吾輩ハ転生者デアル
金澤流都
1 爆誕
ここはどこだ。そして俺はだれだ。分かるのはミルクの甘い香り、母親ときょうだいたちの体温がせいぜいで、目も見えないし耳も聞こえない。
母親に忘れられないように、俺は必死に声を出した。ぴぃ。ぴぃぴぃ。
……これ、人間の赤ん坊じゃないな?
体をなにやらざらざらして温かいものが撫でていく。背中にはどうやら毛が生えているらしい。そのまま母親に首を掴まれて、なにやら薄暗いところに引きずりこまれる。
えーと。
ここまでのことを思い出してみよう。俺は仕事の外回りのさなか、道を野良猫が渡るのをみて思わずブレーキを踏んで、そこに後ろの車が突っ込んできて、俺の乗っていた車はその衝撃で電柱に正面からぶつかった。
おそらく俺はそれで死んだのだと思われる。
そんなことを考えているうちに腹が減ってきた。母親の乳首を探す。かじりついてちゅぱちゅぱと吸う。たいして飲んでいないのに腹いっぱいになってしまった。するとこんどは眠たくなってきたので、そのままウトウトと夢のなかに転がり落ちる。
――どうやら、俺は猫に転生したらしい。
え、それじゃあずっと、働きもせずただ寝ているだけの人生、いや猫生を送っていいってことですか。やった! ようやっと労働から解放されたぞ!
そもそも野良猫をみて急ブレーキをかけたのだって、なかば事故って死にたいと思っていたのと、猫という無条件にかわいい生き物を殺したくないという気持ちのダブル効果だ。そこを神様は汲んでくれたのだろう。
母猫の温もりを感じながら、俺はおだやかに安眠した。目が覚めたら腹が減っていたので、また母猫の乳を吸う。
子猫は目も耳もあいていないので、本当に温かさと匂いしか現状を推測する手段がないのだが、どうやら母猫は飼い猫のようだ。それは母猫からキャットフードの匂いがするのと、なにやら外から柔軟剤の匂いがかすかにするところから察された。
しかし子猫ってこんなに不自由なのか。何日くらい育てば目や耳が開くんだろう。母猫の乳を吸いながら、俺はそんなふうに考えて、また眠くなったので寝た。
それを何度か繰り返して、あるときはっと目が開かれた。まだピントは合わないしぼやけているし、人間だったら眼鏡がぜったいに必要なのだが、そこで俺はやっと母猫やきょうだい猫たちの顔を拝むことができた。
母猫はシンプルな三毛猫だった。きょうだい猫は、三毛猫が二匹に、茶トラが一匹。たぶん俺も茶トラなんだろう。俺たちはキャットケージのなかの産箱にいるらしく、きょうだい揃ってぴぃぴぃ鳴くしかできない。
耳も聞こえるようになってきた。やっぱり人間の家だ。テレビの音がする。
「ミー子、何匹生まれたか見せてよ」
飼い主は女のひとで、母猫はミー子と言うらしい。母猫は飼い主が近づくと、俺たちを産箱の中に置かれた猫のふとんの中に隠してしまう。気が立っているらしい。
「……まあ、もうちょっとすれば子猫のほうから出てくるか……」
飼い主はため息をついた。四匹きょうだいだと教えてやりたいが、あいにく「ぴぃ」としか声が出ない。
そこからさらにしばらくして、だいぶ目と耳がしゃんとしてきた。手足も自由に動くようになってきたので、母猫に捕まらずに産箱の中をうろうろできるようになった。
飼い主は俺たち子猫の数を数えて、
「うーむ。四匹も生まれたかあ……茶トラってことは親はごろ太かな。譲渡のチラシ作らなきゃ」と、俺たちの写真をぱちぱちと撮った。
譲渡ということは、俺たちはきょうだいや母猫と引き離されて、どこかの家に引き取られる、ということなのだろう。なんだか寂しいことだ。
……ちょっと待てよ。
譲渡のチラシって、たとえば動物病院とかに張り出すわけだよな。俺が人間の子供だったころ貰ってきた子犬もそういうルートだったと思う。で、その子犬はオス犬で、少し大きくなってから去勢した。いまじゃたいがいの人がペットを去勢するだろう。
俺の股間がヒュンっとなった。
まだ鈴カステラすらできていない子猫だが、やっぱりもいじゃうんでしょうか。
――まあ、そういう怖いことはおいておいて、いまはすくすく育つのが大事だ。母猫の乳をちゅぱちゅぱする。なんとなく物足りなくなってきた。
物足りないなあ、と思っていると、飼い主が俺たちを一匹一匹抱き上げて、ミルクに溶かしたキャットフードを食べさせてくれた。さほどおいしいとは思わないが、栄養は母猫の乳よりはありそうなので、すくすく育つべく頑張ってたくさん食べた。
猫の時間感覚では何日経ったか定かではないが、俺たちは食べさせてもらわなくても自力でキャットフードを食べられるようになった。おいしくないのだが下手に人間の食べ物をねだるのは危険だろう。そう思っているうちに、家になにやら人がやってきた。
知らない男の人だ。怖い。そう思って母猫の後ろに隠れる。
「茶トラの兄弟を引き取りたいと思っているんですが」
えっ。
俺はもっと母猫にひっついていたかったし、なんならこのお姉さんにずっと飼われたかったのだが。
「こっちの子はすごい甘えん坊で、ずっと母猫にひっついてて」
お姉さんは俺を抱き上げてそう言った。俺は全力で暴れるも子猫の全力なんて無力だ。
「こっちの子は自立心があって元気で」
そう言われてきょうだい猫のもう一匹の茶トラが取り出された。母猫が無抵抗なのは育児疲れだろうか。
「よし。きょうから一緒に暮らそうな」
そう言って男の人はキャリーバッグに俺ときょうだい猫を入れた。
「……なあ」
きょうだい猫は俺にそう話しかけてきた。
「オワッびっくりした。お前喋れるのか」
「喋れるよそりゃ。俺たち、どうなっちまうんだ?」
「なんかこの兄さんとこで飼われるんだろうな」
「そうか……お袋にはもう会えないんだな。妹たちにも」
「お、おう……」
きょうだい猫が喋るのを聞いて、俺はちょっと心強くなったとともに、しかしながら猫を虐待目的で飼う人間のことを思い出す。恐ろしいことである。
そうならないようにひたすら、人間のころ幼稚園がカトリックだったので覚えているキリスト教式のお祈りをしようと思ったが、キリスト教の神様は犬猫は救ってくださらないということを思い出して、今後なにに祈るべきか悩むことになった。
そうしているうちに、どこかに着いた。そんなに広くないアパートだ。部屋の隅にキャットケージが用意されていて、俺たちはそこに入ることになった。高さがあって、最上階にはハンモックもある。
俺たちの首に、首輪が付けられた。俺は緑、弟のほうは青だ。
「お前がヤスハルでお前はマスタツだ。元気で長生きしろよ」
俺の名前はヤスハルと言うらしい。弟はマスタツ。オーヤマブラザースということなんでしょうか。まあ将棋の名人と空手家だ、強そうな名前ではある。猫につける名前かどうかはさておいて。
「なあヤスハル、あそこに置いてある変な形のやつ、なんだ?」
マスタツがそう訊ねてきた。見ればエレキギターが置かれている。
「あれは多分楽器だな」
「楽器か。デカい音するのか? 飼い主は楽器を弾いて暮らしてるのか?」
部屋を見渡す。ロックバンドのポスターがあちこちに貼られていて、アンプやヘッドホンもある。ハンガーラックにはゴスロリファッションのドレスがかけられている。
どうやら、飼い主はヴィジュアル系のバンドマンらしい。大丈夫か、ちゃんと飯は食えるのか? 俺の心配をよそにマスタツは昼寝を始めて、バンドマンこと飼い主は俺たちの動画を撮っている。大丈夫なのか、ここ……。
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