2 目的
夕方、前の飼い主の家で食べていたキャットフードよりちょっと安いキャットフードを、おいしくないなあ……とぱくついていると、なにやら人が入ってきた。
「なんか人きたぞ、隠れたほうがよくないか」マスタツがそう慌てて言う。
「隠れるもなにも、キャットケージのなかには隠れるところないだろ」
「……そうだった」マスタツがため息をついた。
「おーマジに子猫じゃん! 超かわいいじゃん!」
部屋に入ってきた人が俺たちを見てそう言った。
「おいおいデカい声出すなよ。まだうちにきたばっかりでビビってんだから」
入ってきたのはどうやらバンドの仲間らしい。しぃーと言って、テイクアウトの親子丼をふたりで食べ始めた。おいしそうな匂いがする。
「しかしどういう風の吹き回しだ? チカが猫なんか飼うなんて」
「実は昔から猫好きだったんだよ。最近俺らのYouTubeも収益化したからまた飼いたいと思って」
YouTube。もしかしてさっき撮ってた映像はYouTubeにUPするのだろうか。
「あ、バンドのYouTubeとは別にオーヤマブラザースチャンネルつくるから」
「オーヤマブラザース? チカ、お前実名出すのか?」
どうやら俺たちの飼い主はマジでオーヤマさんらしい。
「いやいや。こいつらヤスハルとマスタツっていうんだ」
「ヤスハルと……マスタツ? なんだそれ」
「ヤスハルは大山康晴っていう将棋の名人で、マスタツは大山倍達っていう空手家だ」
「なんそれウケる。でもそっちも収益化できて食えるようになるといいな」
「そうだな……ヤスハルとマスタツ、さっそくツイッターにUPしたらすさまじい反響だぞ」
「どれどれ」
なるほど、こいつらはバンドマンやりつつYouTubeで食っていて、宣伝にSNSを使っているのか。なんだか不安だぞ、それ……。メントスコーラ風呂みたいなことを始めないように祈りつつ、マスタツをちらりと見る。おいしくない顔でキャットフードをぱくついている。
「マスタツ、この飼い主の運命は俺たちに託されてるぞ」
「どういうことだよ」
「俺たちが面白いことをすると、この飼い主はその動画とか写真を撮るわけだ。それで宣伝して、YouTubeにUPしたりSNSを使って宣伝したり」
「なあヤスハル、お前どこでそんな難しい言葉覚えたんだ? さっぱり意味が分からん」
「そりゃ……前世が人間だからだ」
「はぁ?!」
マスタツはけんか腰でそう切り返してきた。
俺はここまでの事情を説明する。マスタツはふむふむと聴いて、
「じゃあお前、人間だったのか」と、納得の顔をした。
「まあそういうことだ。マスタツは前世の記憶とかないのか?」
「ない。でも忘れちまっただけかもしれない」
「そうだな、俺も忘れそうだ」
食事のあと、バンドマン二人は俺たちの観察を始めた。俺はハンモックにへそ天で寝っ転がり、さあ撮ってくださいとアピールした。
「くつろいでるな……本当にきょうもらってきたのか?」
「おう……このくつろぎぶりはすごいな……そっとしといてやるか」
写真、撮らんのかーい! 俺はむくっと起きて全力で、「ぴぃー!」と叫んだ。
「お、おう?!」
俺はまたへそ天で寝っ転がる。バンドマン二人は、
「写真に撮ってくれ……ってことか?」
「いや猫が人間のやってることをそんな理解してるとは思えんのだが」
とか言いながら写真を撮る。それをツイッターにUPするのを見届けて、俺はやっと寝る気になったのだが、ショボい電熱ヒーター一台しかない部屋がうすら寒いので、マスタツにひっついて寝ることにした。
「寒いな」俺がそう言うとマスタツも「うん寒い」と返してきた。
母猫の温もりが恋しかった。妹たちは元気だろうか。まだ一日も経っていないのに不安で、思わずぴぃぴぃと鳴き始めてしまう。
「どうした、寂しいのか? だよな、こんな子猫だもんな、母猫と離されたら寂しいよな」
結局俺とマスタツは一晩ぴぃぴぃ鳴いて過ごした。キャットフードが安い割に栄養があったらしく、さほど疲れなかった。
翌朝オーヤマ氏は寝不足の顔をしていた。
「……お前ら、もしかして寒いのか?」
「ぴぃー!」
「ぴぃー!」二人、いや二匹でそう主張すると、オーヤマ氏は空いたペットボトルにお湯を入れてタオルで包んで俺らの寝床に入れてくれた。温かくてうっとろりんになる。その様子も、オーヤマ氏は写真に撮っている。
俺らが面白いことをすれば、オーヤマ氏は収入を得られるわけである。
オーヤマ氏は寝不足が祟ったらしくばったりと昼寝を始めてしまった。申し訳ないことである。
小皿に入れられたキャットフードをもぐもぐぱくぱく食べて、俺らも昼寝をすることにした。しかしその昼寝は突然の電話でさえぎられた。
「は、はいもしもし」
オーヤマ氏がスマホを耳に当てる。電話のむこうから、すごくでっかい声で、日本語が母語ではなさそうな喋りが聞こえてくる。たぶんオーヤマ氏は中華料理屋かなにかでアルバイトもしているのだろう。
オーヤマ氏は電話を耳に当てたままペコペコしている。なんだか滑稽だ。
それからオーヤマ氏は慌てて家を飛び出していった。せめて顔くらい洗えよ。
「なにして遊ぶ? けりぐるみはひとつしかないぞ」
マスタツは前足で押さえて後ろ足で蹴飛ばして遊ぶぬいぐるみをちらりと見た。
「ここはひとつプロレスごっこじゃないか」
俺もすっかり猫になっていたのであった。しばらくマスタツとどたばた暴れて遊んだ。楽しかった。子猫というものは元来こうやって遊ぶ生き物なんだろう。
そうやっていると、誰かがドアをノックした。
「大山さん? います?」と、女の人の声がした。
「だれだろ」マスタツが不安げな顔をする。
「大家さんとか、下の階のひととか……プロレスごっこはマズったかもしんない」
「どういうことだよ」マスタツに、アパートというものの仕組みを説明する。もしかしたらペット禁止で、俺たちをコッソリ飼っているのかもしれない、それが大家さんにバレたら俺たちは捨て猫になってしまうかもしれない。そう言うとマスタツは目を見開いて、
「冗談じゃないぞ。俺らは飼い猫だ、野良猫でやっていけるわけがない!」と叫んだ。
「俺だっていやだよ。オーヤマ氏はたぶんわりと悪くない飼い主だぞ」
しばらく俺たちはだいぶぬるくなったペットボトル湯たんぽにひっついて過ごした。しばらくしてしょんぼり顔のオーヤマ氏が帰ってきた。手にはなにやらビニール袋が下げられている。
「ただいま、ヤスハル、マスタツ」
俺たちはキラキラの目で応じる。オーヤマ氏はビニール袋から筑前煮のタッパーウェアを取り出して食べ始めた。メモが入っている。読めるかぎりでは「作り過ぎたので食べてください 大家」とある。……なんだ、大家さんから差し入れだったのか。心配して損した。
キャットケージから出してもらえるようになったら、ここがペット禁止なのか確認しなくてはならない。なるべくリスクのない方法で。
オーヤマ氏は筑前煮をやっつけて、俺らと猫じゃらしで遊んでくれた。しばらく猫じゃらしにぴょんぴょんと踊らされて、俺も結局猫になっていることを自覚した。
とりあえず俺たち兄弟の暮らしをよくするには、オーヤマ氏のYouTubeチャンネルを充実させ、チャンネル登録者数を増やさねばなるまい。そして、オーヤマ氏自体を宣伝するために、面白いことをしてツイッターも盛り上げねばならない。
これはなかなか難しい冒険の始まりだ。俺は柄にもなくドキドキしていた。
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