあ」

 オーヤマ氏は慣れた様子で俺の吐いた毛玉とキャットフードのゲロを片付けた。吐いたらまた腹が減ったので、キャットフードを催促する。

 もぐもぐぱくぱくキャットフードを食べた。俺はふと、オーヤマ氏は昔猫を飼っていたことがあるのではなかろうか、と思った。ゲロを片付けるのがずいぶん上手だからだ。

 たいてい猫を飼ったことがない人間は、初めてゲロを吐かれるとびっくりする。でもオーヤマ氏は、当たり前みたいに片付けてくれた。やはり飼っていたことがあるのだ。

 外から、「なぁーお」と猫の声がした。シロさんだ。俺たちはダッシュで窓辺に駆け寄る。オーヤマ氏がカーテンを開けると、シロさんが座っていた。

「またお前かあ。食べられるものはなんもないぞ。それにここには入れてやれないんだ」

 また、ということは以前からオーヤマ氏はシロさんを知っているのだ。シロさんはあくびをして、ベランダに座り込んだ。

「くつろぐなよ……」

 オーヤマ氏はシロさんの写真をぱちりとスマホで撮った。そしてカーテンを閉めた。

 それから、オーヤマ氏は俺たちを見て、

「お前ら、明日休みだしワクチン打ちに行くか?」と聞いてきた。注射だ。そう思ったら急に怖くなった。マスタツのほうはワクチンがなんなのか分からないので普通にゴロゴロしている。

「おいマスタツ。緊張感を持て。注射だぞ」そう言うとマスタツは、

「注射ってなんだ? 俺は眠いよ」とあくびで返事をした。

 オーヤマ氏は意を決して、城岡先生に明日ワクチンを打てるか、とメッセージを送ったようだ。すぐ返事がきた。大丈夫ですよ、みたいなことが書いてあったらしく、オーヤマ氏はガッツポーズをした。

「……そうだ忘れてた、ジャガイモ」

 オーヤマ氏は台所に積まれていた段ボールを開けて、ジャガイモをむき始めた。どうやら角切りのポテトサラダにするらしい。俺も人間だったころメークインはそうやって食べていた。

 意外と手早くジャガイモを料理して、一人用の冷蔵庫に押し込む。

 味が染みてから食べるつもりらしい。それは確かにおいしいやつだ。

 翌朝、オーヤマ氏はポテトサラダと、値引きシールの貼られた八枚切りの食パンを食べて、俺たちをキャリーバッグに入れた。抵抗してもなんにもならないので素直に入る。

 それにワクチンを打つのは大事だ。病気を防げるならそれに越したことはない。

 開院一発目でオーヤマ氏はしろおか動物病院に入った。城岡先生はアニメキャラクター柄の割烹着を着ながらなにやら朝ごはんとおぼしきカロリーメイトをもぐもぐしている。

「おはようございます」

「はーいおはようございます。ワクチンですね」

 城岡先生は手際よくワクチン注射の準備をした。ドキドキして、思わず「にゃん……」と、情けない声が出てしまう。

 しかし見るからに若い城岡先生だが、獣医としての腕前は超一流で、注射は本当に一瞬だったしビビったほどは痛くなかった。マスタツも同じだったようだ。

「そうだ、オーヤマさんのバンドのYouTube観ましたよ」

「あ……や……恥ずかしいです」オーヤマ氏は照れた。

「オーヤマさんって女装似合うんですね……わたし子供のころ、ちょっと男の子になりたかった時期があって、髪を今でいうバズカットみたいに短くしてたんです。それ思い出して懐かしくなりました。あ、そういう嗜好、いまはないですよ」

「ああ、でも女装はやめるんです。もっと自分らしくいたいと思って」

「そうなんですか。でも普通にギター上手くてびっくりしました。応援してます」

「ありがとうございます。あ、ジャガイモおいしいです」

「わーいやったー。あ、衛生管理の手伝いに行ってる農場シリーズ、今度はニンジンもらったんですけど食べます?」

「いいんですか? ありがとうございます」

 城岡先生は、今度は箱ではなく袋で人参をわたしてきた。これなら持って帰ることができる。

「あ、それから……この野良猫がしょっちゅうアパートの周りに出没するんですけど」

 オーヤマ氏はシロさんの画像を城岡先生に見せた。城岡先生は、

「ああ、図書館裏のアパートに住んでるんでしたっけ、あのアパートの大家さんが近くの料亭の女将さんと組んで地域猫活動をしていて……この猫も半年くらい前に連れてこられました。ここまで育っちゃうとスプレーのクセは治らないと思ったんですけど……」

「なんだかいつもうちのアパートの近所をウロウロしていて、可哀想で……でもヤスハルとマスタツがいるんでエサをやるわけにいかなくて」

「そうですねえ……あのあたり交通量も多いし、なんとかしてあげたいですね……わたしは診察や手術のあいだはここから動けないので、見に行くこともできないし……ただ食べさせるだけでなく飼い主を見つけてあげる必要があると思うんですけどねえ……」

 城岡先生の意見は確かにその通りだった。シロさん救出作戦が始まろうとしている。

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