8 宿命
「アルバイトしながらギターの動画をYouTubeにUPしたり演奏活動したりしてます」
オーヤマ氏は恥ずかしそうに職業を説明した。
「おおー、未来のスターだ。ギターの音でビックリさせてたりはしませんか?」
「ヘッドホン使ってます」
「そうですよねえ……おいっおまえら。ちゃんと食べなさい。熱測りましょうか」
え、ちょっと待て。猫の体温って尻の穴で測るんじゃなかったか。そう思ったらぶすっとやられた。思わず「にゃっ」と悲鳴が出る。
「ちょっと押さえておいてもらえますか」
「は、はい」
初めての共同作業に俺の尻の穴が使われてしまった。
「うーん平熱だ……マスタツくんはどうかな」
マスタツも熱を測られて悲鳴を上げた。
「二人ともぱっと目に見える悪いところってないですねえ」
俺とマスタツは全力で城岡先生に甘えてみる。
「こらこら。わたしに愛想してないでご飯ちゃんと食べなさいよ」
軽くあしらわれてしまった。
「きゅうにフードを変えたとかはないですか?」
「いえ、特には……それともおやつが体によくなかったですかね」
「おやつ。どんなのです?」
オーヤマ氏はぬかりなく猫用のおやつを持ってきていた。
「あー、これちょっと塩分強いんですよ。猫に塩分はよくないので、塩分控えめのおやつがいいと思います」
「そうでしたか。別のに変えます」
「でも特にそれが具体的に影響してるふうはないんですよねえ……手からは食べるんですよね?」
「はい、手からは食べますね」
「しばらく、この人たちの機嫌が治るまで、手から食べさせてみてください。ああ、でも子猫だからなあ……一日三食四食手から食べさせるのは難しいか……」
「昼間はアルバイトしてるんで……」
「ですよねー! 日中はどうしてますか?」
「キャットケージにいれてます」
「運動不足なのかもしれないですね。自由に遊ばせてみてください」
「わかりました。ありがとうございます」
「あ、ちょっとヤスハルくんの耳が汚れてるので、掃除させてください」
城岡先生は鉗子にコットンをとり、薬にひたしてそれで俺の耳をほじくった。慌てて逃げようとしてオーヤマ氏に捕まる。俺を共同作業のネタにするな。
「はいきれいになりました! お疲れ様です!」
キャリーバッグに入る。
「耳掃除代は八百円でーす」
オーヤマ氏は八百円を支払った。それから、
「あの。俺、近くライブをするんですけど、もしよかったら聴きに来てください」
と、財布からチケットを取り出した。
「ヴィジュアルナイト。え、ヴィジュアル系? オーヤマさんが?」
城岡先生はビックリしている。オーヤマ氏は基本的に普通のお兄さんなので、ヴィジュアル系とは結びつかないのだと思われる。
「似合わないっすよね、俺には」
「いや、そこじゃなくて……いまもヴィジュアル系ってあるんだあと思って……」
どうやら城岡先生の認識は平成で止まっていたらしい。
「まあそもそものヴィジュアルがヴィジュアル系でないやつばっかりのイベントなんで、顔には期待しないで遊びに来てもらえたら」
「わかりました。楽しみです」
城岡先生は笑顔になった。これですよこれ。
オーヤマ氏はしろおか動物病院のドアを閉めてから、ぼっと赤面した。
「渡しちゃった……」
そこまで恥ずかしがらなくていい。女装してギターを弾いていたことを思えばぜんぜんマシだ。
帰宅して、オーヤマ氏はゴスロリ服をきれいにはたいた。売ってしまうらしい。それがいいと思う。オーヤマ氏は部屋のなかに俺たちを適当に放した。
そうなればやることは一つ。探検である。
探検すると言ってもオーヤマ氏の部屋にはテレビと兼用のディスプレイとキーボードとマウスとパソコン本体、ギター、ローテーブルくらいのものしかない。マスタツがパソコンのコードをかじろうとするので、
「それかじると感電して死んじゃうぞ」と言っておいた。マスタツはぷるぷるして、それからディスプレイの裏側に回り込んだ。埃まみれだ。
「……掃除しなきゃならんな」
オーヤマ氏はため息をついた。
探検の結果、オーヤマ氏が貧乏であることがよく分かった。パソコンはギリギリ保証が切れていないバージョンの中古品のようだ。
「とりあえず食べるか」
オーヤマ氏がキャットフードを手のひらに開けた。うみゃうみゃと食べる。うまくはないが腹はふくれた。それから二人して寝た。
翌朝、オーヤマ氏はキャットケージの鍵をかけないでアルバイトに向かった。もう探検は終わっているので、俺とマスタツは部屋の真ん中でプロレスごっこに興じた。キャットフードも用意されていたので、いままでの腹減りを取り返すべくがっついて食べた。
「いやあ、自由っていいな」と、マスタツはニコニコしている。
「ああ。キャットケージの外にも楽しいことはある」
「外に興味がわいたのかしら?」
窓の向こうにシロさんが現れた。やっぱり神々の使いみたいな神々しい見た目をしている。
「いや、そういうことじゃなくて……俺たちはオーヤマ氏を幸せにしなきゃいけないので」
「猫が人間の幸せを考えるだなんてナンセンスだわ。人間は猫の幸せなんて気にかけてもいないのよ」
「オーヤマ氏はそういうひとじゃない!」
たぶん人間から見たら「シャーッ」という感じに見えるセリフが俺から出た。
「あらあらいきり立っちゃって。お腹すいたの? きょうは生ゴミの日だから私は満腹よ?」
「ちゃんとキャットフードを腹いっぱい食べてますー!」
そう返事をする。
「あんな美味しくないもの、よく食べる気になるわねえ。『わかあゆ』の女将さんが食べさせてくれるけど、人間は猫の幸せなんて考えていないから、あんなまずいものができるのよ」
「あれは猫に必要な栄養が」
「栄養? 食べ物なんておいしければそれでいいのよ」
「シロさん、そのままじゃ死にますよ」俺がそう言うと、シロさんは高笑いした。
「いいのよ。どうせ野良猫に生まれた命だもの。一匹で儚く、泡のように消えていくのだわ」
「……シロさん」
シロさんの語る野良猫の宿命は、あまりにもせつなかった。
「シロさん、シロさんは人間と暮らすべきだ。シロさんは人間を嫌うけど、人間はきっとシロさんの味方をしてくれる」
「いままでそんな顔をした人間にたくさん会ったわ。でも一時しのぎにあのおいしくないキャットフードをくれるか、また捨てられるか……人間なんてしょせんそんなものよ」
シロさんはホホホと笑った。誰か、シロさんの幸せを考えてくれる人はいないだろうか。俺とマスタツは顔を見合わせた。
「シロさんだって幸せになっていいと思う」俺はそう言った。
「それは人間を信用する愚かな猫の考えだわ」と、シロさんは答えた。
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