第290話 私の仮面

2024.3.30

今日は暖かい。やっと春か。

しかし私の状況は春とは言えない。


メインで週3で働いているが、収入が芳しくないので週1〜2で働ける場所を探している。


週1で働けるところが見つかったが、働いてみるとなかなかにブラックというか、人間関係がウンコだったので辞めることにした。


それで、リセットというわけだ。


旦那にそんなことを相談しても、「お金が足りないというのはふゆさんの良くない兆候」と言う。

要するに、躁状態だと言いたいのだろう。


毎月、払うものを払って、買うものを我慢して、節約してギリギリの生活から抜け出したいだけなのに、何故に躁状態などと言われなければならないのか。


美容室もしばらく行っていない。


病気だから、そうやって「躁状態」なんていうラベルを貼られてしまう。

薬のおかげか、環境のおかげなのか今の私はとても落ち着いていると思う。年明けからずっとそんな感じだ。まぁ自分で言うのもアレなのだが。

だから、急に躁状態になるなんてなかなか考えにくい。


でも、旦那は私を躁状態だと言う。


ゲラゲラと笑えば躁状態、


無表情でどんよりしていればうつ状態、


そんな風に、ラベルを貼られてしまう。


楽しかったら普通の人だってゲラゲラ笑うでしょ?


疲れたら普通の人だってどんよりするでしょ?


でも、「双極性障害のわたし」だからラベリングされてしまう。


これは、病気の診断がついて治療を始めてから通った悲しい道だ。


じゃあ本当の自分ってなんだろうって割と本気で考える。


躁状態かうつ状態の「わたし」しか存在しないのだろうか。


今の「わたし」は何者だ?


旦那からすれば、ラベリングすれば楽なのかもしれない。

でも、ラベリングされる側の私としては悲しくなってしまう。

でも、それが「病気であるわたし」と「普通の人である旦那」とのれっきとした違いなのだろう。


調子がいいとか、落ち着いてるとか、そんな風に思って「普通」ぶったって、ふとした瞬間に「病人」に引き戻される。

そして自信をなくしてしまう。


コロコロ言うことが変わると、よく言われる。


その時に感じたことをその時に言うまでだ。

でも、それも旦那からすれば「病気だから」なのだ。


例えば、子どもを持つこと。

ある時は前向きに、ある時は後ろ向きになってしまう。


これは、旦那からすれば「病気のせい」なのだ。


普通の人は、ココロが一貫しているの?

ブレないの?

ブレちゃいけないの?


旦那のせいで、と言っちゃアレだが、旦那との関わりの中で自分が「病気なのだ」と思わされることは多々ある。

その度に悲しくなる。


所詮は、「普通」の仮面を被った「障害者」なのである。


そんな私の気持ち、旦那は一生わからないで生きていくんだろう。


まったく、知らなくていいコトばかり、知って生きてきたものだ。


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