第4話白拍子、極道と喧嘩する

「お待ちください。あなた方が探しているのは――私でしょう?」


 騒ぎを聞きつけたのか、それとも出どころを見逃さないのか。

 音も立てずにすっと奥の居間から出てきたまつり。

 銀十蔵は「本当に奇妙な恰好をしているな」と軽く笑った。


「しかも聞いていた話より若い――いや幼いじゃねえか。お前ら本当にやられたのか?」

「へ、へい! ふがいねえですが……変な娘だけどかなりの使い手です!」

「ふうん。なるほどな」


 三人の子分が動揺しているのを見て、彼らの言っていることが事実だと確信する親分。改めてまつりをじっと観察する。整った顔立ち。芸者にしたら多くの客がついて儲かるだろう。女郎にしたらもっと稼げる。


 しかし一筋縄ではいかないなと銀十蔵は気づいた。まず立ち姿が自然体だ。普通、極道相手に脅されたら身体が強張る。余裕ではいられない。だが年端もいかない少女がなんてことのないようにしている。けれど修羅場を多数くぐり抜けたわけではないみたいだ。おそらく己の力ならば対処できると分かっているのだ。


「お嬢ちゃん、ただ者じゃないな?」

「ええ。私は最後の白拍子ですから」

「しらびょうし? よく分からねえが子分が世話になった礼をさせてくれよ」

「礼なんて要りません。お引き取りを」


 まつりの慇懃無礼な物言いに、子分たちはドスを取り出してずずいと銀十蔵の前に出る。

 少女相手にやり過ぎだと興江は恐れながらも憤った。

 けれど刃物を三つ向けられた当のまつりは涼しげな表情を崩さない。


「よろしいのですか?」

「構うものか。ここらは俺らのシマなんだ。たとえ死体が一つ上がろうとな。好きにやらせてもらう」

「違いますよ。武器と人数はそれだけでよろしいのですか、と訊ねているのです」


 大言壮語――銀十蔵や子分たちだけではなく、前に立ち回りを見た興江も意味をはかりかねた。

 その空いた意識の隙を突くように――まつりは宙に舞った。


 一連の動きに見とれながらも全てが分かったのは銀十蔵だけだった。

 優雅にさえ見える飛び膝蹴りは先頭にいたごろつきの顔面の中心に直撃した。噴き出る鼻血の一滴一滴を避けつつ、着地することなく反動でさらに上に飛んで――天井を利用して勢いをつけて二人目に迫ってかかと落としをした。


 崩れ落ちるごろつきの横で何が起こっているのか分かっていない三人目のごろつき。床に着地したまつりは、彼のふくらはぎの内側を蹴る。足払いだった。当然、三人目は立っていられなくなるが気絶するほどではない。足を抑えて尻餅をするごろつきの喉元にドスが向けられる。いつの間にかまつりが奪っていた。


「……まだやりますか?」


 銀十蔵はあまりの滑らかな動きに感心してしまった。迷いがないどころかよどみのない動き。それと容赦のない攻撃。状況が違ったら是非子分にしたいと思うほどの戦闘の才能の持ち主だ。


「いや、もういい。俺たちの負けだよ」


 両手を挙げて降参の仕草をする銀十蔵。まつりはドスを子分の目の前に置いた。立てない彼はそれを使ってまつりを刺そうとは思わなかった。

 手を叩いて外に待機させていた若い衆を呼ぶ親分。まさかと興江は思ったが、負けを認めたのは変わりないらしく、怪我を負った子分三人を連れて行くために呼んだだけだった。


「お見それしたぜ、お嬢ちゃん。いや、まつりさんと呼ぼう」

「お好きにどうぞ。それで、あなた方は私と興江殿には手出ししないのですね?」

「ああ。約束しようじゃねえか」


 ほっとしてため息をつく興江。店の中で乱闘されたのには冷や冷やしたが、これで極道の返しを受けずに済む。そう考えれば安心だった。


「だけどよ。お前さんは銀蔵一家という極道を虚仮にしたんだ。そのことは忘れないでいてもらおう」

「ええ。重々承知しております」

「邪魔したな、まつりさん。それと興江さんもな」


 潔く帰っていく銀十蔵の後ろ姿を見送った二人。

 扉が閉まると、鍛冶場でもかかないほどの尋常ではない汗が噴き出る興江。


「はあ。何とかなりましたね」


 まつりの気の抜けた言葉に興江は呆れてしまった。


「……綱渡りもいいとこだ! 負けていたらどうなったのか、分かっているのか!」


 大人として怒るべきと興江は思って言ったが、まつりはきょとんとしたまま答えた。


「分からないですけど、勝ちました。万事解決です!」

「…………」


 まつりが何も考えていないことに驚愕した興江は、二の句を継げられなかった。

 同時に厄介な娘と知り合ってしまったと遅れながら気づいた。



◆◇◆◇



 銀十蔵が普段住んでいる私宅の屋敷。

 そこで一人の男が酒を飲んでいた。


 病的なほど青白い顔で、酒をたしなんでいるのに頬に紅がさしていない。相当強いのか、そもそも酔ったことがないのか。しかし折り目正しく飲んでいて礼儀作法が完璧なほど身についている。月代をしていて刀を脇に置いてあることから武士だと分かる。黒い羽織に灰色の袴。まるで闇に溶けてしまいそうな恰好。美男子に見える顔立ちだが、陰気な雰囲気のせいで台無しだった。


 男が手酌で盃に酒を注いで飲み干したとき、ふすまががらりと開いた。

 現れたのは屋敷の主、銀十蔵である。


「ああ、乃村先生。ご苦労様です。それで件の――」

「依頼の男なら始末したよ。希望通りにな」

「流石ですな。いやあ、達人とはあなたさまのことを言いますね」


 あからさまなお世辞に対して、男は鼻を鳴らして相手にしなかった。

 銀十蔵は懐から依頼料の十両を畳に置いた。


「これが今回のお礼です」

「要らん。今日は気分がいい」

「……よろしいので?」

「元々金に困っておらん。それに今回の奴は歯ごたえがあった。楽しませてもらったよ」


 銀十蔵は顔をしかめそうになるのを必死でこらえた。

 人を殺すことに快楽を感じ始めている。危険な兆候だった。


「また依頼があればいつでも呼べ。斬ってやる」

「……そうさせていただきます」


 これ以上仕事を依頼するのはやめたほうがいいのかと心の中で検討する銀十蔵。

 稼げるシノギとはいえ、いくら何でも危険すぎた――目の前の人斬りが。


「そういえば、若い子分がやられたそうだな」

「ええまあ。しかし手打ちにしましたので、先生が出張る必要はございません」

「ふうん……どんな奴だ?」


 話を聞いているのか分からない返答。

 眉をひそめながら「奇妙な娘でした」と説明する親分。

 一通り聞いたところで「今時、白拍子とはな」と男は喉を鳴らして言った。


「ご存じなんですか? その白拍子ってのを」

「源平合戦の頃の舞い手だ。公家の装いをして踊りと歌を披露する女……戦乱の狭間に咲いた徒花だよ」


 男の素性を知っている銀十蔵は、やはり武士だから教養はあるものだなと感心した。

 そして人を斬ることに狂わなければ平穏な生活ができたのにと思う。

 そのきっかけとなった自分のことを棚上げにして同情もした。


「興味が出てきた。少し関わってみたい」

「……左様ですか。ただ相手は中々の手練れ。お気を付けください」


 止めても無駄だと分かっていて、そもそもまつりの生死などどうでもいいと思っている銀十蔵。

 男は黙って立ち上がった。刀を携えて出て行こうとする。


「どちらへ行かれますか?」

「今宵は月が綺麗だ。風にも当たりたい。それから――」


 男は怪しげに、可笑しそうに笑った。


「酔い覚ましに人を斬ってくる」


 そう言い残して、ふすまは閉まった。

 残された銀十蔵は「相変わらず、危ねえ野郎だ」と呟いた。


「今夜もまた、血が流れるのかねえ」


 その男の名は乃村征士郎のむらせいしろうという。

 銀蔵一家に雇われた殺し屋であり、今話題の人斬りでもあった。

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