5 仮病

 で。

 動画は再生回数はそれなりに伸びたものの。

 コメント欄には「ギターいらない」「猫だけ見たい」といった悲しいコメントがモリモリ書き込まれてしまった。

 オーヤマ氏は分かりやすく落ち込んでいる。俺たちにはどうしようもないのだが、しかしどうにかしなくてはならない。

 別にオーヤマ氏のギターが下手だから悪意のコメントが寄せられたのではなく、単純に俺らが可愛すぎたのだ――と考えて、俺もすっかり猫ちゃんだな……と、そうぼやく。

 マスタツと作戦会議をする。オーヤマ氏の機嫌を回復するにはどうしたらいいか。

「やっぱり城岡先生に逢わせてやるしかないんじゃないか」

「しかしどうやって。俺ら健康体だぞ」マスタツが後頭部を後ろ足で掻きながらそう言う。

「仮病だ。仮病すれば、俺たちを獣医さんに連れていく。しかし仮病は危険が伴う、俺がやるよ」

 というわけで、人間だったころSNSでバズっていた「猫が手からしかご飯を食べないので獣医さんに連れていったら『甘えですね』と言われた」というのを実践してみることにした。

 オーヤマ氏は当たり前みたいにキャットフードを用意してアルバイトに出かけた。腹は減っているのだが、オーヤマ氏の幸せを願うために俺は必死で食欲をこらえた。

 オーヤマ氏は帰宅して、俺の皿にキャットフードが残っているのをみて、

「……ヤスハル、どうした?」と俺に声を掛けた。俺は頭をオーヤマ氏にすりすりする。

「お、おう……おやつ、おやつ食べるか?」

 オーヤマ氏は俺に猫用のカマボコを差し出した。それをもぐもぐかじって、さらに頭をすりすりする。

「なんでご飯食べないんだ?」

「なぁーお」

「ほら、食べてごらん」オーヤマ氏はキャットフードを何粒か手に取り、俺に見せてきた。それをかりぽり食べる。

「手からは食べるのか……」

 オーヤマ氏はそこで安心したらしく、溜まっていた家事を始めた。俺はゲージのハンモックに戻って寝ることにした。

 夕方、新しいキャットフードが用意されたが、俺はオーヤマ氏を心配にさせるぐらいの食欲不振を偽る必要があるので、それに手をつけるわけにはいかない。空きっ腹をかかえてげんなりしつつ、オーヤマ氏が手からキャットフードを食べさせてくれるのを待つ。

「また食べてないのか」

 オーヤマ氏が手からキャットフードをくれた。まずいが腹ペコなのでうまい。

「ヤスハル、お前どうしたんだ? 具合わるいのか?」

「なぁーお」

 思わず目をぱちぱちと閉じてしまう。これは猫の「信頼」の仕草だ。

 オーヤマ氏は壁にかけてあるカレンダー――初診のときもらってきた、しろおか動物病院の営業時間の書いてある、かわいい猫ちゃんのカレンダー――を見た。けっこう遅くまでやっているようだ。

「……ちょっと行ってみるか」

 よっしゃ。俺は素直にキャリーバッグに入る。オーヤマ氏は俺をしろおか動物病院に連れていった。

 さすがに夜の飲み屋街はなんとなくざわざわしていて、不穏な感じだ。

 しろおか動物病院は、とくに患者さんは来ておらず、城岡先生がカップ麺をすすっていた。けっこう不健康な暮らしをしているようだ。

 アニメキャラクター柄の布で作った割烹着を着た城岡先生は、オーヤマ氏を見るなり、

「オーヤマさん。どうしました?」と、ラーメンの容器をテーブルに置いた。

「ヤスハルが突然ご飯食べなくなって……おやつとか、手からキャットフードは食べるんですけど」

「ふーむ。マスタツくんはどうしてます?」

「ちゃんとご飯食べてます」

「よし、じゃあヤスハルくん、ちょっと診させてね」

 キャリーバッグから素直に出る。

「ヤスハルくんはお利口さんだねえ……ふむ、とりあえず体に目立つ異変はない……聴診器で聞いてみますか。こっちも問題はなさそうだなあ……お口見せてね。こっちも問題はなさそうだし……お尻……も、問題ないなあ……排泄物はどうです?」

「特に問題はないと思うんですけど」

 オーヤマ氏と城岡先生が話している間に、俺は城岡先生の手にひたすら頭をすりすりした。

「おお、めちゃめちゃ懐かれてる。猫にはだいたい嫌われるんですけどね、わたし」

 と、城岡先生は苦笑した。

「とりあえず手からは食べているということは、食欲が完全になくなったわけではないと思うので、尿検査とか血液検査はこの状態が続いたら、ということにしましょうか。ヤスハルくん、ちゃんと食べなきゃだめだよ?」

 俺は城岡先生に向けて口を開けて、小声で「ひにゃ」と鳴いた。

 これは猫的には「月がきれいですね」というやつである。

「おお、めちゃめちゃ好かれてしまった……」

 城岡先生は照れている。

 とりあえず診察が終わった。城岡先生の食べていたカップ麵は完全に伸びきって冷めていた。

「……どこもわるくなかったので、お代は不要ですよ。あ、それから」

 城岡先生は二階からなにか箱を降ろしてきた。

「衛生管理の仕事で行ってる養豚場の人が趣味で作って作り過ぎたジャガイモもらったんですけど、食べます?」

「え、いいんですか?」

「もちろんですよ。一人暮らしじゃ食べきれないので。メークインなんでカレーとか煮物系がいいと思います」

 段ボールに一箱、ジャガイモをもらってしまったオーヤマ氏は、ちょっと途方に暮れていた。ジャガイモはありがたいが徒歩で来たのでキャリーバッグを含めるとすごい荷物である。

「……どうしました?」

「あ、いえ、その、……徒歩で来たので、どうやって帰ろうかなと」

「あ、ご、ごめんなさい。ご迷惑でしたよね」城岡先生が慌てている。

「い、いえ! 正直そんなに稼いでるわけじゃないので、ジャガイモもらえてすごくうれしいんですけど……」

「じゃあ、そろそろ店じまいの時間ですし、送りましょうか? 徒歩ってことは近くですよね、わたしも銭湯に行きたいところなので」

 銭湯。もしかして城岡先生はこの建物の二階で暮らしているんだろうか。城岡先生は軽トラを出してきて、さっきのジャガイモともう一箱ジャガイモを荷台に積み込んだ。

「どのあたりまで送ればいいですか?」

「図書館の裏にアパートがあるんですけど、そこが俺の家です」

「わかりました。……あの、常連の患者さんとか、いつ緊急事態が起きるか分からない患者さんだけに、LINEのアカウント教えてるんですけど……ヤスハルくんになにかあったら困るので、LINE交換しませんか?」

「は、はい!」

 おおっ。一歩前進。LINEを交換して、オーヤマ氏はアパートの近くまで送ってもらい、段ボール二箱のジャガイモを部屋に運び込んだ。

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい。それではまた」

 ――大して緊急事態でもない俺のためにLINEを交換してくれるとは、これは城岡先生も脈ありではないのか。

 とりあえず腹が減ってしょうがないので、皿に用意されたキャットフードをガツガツ食べた。オーヤマ氏はため息をついた。そりゃため息もつきますわな……。

 マスタツは寝ていた。俺もさっさと寝ることにした。

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