第3話 Eighteen 〜①

昨日私は18歳になった。

17歳との違いは、とても、とても大きい。

重くて苦しい足枷が取れて清々しい気分だ。

大きく深呼吸してから身支度を始めた。



誕生日祝いにと先生がくれたTeardropのペンダントをつけて鏡の前に立つ。

全身が映る姿見を見るのは嫌いだったけれど、細くて白いアザだらけの身体を守るみたいに光るペンダントが雨の雫にも涙にも見えて独りじゃないと勇気づけてくれているように感じた。


お揃いのものが欲しいと話したのはいつの事だったろうか。

長袖の制服に袖を通しながら時間をかけて思い出してみる。


「あ…」

鞄につけた犬のキーホルダー。密かにライトと名付けたそれはぬいぐるみタイプのキーホルダーで、去年先生がくれたものだ。

その時の私は何かお揃いのものを持ちたくて必死で、今考えるとすごく子供じみていたように思う。


あの日の雨は私たちを近付け、拠り所のない私の心を帰り道のない場所まで連れて行った。

「僕たちには雨が合うのかもしれませんね」

そんな先生の言葉を思い出しながら少し汚れたキーホルダーに触れる。

(もう、一年近く経つんだなぁ…)

過ごした時間と交わした言葉を頭の中で反芻して、ゆっくりと襟を整えた。


 ***


7/7、午後から雨が降る予報を知って折りたたみ傘を鞄にしまう。

昨日と今日の授業は午前中にしかなく、午後はどの学年でも三者面談が行われるのだ。

他の人よりも時間がかかるかもしれないという配慮なのか、去年も今年も私の順番は最後で、図書室で時間を潰して父を待つ。

広くて静かなここは、校内で一番落ち着く場所に感じた。


ようやく臨んだ面談は、担任からのいくつかの質問に父が簡単に答えただけのものでほんの数分で終わる。

待っていた時間の方が数倍長かったけれど、ある意味これは予想通りだ。

同じ家に帰る娘に声もかけず、父は1人で車に乗り込む。

そんな不自然な父娘を見送るような形になった担任は、何も言わずに校舎へと戻った。


後ろめたい気持ちのある毒親にとっては学校は子供を守る要塞みたいなものに見えるのかもしれない。

実際には見てみぬふり、心配しているふりの大人たちばかりだというのに。

ふぅ、と短く息を吐いてから見上げた空に雨雲が広がっていくのが見えて早足で旧校舎に向かった。

今日はどの部活動も休みのはずだから、この時間なら青島先生はまだ準備室にいるという事は容易に想像がつく。

私が来るのを待っているわけじゃない相手だとしても、会って話が出来るだけで救われるのは事実で、言ってみればただ顔を見られるだけでも良かった。


ほんの数回ノックしてから返事も待たずにドアを開ける。

「あ、田村さん。こんばんは」

「ふふっ、こんばんはって…変なの」

「確かに。でも、他に良い挨拶が無いんですよね」

柔らかく笑う先生に癒されたくて、はじめてここに訪れた日から週に1、2回は顔を出すようになっていた。

「もう少しだけ時間がかかりそうなので、そこにでも座っていて下さい」

向かいの席に座った私に軽く目をやり「お父さんは先に帰ったんですか?」とだけ問いかける。

キーボードを打ちながら話す先生はいつもより遠くにいるように感じて、質問には答えずに話しかけた。

「何を作ってるんですか」

「あぁ、これは…中間試験で間違いの多かった部分をまとめたプリントを作って、世界史選考の生徒に受験対策用として渡そうとかと思っています」

「受験か…私も世界史を選択しようかなぁ…でも、暗記はあまり得意じゃないんです」

「世界史は暗記の科目みたいに考えられていますけど、まずはその出来事が起こった本質を学べばより深く理解出来ると思いますよ」

(出来事が起こった本質…)

考えているうちに先生が私に伝えたい事がなんとなくわかったような気がする。

「それが終わったら…少しだけ聞いて欲しい話があります」

勇気を振り絞って言ってみると、先生は真剣な面持ちで「なるほど、わかりました」と返してくれた。

人懐っこい笑顔が童顔に感じさせているだけなのか、真剣な表情はとても凛々しくて頼り甲斐がある。

それからは2人とも何も言葉を発せず、ただ黙って過ごした。


キーボードを叩く音に降り出した雨が窓にぶつかる音が混じる。

この後話したい事を頭の中で整理しながらそれを聞いていると、なんだか妙に落ち着いて眠くなってきてしまった。

「すっかり遅くなってしまいましたね。お待たせしてすみません」

先生はパソコンをパタンと閉じて大きな黒のリュックに仕舞う。

「このままここで話を聞く事も出来ますし…車の中でも良いですよ。雨が強くなってきたみたいなので送って行きます」

「えっ、先生の車で?」

「はい。あ、勿論…田村さんがそれでも良ければ、ですけど」

想定もしていなかった提案に驚き過ぎて微睡んでいた意識が一気に目を覚ました。

「送って欲しいです!それであの…もし、もし大丈夫だったら…途中どこかで晩御飯が食べたい、です」

「食事ですか」

ドキドキしながら返事を待つ時間がとてつもなく長く感じる。

(これはちょっと攻めすぎたかな…)そう落ち込みかけた時、先生は「この辺だとちょっと色々マズそうなので、田村さんを送る途中にファミレスとかがあればそこに寄りましょうか」と言ってくれた。

「ここから家までだとファミレスなら何軒もあったハズ。是非それでお願いします。あ、お金はあります!」

「あはは、どういう意味ですか、それは」

「奢って貰いたくて誘ったわけじゃないから先に宣言しておこうと思って…」

「あなたは本当に、面白い考え方をしますね」

「なんか馬鹿にされてる気がする」

「そんな事無いですよ。興味深いなと思っただけです。さ、行きましょう」

思いがけずに手に入れた放課後デートのチャンスだ。まぁ、実際にはただの送迎ではあるけれど嬉しくて仕方がない。

七夕の雨に感謝しながら駐車場へと向かった。

今日はもう既に皆帰宅したのか、駐車場には先生のものらしき1台の車しか停まっていない。

人目を気にせず助手席に乗り込めるのにはホッとしたけれど、そもそも誰かに見つかったらマズい事なのか、それとも大した事ではないのかが分からず不安だ。

そんな気持ちを察知したのだろうか。先生がシートベルトを締めながら教えてくれる。

「たまに部員を乗せて帰る事があるんです。まぁ、女子生徒を乗せるのは初めてですが」

「なんかすみません。私が我儘言っちゃったから」

「いや、田村さんは我儘言ってないですよ。ただ…」

先生の言葉はそこで止まり、車がゆっくりと動き出した。

どうしても続きが気になって聞き返す。

「…ただ?」

「はい。ただ僕が、もう少し一緒にいたかっただけですから」


ドクン、と心臓が高鳴る。

先生の言葉が身体中を駆け巡りほんの一瞬息をするのも忘れてしまう。


熱くなった顔を誤魔化すように顔を窓に向けると、大きく水しぶきが上がるのが見えた。

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