§8

 照明が落とされたステージ上から、静かに無歌詞のコーラスが流れ出す。その調べにシンセサイザーのハーモニーが重なって、幻想的な情景が描かれ、やがて消えてゆく。その余韻の中、ドラムソロが場の空気を一転させ、眩いばかりのスポットライトがステージ上に居る9人の姿を浮かび上がらせる。悠志はその輝きを背後から浴びながら、踊る心を解き放っていた。

(おっ、当間先生にマサさん……あんなトコにいたのか)

 観客席に目を向けると、ニッコリと笑いながら手を振っている当間たちの姿がそこにあった。が、その隣に居た意外な人物の顔を見て、悠志は思わず苦笑いを浮かべていた。

(何で、ドレミの奴が此処に……って云うか、アイツ軽音の顧問じゃん。来てて当然なんだよな)

 もう、敵愾心を向けたりはしない。俺たちのサウンドを聴いて、何かを感じてくれればそれでいい……悠志はそう念じながら、マウスピースを通して、その魂を楽器に吹き込んでいた。

(シゲル……いい響きだぜ。先輩も、まぁ楽しそうに歌ってんな。ただ、あまり見つめ合ってると、バレバレだぞ)

 左を見れば、トランペットに汗の玉を弾けさせている茂の姿が目に入る。そして彼の視線の先には、気持ちよさそうに歌っている紗耶香が居る。互いに視線を送り合う事で、更に気分を高め合っているのであろう。実にいいコンビである。

(島村……チビで生意気な一年坊のくせに、いい仕事しやがったな。お前が居なかったら、今日ここに俺の姿は無かったぜ)

 紗耶香を左端にして、コーラスの3人が並んでいるのが見える。その右端に、八重歯を光らせながら熱唱している千佳が居る。その小さな体に、一体どれだけのエネルギーを秘めているのかと問いたくなるほどパワフルな彼女であるが、実は非常に繊細な心配りの出来る少女である事を、悠志は知っていた。彼女の活躍が無ければ、軽音楽部との和解も有り得なかったであろう。

(氷室……まさかお前の手引きで、調子を取り戻す事になるとは思わなかった。ホーンセクション、貴重な体験になったぜ)

 斜め前方には、ギター兼メインヴォーカルの氷室が居る。由奈を巡っての争いが元で対立するという最悪の出会いだったが、わだかまりが解けてみればメチャクチャいい奴だった。彼との出会いがスランプを発覚させる切っ掛けとなった訳だが、それが無かったら自分自身の大きな欠点に気付く事も、恐らく無かった筈。言わば、恩人という訳だ……本人には絶対に言えないが。

 そして……

(……由奈って呼びたいけど、やっぱアレだし……いや、でもなぁ……)

 紗耶香と千佳の間には、このステージ上で一番輝いて見える彼女……由奈の姿がある。氷室に煽られて意識し始めるまでは、その気持ちの正体が何なのか分からなくて、非常にモヤモヤしていたが、それが恋心だと分かった途端、モヤモヤはドキドキに変わった。まだハッキリと告白はしていないが、たぶんバレてるんだろうな。他の男が寄って来る前に、何とか……と、そんな事を考えてしまう程に、キッチリと惚れている。それが悠志から見た、由奈の姿である。

(最初の頃は、熱心な女子だなぁとしか思ってなかったんだよな。いつからだろうな、こんなにドキドキするようになったのは)

 思い返してみれば、由奈と出会っていなければ吹奏楽部は既に存在していなかった筈であるし、折れそうになる心をその度に支えてくれていたのも彼女だった。何故、こんなに優しいのか……と云うところを追求していけばキリがないが、彼女を越える女性はこの先、絶対に現れないであろう。そう確信できるほど、悠志の中での由奈の地位は高くなっていたのである。

(……ま、今はお前と同じステージの上で、音楽やってられる事に感謝しておくぜ。そっから先の事は、これから考えるさ)

 スポットライトの光にキラキラと反射する汗の玉が、幻想的とも言える視界を悠志に与えていた。このステージを切っ掛けに、俺は変わる。更なる高みを目指して、仲間と共に駆け上がっていく……そんな思いが、彼のボルテージを高めていた。

 そして、12分と云う持ち時間をフルに使った彼らの演奏は、大絶賛の中で終了した。


「……やるじゃん」

「ったりめーだろ」


 ステージ上で、嘗ては激しく対立していた男同士が、固く握手を交わしていた。言葉は非常に短かったが、そこに万感の思いが込められていた。そんな彼らの姿に、観客席の面々も惜しみない拍手を送っていた。

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