終 章 空まで届け!

§1

 3月の初め、春の声もすぐそこに聞こえそうではあるが、未だ冷え込みの厳しい朝のバス通り。そんな道を並んで走る、2台の自転車があった。

「大丈夫だって。自己採点の結果、合格ラインいってたんでしょ?」

「そうは言うけどなぁ……ギリギリだったからな。落ちてたら、もう絶望だぜ」

 会話の内容を聞くと、成る程、穏やかな雰囲気ではない。どうやら二人は受験生のようであり、一人は合格確実、そしてもう一人は落第の可能性があるらしい。

「……約束したんでしょ? メグちゃんや織田くんと」

「そうさ。奴らに学校のランクを下げてもらう訳に行かないから、俺が頑張るしかなかったんだよ」

 県立一宮いちのみや高等学校。バリバリの進学校ではないが、いわゆる底辺校でもない。それなりの水準を保っており、入学する為にはある程度の学業成績が必要――そんな学校を揃って受験した二人は、鎚矢悠志と小松由奈。仲の良い同級生であり、学校内公認の恋人同士でもある、中学3年生だ。

「でも、素敵だよね。小学校の頃の約束を果たして、高校で天辺を目指すなんて」

「……プレッシャー掛けんなよ、落ちてたら俺は約束破りになっちまう」

「だから、受験勉強がんばったじゃない。もっと自分を信じようよ」

「あー……もしもの時は土下座かな。いや、まだ途中編入って手も……」

 だから、大丈夫だって……と、由奈は苦笑いを浮かべた。因みに彼女は、悠志が滑り止めとして受けた私立高校に特待生枠で合格している為、もし彼が一宮高校を落第していたら、一緒にそっちへ行こうと考えているようである。無論、本人には内緒であるが。

「おー、前時代的な掲示板だなぁ」

「今時、珍しいよね。オンラインで合否を発表する学校もあるのに」

 勿論、一宮高校でもオンライン合格発表は実施している。しかし、こういった雰囲気を大事にするOBや学生も一定数いる為、イベントの一環として継続している風習との事である。

「み、見えない……悠志くん、見える?」

「ちょっと遠いが、何とかな……えーと、512番と513番だよな?」

 受験票に記された番号を確認すると、悠志は背伸びをして目を凝らした。かなりの距離がある上、混み合っていて姿勢を維持するのが難しい為、非常に厳しい状況ではあったが、何とか掲示板の文字は読み取ることが出来た。

「505、506……509、510、511、512、513……畜生、やっぱダメだったか……」

「え? ……悠志くん、今……512って言わなかった?」

「……え? ちょ、ちょっと待て……あ、あ……あったあぁぁぁぁぁ!! やったぜ、受かってた!!」

「ちょ、ちょっと……悠志くんってば!」

 感極まった悠志は思わず由奈の身体を抱き上げ、ギュッと抱きしめた。そんな彼らがハッと我に返り、パッと身を離した時は時すでに遅し。周りには人だかりが出来ていて、二人に『おめでとう!』と言葉を掛けていく者も居れば、好奇の視線を向ける者も居た。これは流石の悠志も恥ずかしかったようで、由奈と一緒に俯きながら赤面していた。

「……やれやれ、入学前から早速やらかしてんのかよ」

「でもま、これでまた一緒だね。おめでと、ユージに由奈ちゃん」

「メグちゃん! 織田くんも……合格したんだね。おめでとう!」

「約束、ちゃんと守ったぜ。と言っても、まだ先は長いけどな」

 佳祐の顔を見るや、悠志はニッと笑いながらハイタッチで挨拶を交わしていた。どうやら、これが彼らの定番であるらしい。そして、悲喜交々こもごもの事情が交錯するこの場に長居するのは良くないだろうという事で、彼らは揃って校門を出た。


* * *


「鎚矢先輩、小松先輩、森戸先輩……合格、おめでとうございまっス!」

「サンキュ。しかし、シゲルは結局、渡部先輩を追っかけて行くんだな」

「僕も約束したからね、紗耶香さんと」

 照れ笑いを浮かべながら、茂は語った。紗耶香は先に卒業してしまったが、彼らの関係はそこで終わってはいなかったのだ。彼女は県内でも屈指の進学校と言われる女子高校を第一志望としていたが、ある事情によってそれを撤回し、共学の私立高校へ入学した。その話を聞いて、茂は『僕も必ず行く』と約束したらしい。

「卒業と同時に別れてしまう恋人たちも居ると聞くけど、僕に言わせればナンセンスだね」

「……お前、地味キャラのくせに、やってる事は派手だよなぁ」

「密かに、シレッと美味しいトコを掻っ攫っていく感じっスよね」

 そう言いながら、悠志と千佳は頷き合っていた。そのを見て、茂は少しむくれたような表情を浮かべたが、そんな彼を由奈が『まぁまぁ』と宥めていた。この光景も、既に彼らの『お約束』となっていたようだ。

「しかし……去年はビックリしたよなぁ。新入生の数にさ」

「あのコラボ企画が効いたんスよ。アピールが半端なかったっスから」

 紗耶香が卒業し、悠志たちが3年生となった時、彼ら吹奏楽部は非常に高い注目を集めていた。あのライブのために結成した臨時のバンドが放ったサウンドは、そこに集った聴衆を虜にした。その影響は大きく、ライブが終わった直後に千佳と同学年の生徒が一人、また一人と吹奏楽部を訪れ、部員数は一気に20名を数える事となった。が、更なる大波が押し寄せたのは、その翌年の事である。

「軽音のおこぼれ……じゃねぇよな。アレは」

「最初っから、吹部と軽音のコラボだって公表してたっスからね」

 ライブを観ていた当時の6年生が、ホーンセクションとコーラスパートを受け持っていたのが吹奏楽部の部員であると知り、ワッと詰めかけて来たのだ。実際、ステージに立っていた悠志と由奈、茂、そして千佳の4人に『ライブ観ました!』と言って興奮状態になる新入生が多数おり、トランペットとトロンボーンの希望者が殺到して、対処に困ったほどであったという。

「ま、結局、残ったのは10人そこそこだったけどな」

「ヤル気のある奴に絞られた、って事さ」

「そうそう。お陰で、念願だったコンクール出場も出来たんだし」

 あと1年、早かったら……と、茂は思わず唇を噛んだ。皮肉にも、それを一番強く望んでいた紗耶香が卒業した後に、人数の問題という大きな壁を乗り越えて、コンクール出場が叶ったのだ。彼にとって、それは嬉しい事に違いは無かったのであろうが、紗耶香とその感動を共有できなかったのが、心残りであるらしい。

「俺らの代では此処までが限界だったが……お前の代で、更に上を目指してくれよな」

「任しといて下さいっス! 先輩たちが託してくれたバトンは、アタシが必ず次の世代へ引き継ぐっス!」

 前部長であった悠志の引退と同時に、新たな部長に選ばれた千佳が、堂々たる態度で応えた。入部当初こそ吹奏楽を低く評価していた彼女であるが、悠志たちと接する事でその素晴らしさを理解し、今や部を代表する立場にまで成長を遂げていた。この頼もしい後進に全てを託し、あとは頼むぞと固い握手を交わして、悠志たちは和泉中を巣立っていった。

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