§4

「……随分と、大胆な事を考えるのね?」

「オレは、コーラス要員を揃えたかっただけですよ。ここまで話をデカくしたのはコイツです」

 週明けの月曜日、第一音楽室の中には紗耶香と茂、千佳、そして氷室の姿があった。千佳を通じて悠志からの提案が軽音側に届き、それを受諾した氷室がプロジェクトリーダーとして、紗耶香たちの所に交渉を持ち掛けに来たのだ。

「渡部先輩、これはウチと軽音が仲直りをして、ついでに鎚矢先輩のスランプも何とかしちゃおうって言う計画なんスよ」

「ええ、彼らとの和解……って言うか、彼方に反抗の意識があったかどうかは分からないけど、このギクシャクした関係を修正しようと云う話には賛成よ。けど……」

「僕らがそのライブに参加する事が、どうして鎚矢のスランプ解消に繋がるんだ?」

 茂の疑問は尤もであった。確かに、軽音……なかんずく、氷室との確執を解消する事で、悠志のストレスはかなり軽減される。その意味では、彼のスランプ解消に繋がるというのは間違いではない。しかし、それだけが原因とは思えないのも事実である。

「アタシも先輩たちの合奏を聴いてて、一人ひとりは上手いのに、合わせると何か微妙だなーって思ってたっス。どことなく、ぎこちない感じがして……でも、鎚矢先輩と小松先輩が合わせてる時は、そのギクシャクした感じが無いんスよ」

 千佳の証言に、紗耶香と茂は思わず顔を見合わせた。確かに、合奏ではシックリこない悠志の演奏が、由奈と練習曲を吹いている時にはピタリとはまっている。この差は一体なんなのか、彼らもハッキリとは答えられなかったのだ。

「間宮中との合同練習では、私たちには熟練が足りない、という結論になったけど……」

「これは、他に原因があるのかも……島村、君はそれを検証するために、ここまでガラリと変えた環境を用意したのか?」

「当たりっス。あんだけ凄い音楽センスの持ち主なら、ロックとのコラボでも余裕でバチバチに合わせられる筈っス」

 成る程、悠志ほどの優れたプレイヤーならば、どんな演奏形態であっても即興で合わせる事が可能な筈。しかし、技術以外の原因でそれが出来ない状態になっているとするなら、それを本人が自力で解明するのは、ほぼ不可能だろう。ならば、ウンザリするほどの目線で観察して、外から原因を見つけてやろうと云うのが千佳の構想であるらしい。

「コイツの思惑通りになるかは分かりませんが、理には適ってると思うんです。で、ご参加いただけますか?」

「そういう事であれば、喜んで」

「うん。僕らにとっても、きっといい経験になる筈だ。よろしくお願いするよ」

 そう言って、笑顔と共に差し伸べられた茂の手を、氷室が握り返した。これで交渉成立、ホーンセクションとバックコーラスを擁する、総勢9名の大編成バンドが結成される事となった。この意外な成り行きに、氷室も喜んでいるようだった。

「ところで、鎚矢の姿が見えないようだけど? それに由奈も」

「え? あー、そう言えば鎚矢の奴、用事があるって言ってたな」

「あら、鎚矢君もなの? 小松さんもそう言って、出掛けたのよ」

 これはまた、妙な……と、氷室は訝しげな表情を浮かべた。が、紗耶香と茂は至って暢気な様子で笑っていた。余程の信頼を得ているのか、部活を休んで出掛けて行った二人は、お咎め無しであるらしい。

「奴め、居ないとは……曲について聞いておきたかったのに」

「曲? あー……もしかして、織田に会いに行ったのかも」

「へ? 今オレは、曲について聞きたいと……ま、まさか!?」

 その、まさかかも知れないよ……と、茂は窓の外を眺めながら答えた。紗耶香もそれに同意のようで、こくこくと頷いていた。しかし、佳祐の事を知らない氷室と千佳は、一体誰の事だ? と頭に疑問符を浮かべていた。

「もしかして、鎚矢が『曲については心当たりがある』と言っていたのは、この事なのか?」

「あ、アタシだって知らないよぉ」

 そんなやり取りを展開する氷室と千佳を見て、茂と紗耶香は何故か得意げな笑みを浮かべていた。そして数日後、氷室はその表情を、更なる驚愕の色に染める事となった。


* * *


 放課後の教室で、氷室は悠志がコッソリと持ち込んだスマートフォンに保存された音源に耳を傾けていた。佳祐が悠志からの依頼を受けて、自作のナンバーから特に選りすぐった一曲を更に調整し、今回のバンド編成に対応させたもので、その出来栄えは素晴らしかった。

「凄いもんだな。これをオレらと同い年の奴が作ったとはね」

「かなり特殊な編成のバンドになったから、既存の曲じゃダメだと思ってな。いい感じに仕上がってると思うけど、どうだ?」

 どうだも何も、完璧じゃないか……と、氷室は絶賛していた。心なしか悔しそうな表情を浮かべているのは、楽曲の提供者が悠志だからであろう。由奈を巡っての戦いに決着が付いた後とは言え、完全にわだかまりが解けた訳ではないらしい。

「OK、この曲で決まりだ。音源のコピーを貰えるか?」

「あぁ、ここに入ってる。それとホレ、各パートの楽譜もな」

「……?」

 差し出されたUSBメモリーに添えられた楽譜の束を受け取りながら、氷室は訝しげな表情を浮かべた。どうやら、紙の状態で楽譜を提供されるとは、思っていなかったらしい。然もありなん、彼らは音源が提供されている場合、耳コピーによって楽曲を再現するのが慣習となっていたのだ。音源の状態が悪かったり、不鮮明である場合は楽譜を確認するが、これほど鮮明な音源が提供されていれば、彼らにとって楽譜など必要なかったのである。

「……どうした?」

「あ? いや、何でもない。これ、早速ウチのメンバーにも配るから……そうだな、2日貰えれば合わせられる。そっちは?」

「シゲルと、コーラス組も既に練習を始めてる。俺も譜読みは済ませたから、いつでも行けるぜ」

 悠志の回答を聞いて、氷室はまたも眉を顰めた。が、悠志はそれを見て『俺から色々と注文が入ったの、気に入らないのかな』と判断していた。しかし、それも仕方のない事と思っているのか、それほど気に留めていなかった。

「じゃ、そういう事で。色々と注文しちまって悪かったが、こっちにも都合があったんだ。勘弁な」

「気にするな。オレもこれ以上、由奈に嫌われたくは無いからね」

 その切り返しに、悠志は思わず苦笑いを浮かべた。そして最後に、合わせはドラムのセッティングの都合から、第二音楽室で行うと取り決めをして、彼は第一音楽室へと戻っていった。

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