第278話 答えのない問い

2023.12.30

大掃除をした。いらない服、本、いろいろ捨てた。

でも、本当に捨ててしまいたいのは自分自身だ。

この病気もそうだし、存在そのものを捨ててしまいたい。そんな気分。


昔の日記が出てきた。1、2年前だろうか。


やっぱり、「死にたい」「消えたい」「生きていたくない」「社会のゴミ」の羅列だった。


昔から、変わらずね、アンタ。って感じ。

ずっとずっと、同じ思いを抱えながら生きてきたんだ。と思ったら、どこか虚しくも悲しくもなった。


病気の診断が付くか付かないかくらいの頃の日記だろうか、本当にしんどそうな文章の羅列で、読んでいてつらくなってしまった。


じゃあ、今はつらくないのか?と聞かれれば、つらくないわけじゃない。

消えたい気持ちもあるし、社会の役に立ててないという気持ちも変わっていない。


でも、1〜2年前の日記を読む限りでは、今の方が多少マシかもしれない。


それでも、鴨川シーワールドに行ったとか、パンケーキ食べたとか、ささやかな幸せの断片もうかがい知ることができるから、その時はその時で幸せな瞬間もあったのだろうと思う。


死にたい、死にたいと言って、ガチ鬱で既遂してしまった方がいっそのこと楽だったのでは、とも思ってしまうが。


生きていて、何が楽しいとか、私にはわからない。死ねないから生きているだけだ。


子どもがいるわけでもない、ペットは旦那が世話すればいい、仕事なんて代わりがたくさんいる。


私の必要性なんてどこにもない。


私の願いは唯一無二の存在になることだ。

きっと、そんな日は来ないだろうけど。


生きる楽しさを教えてくれる人がいたら友達になりたい。


毎日毎日、生きることに後ろ向きに生きていくのはしんどい。


じゃあ前向きになればという話だが、残念なことに今は生きることに対してプラスの要素が何一つ浮かんでこない。


そういう時期なのか、ベースがそうなのかはわからないけど、生きることに対して、普通の人よりも後ろ向きなのは確かだろう。


ずっと生まれてきたことを否定され続けて育ってきたから。

ベースが後ろ向きになるのも仕方のないことだろう。


三つ子の魂百までという言葉がある。


3歳までに身に付いた習慣は、100歳まで続くというものだ。


まぁ、そういうことで、小さい頃からお経のように生に否定的なことを言われた私は、死ぬまできっと否定的に生きていくことだろう。


明日で今年も終わりか。

特に、楽しいこともない1年だった。

無駄に過ごす1日も多かった。


何のために生きているのか、またもや見つけられなかった。


毎年毎年、この問答の繰り返しをしながら年を越していくのだろう。

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