第56話 「個性」と「障害」
2022.5.22
以前から交流のあるおじさんと会ってきた。
そのおじさんは、ナルコレプシー(過眠症)と闘っている。
いわば同士だ。
とはいえ、薬を飲み始めて劇的に眠気が改善されて、特に制約もなく生活して働いているし、割といいポジションにいる。
おじさんと私は、同じように精神疾患を持っているからか、どこか思考が似ている。
唯一違うのは、精神疾患に対する考え方だけだ。
私は、自分の病気については誰にもカミングアウトしないと思う。
理解されないからだ。
それは、例えば統合失調症の患者がよく訴える、幻聴や妄想。
「殺せと命令されている」と訴えられても、私はそんな幻聴が聞こえたことはないから理解できない。
共感はすれど理解はできない。
なった者にしか分からないつらさや苦しみを、あたかもわかったかのように振る舞うことも、相手を傷付ける行為だと思っている。
「お前に、何がわかるんだ」ってね。
私自身も、旦那に「鬱だ」「躁だ」とラベリングされる度にそう思っている。
なので、同じように「普通の人」には1日の中で、もしくは数日、数週間単位で気分の波が激しくなってしまうこの病気なんて理解できないだろう。
まぁ、ハナから諦めている。
そんな感じだ。
あとは、うつ病と違って認知度が低いということもあり、過度に恐れられていたり穿った見方をされたりしている気がする。
そんな私と違って、おじさんの精神疾患に対する考え方は、「個性」として捉えているところ。
まぁ、楽観的というのか。
私はこの病気さえなければ人生が変わっていたであろうことも多々あったので、もはや個性とは思っていないし、本当にこんな病気なんてとうんざりしている。
「個性」と捉えられる日が来たなら、もう少し楽に生きられるかな。
でも、自分や周りが傷付いたり大変な思いをするのは、やはり「個性」を越えて「病気」「障害」となるのだろう。
何でも「個性」になれば、もっとハードル低くなるのかな。
リチウム事件が、尾を引いているのかな。
家族、職場や世間に対する後ろめたさを感じながら生きている。そんな気がする。
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