第5話白拍子、髪結いと恋愛相談する

 また人が斬られた。これで六人目だ。

 しかも死体は川に浮かんでいた。血の跡が残っていたことから、橋の上ですれ違い様に斬られたようだ。


 つまり、死体を意図的に川へ落としたわけではない。斬った弾みで落ちたのだ。それが意味するのは人斬りには自身の行為を隠れてやるつもりはないということ。もしも隠ぺいする気があれば殺した後に死体に重しを付けて川に沈めるだろう。


 だから人斬りは人を斬ることを決して止めない。

 誰もがそう考えるであろう殺し方だったのだ。


 昼過ぎ。興江とことは人斬りについて話し合っていた。場所は例によって例のごとく、興江の店の中でだ。

 殺されたのは平凡な男――商家の丁稚だったとことが興江に言う。その前は武家に仕える女中。前の前は隠居した老人だ。特定の人間を狙って殺しているわけではない。無差別なのだ。


「恐ろしい話だ。人斬りは捕まらない限り、人を殺し続けるだろうよ」

「人斬りなんて楽しいのかねえ……考えるだけでもぞっとするわね」

「なるだけ、夜中には出歩かないことだ」

「それなんだけど、実は出歩かないといけない事情があって」

「なんだそりゃ?」


 怪訝そうな興江に、ことは説明し出した。


「贔屓にしてくれている人が髪結いを頼んできたんだよ」


 ことの仕事は髪結い……人の髪の手入れをすることだ。特別な資格やお上の許可は必要ないが、手先の器用さと手際の良さが必要とされる。江戸に数多くいる髪結いの中で、ことの腕前は素晴らしいと評価されていて、界隈では随一と言われている。


 ちなみに興江とは髪結いの道具であるはさみの手入れを頼んでいる関係だ。知り合って間もない頃に興江から申し出たのだ。何か思うところがあったらしい。以来、きちんと料金を払ってはさみを含めた金物の道具を手入れしてもらっている。


「昼間のうちに行けばいいじゃねえか」

「それがね、夜に馴染みの客が来るから、その直前の夕方に結ってほしいって言われてね」

「なんだいそりゃ。どこのお大尽だ?」

「吉原の光帯太夫こうたいたゆうだよ」

「なにぃ!? 光帯太夫だと!? 本当か!?」


 予想もしなかった大物の名が出たので、思わず聞き返すほど驚いた興江。

 それもそのはず、光帯太夫は大名でさえなかなかお目通りできないほど大人気の遊女である。そもそも太夫とは吉原の遊女の中で最も位が高い。庶民が懸命に働いて稼いでも生涯でたった一度会えるかどうかの存在だった。


「お前、よくそんな大物と知り合えたな。男と女の憧れだぞ?」

「知り合いの仲介で仕事したら気に入られてね。それで贔屓にしてくれるのさ。金も弾んでくれるしね」


 金払いがいいのは悪くないが、問題は時刻と場所である。吉原から職人町まで帰るには時間がかかる。ことの腕前をもってしても、夕方から取りかかったら日が暮れるのは確実だ。しかも相手はあの光帯太夫なのだ。丁寧に作業する必要があった。


「初めはあんたに守ってもらって帰ろうと思ったけど、吉原だからねえ……待っている間は店に入れない。通りん坊みたいな野暮なことはしたくないだろう?」


 通りん坊とは格子の外から遊女を見ただけで帰る者を指す。

 興江は「別にそれは構わねえけどよ……」と言い淀んだ。


「何なら大門の外で待っていればいい。だけどそもそも人斬りに俺なんかが敵うはずがないだろう? 武術の心得なんてねえ。喧嘩も弱い」

「だよねえ。はあ、腕の立つ知り合いなんていないし……」


 そこまで言って、二人の頭に極道の子分三人を無傷で倒した少女の顔が浮かんだ。

 同時に店の外から「ごめんください」と可愛らしい声がした。


「噂をすれば影ってやつだな」

「まったくね。あんたの言うとおり、ここぞという時を逃さないのね」


 二人は笑ってまつりを出迎えた。

 ことは興江から、まつりの常人以上の強さを教えてもらっていた。



◆◇◆◇



 まつりは二つ返事でことの護衛を引き受けた。彼女は吉原に前々から興味があったらしい。くれぐれも危険な真似をするなと興江は忠告して、まつりは素直に頷いた。


「悪いわね。こんなことを頼んで」

「いえいえ。興江殿が刀を打ってくれるまで暇ですから」

「あいつ、いつまで打たないつもりなのかしらね?」


 まつりとことはお喋りしながら歩いていく。奇妙な身なりをしているまつりへ好奇な視線が向けられるが、二人は意に返さない。ことは右手に髪結いの道具を携えている。相手が最上位の遊女、太夫なので普段より荷が多かった。


「重くないですか? 少し持ちましょうか?」

「あはは。そこまで世話になるほどじゃないよ。気遣ってくれてありがとう」

「いえ……話は変わりますが、興江殿とは長いのですか?」


 ことはしばし黙ってから「あいつが職人町に来てからの付き合いだから、もう五年になるね」と答えた。その思い出したときの目つきは懐かしむというより慈しむような優しいものだった。


「今と変わりないですか? 興江殿は」

「いや、だいぶ違うね。触れるものを皆斬ってしまいそうな、刃物みたいな奴だった」

「意外ですね……その尖った性格が丸くなったのには理由があるんですか?」


 ことは「大きな出来事があって突然変わった……わけじゃないよ」と笑った。


「いろんなことがあってね。助け合ったり笑い合ったりして、興江はああなった」

「ふうん……いつからことさんは興江殿が好きになったんですか?」

「そうだねえ……って、え!?」


 唐突に心に秘めた想いを言い当てられて、驚きのあまり転びそうになるのをぐっとこらえること。一度立ち止まって息を整えて、髪を手櫛で直して落ち着く。


「……何のことだい?」

「そんな動揺を見せておいて、誤魔化そうだなんて無理があります」


 ことはしょうがないねという風に「あんたの言うとおり、あたしは興江に惚れているよ」と白状した。


「よく分かったね。得意の失せ物探しと関係あるのかい?」

「いえ、近所の子供たちが教えてくれたのです」

「あのガキ共……! 今度会ったらお尻ぺんぺんしてやる!」


 激怒して鬼の形相になること。

 まつりは一歩だけ横に距離を取る。


「それで、いつから好きになったんですか?」

「あんたが色恋に興味を持つなんて思わなかったよ」

「私、こんな格好ですけど、年頃なんです」


 ことはやれやれとばかりに自分の髪を撫でた。

 苦笑いして「いつからだろうねえ……忘れたよ」と答える。


「見てのとおりの行き遅れさ。男と所帯を持つなんて諦めていたよ。恋をするなんて思いも寄らなかった。でもね、ほっとけないんだ。興江のことが」


 飾らない素直で純粋な気持ち。それでいて大人な本音を聞かされた少女のまつりは何も言えなくなった。


「女心の分からない唐変木だけど、たまに優しいところを見せてくれるんだ。さりげなく茶菓子をくれたり、何も言ってないのに落ち込んでいたりすると、声をかけてくれるんだ。あはは。何でもないことなのにさ。惚れた弱みだよね」


 まつりは照れた横顔のことを見て、素敵な女性だと改めて思った。好きな人の好きなところを楽しく言えるところが可愛かった。本当に恋しているんだと微笑ましい気持ちになった。


「上物なはさみを作ってくれて、手入れもしてくれる。優しい人だよ。ただ……」

「どうかしましたか?」

「……興江はあたしに興味が無いようだ」


 ことの声は悲しみでも淋しさでもない、表すなら虚しさが籠ったものだった。

 思いつめた顔。痛々しく笑っている。見る者全て胸を締め付けられるような。

 そんな彼女に、白拍子のまつりはかける言葉が見つからなかった――

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