第4話 Sign 〜②

「生憎の天気だけど…少しドライブでもしようか。どこか行きたい所はある?」

私は少し考えてから「横浜」と答える。

「いいね」

先生はそう言って車を走らせた。



「横浜にはお母さんのお墓があるんだ。お母さんの実家だから」

「どんな人だったの」

「いつも優しくてピアノが上手で勉強も出来て、中学の時なんかはわからない所があると教えてくれたりもした」

大好きな母の事を人に話すのは久しぶりで、沢山の思い出が溢れ出す。

「うちの高校を受験する時にあの人は凄く反対したんだけど、お母さんの母校だから絶対にここに入りたかったんだよね」

「そっか。澪のお母さんも通ってたんだね。合格した時お母さんは嬉しかったんじゃない?」

「すっごく喜んでくれて、制服を着た私の写真を何枚も撮ってた。ここで頑張って勉強して、大学も同じ所に通いたいって思ってたけど…なんかもうそれはいいかなって」

「澪は成績も良いし、レベルの高い大学も十分狙えると思うけど」

「あの人私が大学に行く事を望んでないから」

「それは…ちゃんと話して決めた事?」

「昨日の夜…お母さんと同じ大学に進学したいって面談の時に言うからってあの人に話したの。そうしたら物凄く怒り出して、学歴が高い女なんて碌な奴にならないって殴られた。

あの人は昔そこに落ちて…それは自分のせいなのに、頭だけ良くても常識を知らないとか料理のひとつでも覚えてた方が良かったとか昔から文句ばっかり。お母さんが言い返す事は無かったけど、辛くて泣いてた時もあったんだんだ。でもそれを見ないふりしてた。

あの人はプライドだけ高くてひどく弱い人だから」

一気に話したからか、それだけで少し疲れてしまった。

一息つこうと飲んだ炭酸飲料はすっかり気が抜けていて、甘さだけが喉にまとわりつく。

窓の外に目をやって景色を眺める事にした。


久しぶりの横浜は雨模様でも美しい。

街の光が雨と混ざり幻想的な景色を見せてくれて、窮屈で落ち着かない東京とは違って感じる。

「同じ雨でも、ここの方がずっといいな」

先生は「僕もそう思う」と笑った。


赤信号で車を停めた先生が私の方を見る。

「澪は本当にお母さんと同じ大学を目指さなくていいの?」

うん、と呟いてから言葉を整理して話す。

「多分、私…あの人を悔しい気持ちにさせたかっただけなんだと思う。でもそれはもういいかなって」

「本当に?」

「昨日ね、あの人は許せない事を言ったんだ」

目の前にいるこの人が傷つくだろう事を口にするかどうか少しだけ迷って、それでも話す事を決めると不思議と心が軽くなった。

「お前もあいつみたいにぐちゃぐちゃになればいいんだ、って」

先生の眉がピクリと動く。

「最低だ…なんでそんなに酷い事を…」

「私が生きてるだけであの人は毎日絶望してるんだって分かったら、大学とか関係無いのかもって思えたの。でももう、あの家に帰りたくないなぁ」

「帰らなくて良い。澪を傷つけるだけの人のところになんて、帰したくないよ」

泣きそうな声で言う。


「お母さんの…あの日の事故はもしかして…」

「澪」

続けようとした言葉を先生が咎める。

事故の時に車を運転していた男性は近所の耳鼻科の医者だった。

1年半くらい前に突発性難聴を発症した母から、担当の先生がとても親身になってくれる人で良かったと話を聞いた事がある。

先生の事を話す時、純真さと苦しみの両方が混じったような艶やかな表情をしていた母。

(きっと、先生に救われていたんだ)

今ならその気持ちがわかる気がする。

母が亡くなったという知らせを聞いた時からずっと考えていて、それでも怖くて言えなかった言葉。


ーもしかしたら、心中だった?


警察は現場の状況からみてもただの事故だと言っていたけれど、どうしてもこの疑問は私の頭から離れてくれず母の写真を見る度にそう感じていたのだ。

「お母さんが、澪を残して逝くわけがない」

先生は震える声でそう話す。

「そっか。そうだよね。でも最期に好きな人と一緒にいられたなら、お母さんは幸せだったね」



ずっと泣けなかった私は、この時初めて声を上げて泣いた。

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