第3話 Eighteen 〜②
そこにいる誰もが本音を言わず、ただ無駄な時間だけが流れる意味のない三者面談を乗り越えた私へのご褒美なのだろうか。
先生の車に乗せてもらえる事、一緒に食事に行ける事。その両方があまりにも嬉しくて夢みたいだったのに、信じられないような言葉まで貰った私はすっかり混乱していた。
先生も私と一緒にいたかったの?
もう少し話を聞いてみたいという興味本位から?
それとも人より少し可哀想な私に同情しているだけ?
打ち明けようとしていた私の秘密はどこかに飛んでいって、今はたださっきかけられた言葉の答えを探すのに必死だ。
楽しいはずのドライブも2人でとる食事も訳がわからないうちに終わり、先生は会計を済ませる為にレジに並んでいる。
(折角こんなに素敵な事が起こったのにこのままだと何の思い出も残せないよ…)
焦る気持ちを抱えながらキョロキョロと周りを見渡すと、一台のクレーンゲームが目に留まった。
中を覗くと可愛らしい動物のぬいぐるみが沢山詰まっていて、ラブラドールらしき子犬と目が合ったような気がする。
目元も口元もなんだか先生みたいに見えてどうしてもそれが欲しくなってしまった。
お財布に入っていた100円玉は4枚。3回やってみたけれどうまく取れなくて、ラストチャンスに願いを込める。
目当ての子犬が引っかかりはしたものの、あと少しのところでポトリと落ちてしまった。
「あぁ〜…」
「ふふ、田村さんもこういうのやるんですね」
いつの間にか先生はすぐ後ろにいて、私が真剣に挑戦しては失敗するのを見てしまっていたらしい。
「これにはちょっとしたコツがあるんですよ」
そう言ってあっさりとラブラドールを取ってしまった。
「えっ!凄いっ!」
思わず声を上げる。
「そんなに褒められるとなんだか照れちゃいますね」
くすぐったいような顔をした先生のはにかんだ笑顔が眩しくて、胸の奥がきゅっとなった。
「どうぞ」
「貰っちゃっていいんですか?」
「勿論。これは田村さんの為に取ったので」
「嬉しい!ありがとうございます」
「喜んでくれて良かった。ではそろそろ行きますか」
「そうですね。ここからだと家まではあと15分くらいだと思います。それと…今日はご馳走様でした」
自分の分は自分で払うと言ってはみたものの、彼は頑なにそれを拒み結局私が折れる事になったのだ。
先生からしたら当たり前の事なのかもしれないけれど、意外と頑固なところがあると知れたのは新しい発見かもしれない。
車内で キーホルダーの子犬が先生に似ている事、本当は2つ取ってお揃いにしたかった事を話したら、実家でラブラドールを飼っていると教えてくれてすぐにでも会ってみたくなった。
今度実家に帰省した時には写真を撮ってきてくれるという約束を取り付けた私は、大満足でシートにもたれかかる。
こうして先生を一つひとつ知って、楽しそうな未来の話をする時間が暗く沈む私の心の唯一の光だ。
「今日は雨が降ってくれて良かったのかも」
思わずそう口に出してしまったら、先生は「僕たちには雨が合うのかもしれませんね」と笑った。
***
「あの…角の大きな公園のところで、一度止めて貰えますか?見て欲しいものが、あります…」
いざ、先生に話をしようと思うと緊張で声が詰まる。
ゆっくりとブレーキがかかり、広く空いた公園の駐車場に音もなく止まった。
少しの沈黙の後、深く息を吸ってから切り出す。
「多分先生はもう気付いてると思うけど」
そこまで言ってみたものの、次の言葉がうまく出てこない。
(頑張れ、私…)
自分を奮い立たせる。
「大丈夫。ゆっくりでいいですよ」
優しく穏やかな声に背中を押され、意を決して長袖のシャツを捲った。
街灯の下の僅かな明かりでもわかるいくつものアザ。
ほんの一瞬、先生が息を呑んだのがわかる。
「こんなのがね、身体中に…もっと、見せられない所にも沢山あるの」
先生は苦しそうな表情を浮かべ、ぎゅっと目を閉じてから声を震わせて言った。
「それは、その傷は、お父さんにつけられたものなんですか」
「父が私に…あぁ、でも、母につけているつもりなのかな。いつも母の名前を呼びながら暴力を振るうから」
「それはどういう…」
「去年母が事故で死んだ時、父ではない他の男性と車に乗っていたんです。それが父には許せなかったみたいで」
「でもなんで君に」
「私と母は、すごく似ているから」
「そんな理由でっ、それだけでこんな…」
1人で抱えていた苦しみをようやく人に打ち明けた事で心が軽くなったのか、いつの間にか私は至極冷静になっている。
「先生、大丈夫?」
「僕の事はいいんです。そんな事よりも君が…」
そう言って先生は涙を流した。
「私はもう平気です。だって先生と出会えて、こうやって身体の傷も見せる事が出来て、それだけで奇跡みたいなものだから」
はらはらと零れる涙が美しくて、目が離せなかった。
再び沈黙が訪れる。
強くなった雨がフロントガラスにぶつかっては流れていくのが綺麗だ。
「先生にとって私は、大勢いる生徒の中の1人ってだけの事は分かってるのに…」
「僕にとって君は」
「私なんかの為に、泣かせてしまってごめんね」
「なんでそんな、君が謝る事なんて」
「先生は優しいから。こんなものを見せたら悲しむって判ってた。なのに私は自分が楽になりたくて、先生を困らせて」
「困ってない」
「汚れた私を」
「汚れてない。君は全然汚れてなんかない!君はすごく綺麗だ!!」
先生が身を乗り出して私を抱きしめたその余りの勢いに車体が少しだけ揺れた。
「あ、ごめん」
強くて逞しい男の人の腕。あの人のそれとは違って恐怖は感じなかった。
力を弱めてから先生は続ける。
「僕にとって君は、ただの生徒じゃない」
広くて大きな胸に頬が当たって先生の鼓動が速くなるのが伝わってきた。
「先生は私のいちばん大切な人だから…こっちに堕ちてきたら…ダメなんだよ…」
ゆっくりと腕を解いてそっと両手を握り締める。
「好きになっちゃって、ごめんね」
先生は首を横に振ってから、透き通った瞳で「僕が君をそこから救い出したいんだ」と言ってくれた。
私たちは生徒と教師で、どう考えてもこれから先の道は険しい。
それでも私は先生の手を取りたいと思った。
***
「行ってきます」
引き出しに閉まっている母の写真に挨拶をしてから家を出る。
いつものように他の生徒たちよりも少し早い時間の電車で学校へ向かった。
制服の下に隠しているペンダントにそっと触れてみる。
体育の授業以外でなら自由に着けて良い校則ではあるけれど、アクセサリーは着けていない人がほとんどだ。余計な詮索をされない為にも見えないように気をつける事に決めた。
先生がこれをプレゼントしてくれた意味。
学校に着くまでの時間、それについてじっくりと考えてみる事にした。
あの日以来、私は先生を好きだという気持ちを言葉にして伝えた事はない。
それは先生も同じで、私たちはまだ核心に触れる事は出来ないでいた。
先生を思う気持ちは途切れる事なく積もるだけ積もって行き場を無くし始めている。
消えては増えるアザには優しいキスをくれるのに、口づけを交わした事はないという事実も、気持ちを告げることを思い留まらせるには十分な理由だった。
それなのに先生はペンダントをくれて、しかもそれはお揃いのデザインだった。
(これって…自惚れてもいいのかな…)
こんな時に相談出来る友人の1人もいない事を初めて悔やむ。
どんなに考えても答えは出なかったけれど気分の悪いものではない。
もう少しだけ夢を見させて貰う事にして、校門をくぐった。
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