第4話 Sign 〜①

静まり返った教室に、どこか遠くの雷鳴が響いた。

雨はまだ降り出してはいない。


高校生活最後の三者面談は今年もまた七夕に行われたけれど、時間になっても父は学校に来なかった。


「先生、もう、いいですよ」

予定時刻を30分過ぎてもまだ待とうとする担任にしびれを切らし私から声をかける。


「でも、もしかしたらお仕事が長引いたりとかで…」

「あの人はもう学校に来ないと思います。もし面談が出来なかった事が問題になるなら、それは全部うちの事情だって言ってください。先生のせいじゃありませんから」

少し言い方がキツくなってしまったかもしれない。

何か言いたそうにしているのが視界に入るがその視線を振り切るように席を立った。


今朝は父と顔を合わす事もなかったけれど、朝方シャワーを使う音が聞こえていたから体調が悪いとかではないと思う。

父が来なかった理由は一体なんだったのだろう。

(昨夜の事が原因?いや、それだけじゃないのかも…それよりも今は)

今日は青島先生と食事に行く約束をしていて、その予定の方が余程重要だった私は旧校舎へと急いだ。



「お待たせ」

「あ、面談終わったんですね」

部屋に残る煙草の匂いと机に置かれた2つのコーヒーカップが、他に誰かがいた事を知らせる。

「誰か来てたの?」

「さっきまで森永先生が」

森永先生はスラリとしていて整った顔立ちの倫理教師だ。

同年代で同じ社会科教師である青島先生とは仲が良いようで、たまにこうして訪れる事もあるらしい。

生徒から向けられる好意的な態度に対して冷ややかに返す様子は随分と神経質そうな印象を与えたが、そんな硬派な所も格好良いと女子生徒からの人気は高い。

青島先生に砕けた話し方をしている姿を見かけた時は、普段は無表情で近寄り難いのに気の置けない相手にはこんな笑顔を見せるのかと少し驚いた。

「森永先生みたいな人ってちょっと苦手」

思わず口に出してしまうと、先生は目を丸くさせて「へぇ…近親憎悪、かもしれませんね」と笑った。

「私がいる時も煙草吸っていいのに」

「未成年に煙草はよくないですから」

「なんか…今日は凄く教師っぽいね」

最近はずっと使われていなかった敬語も面白くなくて、拗ねたような態度をとってしまう。

「うーん。今日の澪さんは、機嫌がイマイチですね」

子供扱いされたようでムッとした私は「そうですね」とだけ言って駐車場まで向かった。



(先生は何も悪くないのに…)

頭ではそう思っているけれど謝る事も出来ない自分に苛立つ。

さっきといい今といい、自分の口から発せられるとげとげしたものが、そのまま心に刺さったみたいで痛くて悲しくなってくる。

少しだけ気まずい空気の中無言で助手席に座ると、スピーカーから流れてくる音楽が耳に留まった。

「あれ?これって…」

「この前たまたまベストアルバムが発売されてるのを見つけて、つい」

「私、この人の歌声好き」

「うん、前に澪がそう言ってたから意識して聴くようになったんだけど。声も歌詞も素敵だと思う」

「泣いてるみたいに歌うのが、凄く好きなんだ。ねぇ、先生はどんなアーティストが好きなの?」

さっきまでの雰囲気が嘘みたいに変わって、好きな音楽や好きな映画を互いに挙げながら目的地に向かった。

我ながら単純だなとは思ったけれど、無感情だった前の自分よりはずっと人間らしくなった気がしてる。

楽しくなって話しているうちにファミレスに到着して、少しだけ懐かしさを感じながら店に入った。

「1年振りに来たね!」

「本当にここで良かったの?」

「ここが良かったの」

そう答えてから去年と同じ席を探して座った。


注文していた料理が運ばれてくると、ふと思い出した事があった。

「そういえば…あの日も先生はこのシチューを頼んでた」

「よく覚えてるなぁ。夏なのに熱いシチューを頼むのが珍しかった?」

「違う違う。あの時は結構テンパっててすっかり忘れてたんだけど、今になって急に。好物なのかなー、って思ったんだった」

「普段あまり外食は行かないんだけど、こういう時は大抵シチューを頼むかも。あまり考えた事は無かったけど、もしかしたら高校時代の名残なのかな」

高校時代の先生はまだ北海道の実家に住んでいて、札幌にある老舗の喫茶店でよくシチューを食べていたらしい。

大学進学の為に上京してからも、帰省する度にそこに顔を出していると話してくれた。

「夏も冬も1年中メニューが変わらないお店でさ、当時はそれが物足りなく感じたりもしたけど…今になってはその方が安心する」

わかるようなわからないような、不思議な感覚。

「今度連れて行ってね」と冗談混じりに言ったら、「うん」と優しく返されて言葉が続かなくなってしまった。

一緒に北海道まで行くような未来は本当にあるのだろうか。

(お願いだからどうか…)

奇跡を信じたくなった私は胸元の雫にそっと触れる。



帰り際に探してみたけれどレジ前のクレーンゲームは見当たらなかった。

無くなったものと、変わらずにあるもの。

鞄についたキーホルダーが、ドアにぶつかって揺れた。

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