第15話
どうしましたかどうしましたか旦那様、という従者の慌てる声に、周囲に居た使用人達が飛びこんできます。
「か、……かゆい、かゆいんだ!」
ああっ! と父の顔を見た使用人達は慌てています。
ここからではよく見えませんが、これだけ瞬時「かゆい」が出てくるということは、おそらく使用人の目からしても、父の顔は今真っ赤になっているのだと思います。
かゆみというのは、痛みより厄介なものです。
痛いだけなら単に我慢で済むでしょうが、かゆいというのは、ともかく刺激を与えずにはいられない、そして与えれば与える程、また更に、という悪循環を引き起こすものです。
……私自身、よく仕事中に蚊に食われた時に実感しました。
痛いのはその場耐えてしばらくすれば消えますが、かゆいというのはいったん鎮まったとしても、また復活するものです。
父はともかくかゆくてかゆくてかきむしろうとしています。
綺麗に整えられた爪は力を加えるとなかなかの凶器です。
そんなものでがりがりとかきむしられたなら、普段は優しく整えられている肌はどうなってしまうことでしょう。
そんな訳で、使用人達は必死で止めているのだと。
私はとりあえずその騒ぎの音の中、ゆうゆうとその場を立ち去ることにしました。
*
さて私自身も腹ごしらえをしなくてはなりません。
実のところ、お金の部屋も薬の部屋もあるというならおそらくご想像がつくと思われますが、非常用の食料を置いた部屋もあります。
要は、保存の利くビスケットや、瓶詰めの水などを置いてある部屋です。
お母様は本当に色々と想像力が豊かでした。
「貴女がもし酷い扱いを受ける様になったら、お腹が減ることもあるかもしれないわ。だから用意しておくことよ」
ということで、お母様はショートブレッドを詰めた缶を木箱に幾つも、それに瓶詰め水も用意してくれました。
ただ、間違ったのか、炭酸水も入っておりますが、いざとなったらこちらでも良いでしょう。
ショートブレッドにはこの八年というもの、ずいぶんとお世話になったものです。
いくらある程度のご飯はもらえるとしても、育ち盛りです。お腹が減った時に、どれだけこれで元気が出たことでしょう。
お湯はもらえたので、これも隠し持っていた小さな小さな缶に詰めた茶葉を少し落として、そのまま呑んだものです。
屋根裏に持ち込む時には、缶から出して新聞紙に包んだものです。
下手に抜き打ちで部屋を点検されていたら危険ですから。
がしがし、とショートブレッドを噛んでいると、それがもの凄く昔のことの様に思えてきました。
まだほんの、二月も経っていないのですけどね。
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