§5

「……あれ?」

「うーん……どうしてだろ? 何かイマイチ、パッとしないね」

 曲に問題がある訳ではない、耳コピーも完璧な筈。なのに、何故かデモ音源から受けた印象とはかけ離れた、今ひとつ微妙な演奏になってしまう事が解せずに、軽音楽部の面々は首を傾げていた。それに対して、紗耶香たちは非常に気まずそうな表情を浮かべ、俯いてしまっていた。

「オレらだけで合わせた時は、ほぼカンペキな出来栄えだった。って事は……」

 チラリと悠志たちの方へ視線を投げた後、氷室は『コーラスだけ宜しく』と言って悠志と茂を外して、通しで演奏してみた。するとイメージ通りの結果となり、紗耶香たちは更に居心地悪そうに、ソワソワとし始めた。

「もう一回、全員でやってみようか」

 この指示を受け、茂はギクリと肩を竦ませた。ふと隣を見ると、悠志が非常に辛そうな表情を浮かべていた。そう、この合奏がパッとしない、今ひとつノリの悪いものになってしまっている原因を、彼らはよく理解していたのだ。そして曲の半分ほどに差し掛かった時、氷室は『やめ!』と叫び、合奏を中断させた。

「鎚矢ぁ、何だその腑抜けた吹き方は!」

「うっ……」

 それは、昨年のアンサンブルコンテストに向けて練習していた時から、ずっと指摘され続けてきた事だった。技量は問題なし、譜読みも完璧。なのに、なぜか彼だけが全体から浮いてしまい、調和が取れない。その原因が未だに解明できず、悠志はずっと苦しみ続けていたのだ。

「鎚矢君と私たちの間で、すり合わせが足りないせいだ……って、指摘は受けたんだけど……」

「すり合わせ? 違うね。明らかにコイツだけ、ノリが違ってる。根っこの部分からズレてるんですよ」

 紗耶香が控えめな表現で弁明を試みたが、氷室はそれを遠慮なく斬って捨てた。そんなレベルじゃない、致命的な食い違いが生じている。具体的な指摘は出来ないが、悠志だけが自分たちと違う……と、彼はそう断じていた。

「古巣では……間宮の連中と合わせた時は、こんな事にはならなかったんだ。熟練の差だ、この曲を作った奴もそう言ってた!」

「ふぅん? じゃあ訊くが、お前以外の面子……渡部さんや森戸、それに由奈があっさりとシンクロしてんのは何故なんだよ? 同じ練習量こなしてて、お前だけ熟練が足りてねぇなんざ、有り得ねぇだろうが」

「そ、それは……」

 遠慮のない指摘に、悠志は言葉を失っていた。いや、彼だけではない。紗耶香も茂も、そして由奈でさえも、俯いたまま黙し、何一つ反論する事が出来ずにいた。

「んー、いつもの合奏と同じ感じっスね。上手いんだけど……いや、上手すぎるんスかね?」

 ただ一人、昨年の状況を全く知らない千佳だけは、皆と違うリアクションを示していた。しかし彼女もまた、今の悠志の演奏を肯定的には捉えず、ノリが違うと評していた。が、その一言に違和感を覚えたのか、氷室は千佳に質問をして来た。

「おい千佳、いま何つった? いつもと同じ……って言ったか?」

「え? あ、うん。吹部の合奏でも、こんな感じだって言ったよ」

「すると……おい森戸、お前らは既に気付いてたって事だよな? コイツが何か腑抜けた吹き方をしてるって」

 その追及に、茂は答える事が出来なかった。いや、慌てて視線を逸らし、気まずそうな表情を浮かべている事で、充分に氷室の質問に対する答えになっていた。

「具体的に、何処がどういけないのか……それを突き止められなくて、去年から悩んでるのよ」

「……それを、熟練が足りないからとか言って、そのままにしてた訳だ。それじゃあ、コンテストで落とされて当然ですよね」

 黙り込んでしまった茂に代わって、紗耶香が現状を簡潔に説明した。しかし、それを聞いた氷室はすっかり呆れ果てたような表情を浮かべ、更に強く悠志たちを糾弾した。そして、その様を軽音楽部のメンバーは呆然としながら眺めていた。

「なぁ鎚矢、お前がデモ音源を届けに来た時に、ちょっと思ったんだけどさ。お前もしかして、頭だけで音楽やってねぇか?」

「何ぃ……?」

 唐突に、氷室が悠志を名指しして、痛烈な意見を浴びせた。それを聞いた悠志は当然、鋭い目線で氷室を睨み返した。しかし、余程の確証があるのか、氷室はそれに臆する事無く、言葉を重ねていった。

「お前の頭の中には、カンッペキに楽譜が焼き付いてんのかも知れねぇ。けど、それだけだ。それじゃビートには乘れないぜ」

「ふざけるな! 譜面指示を無視して、正確な演奏が出来るもんか!」

 その返答を聞いて、氷室は『やっぱりな』と短く呟き、底冷えのするような目つきで悠志を睨んでいた。コイツは自分の感覚で音楽をやっていない、機械的なんだ。ただのシーケンサーと同じだ……と。

「熟練が足りない、そうお前は言ってたな。が、それは違うね」

「な、何だってんだよ!」

「お前に足りてねぇのは、信頼だよ。仲間を信頼して、身を委ねようって気持ちがカケラもねぇんだよ!」

 まさに痛烈な一言が、悠志の胸に突き刺さった。氷室はあの日、悠志から譜面を受け取った時に違和感を覚えた。更に、悠志の口から発せられた『譜読みは完璧』という言葉を聞いて、何とも言えぬ不愉快さを感じた。彼にとって、譜面に記された音符や演奏指示など、ほんの参考程度のものでしかない。音楽はハートで奏でるもの、そう信じていたからだ。しかし悠志は、譜面を完全に頭に叩き込んだから演奏も完璧と言い切った。つまりそれは、周りの奴らを見ていない、周りの音を聞いていない……それと同義である事に他ならないのだ。

「おーい、結局どうするんだ? 時間が勿体ねぇぞ」

「おっ、悪い悪い。あー……今日はもう合わせてもダメだな。皆すっかりテンション落ちてるし、やるだけ無駄だ」

 ドラムを担当していたメンバーが氷室に問い掛けたところ、彼は合奏中止を指示してきた。然もありなん、元より皆との歩調が合っていなかった悠志は元より、紗耶香も茂も、由奈ですらも意気消沈してしまっているのだ。これでは練習にならない。

「とにかく、鎚矢。今のままじゃ、お前は使えない。最悪、お前のパートだけ打ち込み入れる事になるかも知れないぞ」

「ちょ……鎚矢先輩が参加しないんじゃ、このコラボの意味が無くなっちゃうじゃん!」

「気の毒だがな、奴の復調をゆっくり待ってるって訳にはいかないんだ。そっちからの条件を呑むために待ちぼうけを喰らったお陰で、ライブ本番まで時間が無いんだ。今更、曲を変える事も出来ないしな」

 厳しいようではあるが、氷室の言は正論であった。当初の予定通り、千佳と由奈だけをコーラスに迎え入れて練習を開始していれば、日程的にもかなり余裕があった筈なのだ。しかし、悠志からの要望でオリジナル曲の完成を待っていた為、エントリーからかなりの時間が経過してしまっていたのである。

「氷室君が正しいわね。大人しく引き揚げましょう」

「仕方ないですね」

 紗耶香の指示に、茂が頷いた。千佳は氷室に対して何も言い返せないのが悔しいのか、唇を噛んで俯いていた。そして由奈は、すっかり意気消沈してしまった悠志の傍でオロオロとしていた。

「由奈! ……ちょっと来てくれ。千佳、お前もだ」

「……?」

 氷室に呼び止められ、由奈と千佳が振り向いた。紗耶香たちも目線をそちらに向けはしたが、振り返りはしなかった。そして、彼ら三人が扉の向こうへ消えたのを確認すると、氷室は真剣な面持ちで、ゆっくりと話を切り出した。

「この間、お前と鎚矢が部活休んで出かけてた時にな、千佳が気になる事を言ってたんだよ」

「えっ、アタシ?」

「そうだ。お前あの時、鎚矢の奴は全体で合わせると微妙だけど、由奈と吹いてる時だけはバッチリだって言ってたよな?」

「あー……うん、言ったよ。どういう訳か分かんないけど、パート練習で合わせてる時と、合奏の時で全然印象が違うんだ」

 その一言を聞いて、由奈は驚いたような表情を浮かべ、自分の事を指差していた。どうやら、彼女自身も悠志と一緒に吹いていながら、その事に気付いていなかったらしい。

「……全然分からなかったよ、パート練習の時は夢中で吹いてるから」

「っと、まぁ……そんだけだ。ライブまであと5日、時間ねぇぞ」

「氷室くん……分かったよ、ありがとう!」

 そう言って氷室に背を向けると、由奈は千佳を伴って第二音楽室を出て行った。そして第一音楽室に居るであろう悠志の元へと走ったが、彼の姿は何処にも無かった。

「先輩、森戸くん! つ、鎚矢くんは!?」

「……生気のない顔で、フラフラと出て行ったわ。楽器を背負ってね」

「一人で練習するつもりかな? 吹ける場所なんか無いと思うけど……」

 紗耶香たちの証言を聞くと、由奈はパッと千佳の方に目線を向けた。すると千佳は無言で頷いて、由奈の手を取って音楽室を出て行った。そんな彼女たちの姿を、紗耶香と茂は呆然と見送っていた。

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