3 獣医

 とりあえず俺たちは特徴的な面白い模様だとか、風変わりな顔をしているわけではない。ごくごくオーソドックスな茶トラの猫だ。

 だから見た目のインパクトでバズるのは諦めることにした。であればなんだろう。人間くさい仕草だとか、ユーモラスな行動だろうか。

 そんなことを考えながら、おいしくないキャットフードをかりぽりかりぽり食べる。おいしくない。

 なにをすればオーヤマ氏のSNSやYouTubeチャンネルを盛り上げられるだろう。そんなことを考えていると、俺たちはキャリーバッグに押し込められてしまった。

「なあ、これどこ行くんだ?」と、マスタツに聞かれた。

「獣医さんとかじゃないか?」

「じゅうい……さん?」

「要するに医者だな。体に悪いところはないか調べてもらうんだろ」

 それくらいのことは想像できる。マスタツは猫なのでよく分からない顔をしている。

 オーヤマ氏は俺たちの入ったキャリーバッグを抱えて、外に出た。じめっとしている。六月とかそんな感じ。じゃあ俺らは春生まれなのか。

 子猫は春の季語だと聞いた覚えがある。俺らはまさしく春の季語だが、どうやら春は過ぎ去りつつあるようだ。

 たどり着いた獣医さんの看板を見上げる。「しろおか動物病院」と書かれている。どうやら飲み屋街というか酒場通りというか、そういうところにあるようで、なにやらスナックやキャバレーの看板も近くのあちこちにある。

 オーヤマ氏は獣医さんのドアをくぐった。病院のなかはわりと散らかっている。受付にはカルテが散乱し、文房具も投げ出され、ゴチャゴチャしている。

 なんとなく緊張してキャリーバッグの隅に詰める。思わず「ぴぃ」と声が出る。診察室から、めちゃめちゃでっかい土佐犬と、サングラスにパンチパーマ、白スーツのおっさんが出てきた。わお、反社勢力。

 キャリーバッグに入れられているので、パンチパーマのおっさんの足元まで確認できたわけではないが、きっとすっげえピッカピカの靴履いてるんだろうな、と思った。

 そのおっさんは俺たちを覗き込んで、

「子猫ちゃんでちゅかあ。可愛いでちゅねえ」

 と幼児語で言ってきた。いやギャップすげえな?!

「はーい二千円になりまーす」

 若い女の人の声。パンチパーマのおっさんは二千円払い、土佐犬を連れて出ていった。

「えっと、初めてですか?」

 若い女の人――おそらく獣医さんの声。

「あ、はい。大山といいます」

「大山さん。診察室にどうぞ」

 なんだかドキドキしてきた。おもわずまた「ぴぃ」と声が出る。

「おー子猫だあ。ここ、立地的にさっきのちいくんみたいな患者さん多くて。健康診断ということですか?」

 あの土佐犬、ちいくんっていうのか……。「ちい」の要素どこにもないのに……。

「そうです。こっちがヤスハルでこっちがマスタツです」

「オーヤマブラザースということですか。いい名前つけてもらったねえ」

 果たしていい名前なんだろうか。

 抵抗しても人間には勝てないので、素直にキャリーバッグを出る。マスタツは踏ん張っている。それでもケースからやすやすと取り出されて、体のあちこちを調べられた。

「うん、生後二ヶ月の子猫ですね。特に目立った悪いところはないです。どっちも男の子なので、あと四か月くらいしたらキ●タマチョッキンしちゃいましょう」

 やっぱりキ●タマを取られるらしい。股間がひゅんっとする。

 どうやらこの城岡先生――壁に獣医師免許がかけられており、それを読むかぎりでは「城岡あさみ」というのがこの先生の名前らしい――は、わりとさっぱりしたというか大雑把な性格の獣医さんのようだ。顔を改めて見てみるとけっこう美人である。

 それからオーヤマ氏を見る。

 ぽーっとしていた。

 おいおいオーヤマ氏、あさみ先生に惚れちゃったのか。

 とりあえず、俺たちに悪いところはないようなので、もうちょっと大きくなったらワクチンを打つ予約をしたようだ。とりあえずチョッキンはまだ先らしい。

 診察室を出ると、だいぶ化粧の崩れたどっかのスナックのママと思われるお姉さんが、シーズーだかマルチーズだかわからんがとにかく座敷犬を抱えて待っていた。犬は尻尾をすごい勢いでぶんぶんしている。お前ここがどこだかわかってんのか。

「はーい初診料二匹で二千円でーす」

 意外と安かった。オーヤマ氏はお金を払いに、俺たちの入ったキャリーバッグを置いてレジに立った。お姉さんがキャリーバッグを覗き込んで嫌そうな顔をする。猫嫌いの人だ。

 オーヤマ氏はキャリーバッグをもってしろおか動物病院を出た。入れ違いに、さっきの座敷犬が、「はーい金剛丸くんどうぞー」と、土佐犬のちいくんと名前を入れ替えるべきでは? という名前で呼ばれていた。金剛丸要素一切ないじゃん、あの犬……。

「……よし」

 なにが「よし」だ、オーヤマ氏。ツッコもうと思ったが「ぴぃ」もしくは「にゃー」としか言えないので黙っていた。あれ? 俺にゃーって鳴けるの? まじか?

「にゃー!」

 全力で文句を言ってみた。オーヤマ氏はちょっとびっくりして、

「お前にゃーって鳴けるのか」と俺を見た。そんなことはいい、おやつをよこせ。

「にゃー!」マスタツもそう鳴く。俺たちは着々と成長しているようだ。帰ってきたらご褒美に、猫用のカマボコが用意してあった。人間のカマボコとさして変わらない、強いて言えば塩気の薄いカマボコをもぐもぐして、「うみゃー」と鳴いておいた。

 ……これでは?

 俺はもう一度、カマボコを催促するように、

「うみゃうみゃにゃにゃー」と人間のマネをしてみた。見ていたマスタツも、同じように、

「うみゃあ」と名古屋弁の如く鳴いた。

「カマボコうまかったのか?」

「うみゃうみゃー」

 気付け。はよ撮れ。俺たちはずっとうみゃうみゃーと騒ぎ続けた。

 しかしオーヤマ氏は、俺たちが人間の喋る真似をしていることに気付かず、俺たちをケージにいれて、アンプにヘッドホンを繋いでギターの練習を始めてしまった。

 こいつ、城岡先生に惚れたうえに、ギターで生計を立てて城岡先生と釣り合いの取れる男になろうとしてるんじゃねえか。とにかく俺とマスタツはハンモックに寝っ転がってしばらく寝ていることにした。

 ふと目を開けると、オーヤマ氏はまだギターを練習していた。顔がついていくギターだ。

 こりゃあ前途多難だぞ……。俺はため息をついた。

 それから少しして、バンドマン仲間が現れ、また二人でテイクアウトの丼物を食べ始めた。

「それがさ、獣医さんがマジで美人だったわけよ」

「ほぉーん。ファンにちやほやされるだけじゃ飽き足らず女を開拓しようってわけ」

 こいつファンなんているのか。それはともかくどうやらオーヤマ氏はマジで城岡先生に惚れてしまったらしい。そして丼をかっこんで、

「女っつうか、結婚を前提にお付き合いしたい感じだな……」と予想外のセリフを言った。

「でもお前がこういう職種だってバレたら無理なんじゃないか。女形ギターだろ、梅沢式の」

 え、オーヤマ氏まじで女装するの。この顔で、梅沢式ということは化粧すれば美人になるということだろうか。想像がつかない。

「おいマスタツ、また任務が増えたぞ。オーヤマ氏は城岡先生に惚れてるらしい」

「ふーん。俺は眠いよ」マスタツはそう答えるとすやすやと寝てしまった。

 猫って気楽だなあ……。俺一人で頑張るしかなさそうだ。任務遂行のために、俺はオーヤマ氏のところにやってきたのだ。オーヤマ氏を一流のアーティストにして、城岡先生との間を取り持つことが、俺のNNNから与えられたミッションである。……え?

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