§7

「3名でお待ちのツチヤ様、お待たせ致しました」

 ランチタイムの只中に入店してしまった為、非常に混雑した待合席で30分ほど待たされた後、悠志たちは漸く店内へと案内された。その間にもファストフード店へ行き直そうという意見が何度も出されたが、それを千佳が頑なに拒み続けたのだ。無論、それが彼女による妨害工作の一端である事は言うまでもない。ファストフード店で手軽に昼食を済まされたのでは、幾ら何でも時間的に早すぎて、氷室の目を誤魔化し切れないと危惧した彼女の、苦肉の策だったのである。

「やぁれやれ、やっと席に着けたか。すっかり遅くなっちまったぜ」

「だぁってぇ! パスタが食べたかったんっスよ、パスタ!」

「あーもう、大声出すなっての!」

 待ち時間が予想以上に長かった事と、大きな楽器ケースを提げたまま、黙して何も語らなかった由奈への気遣いとで、悠志の千佳に対する態度は非常に荒々しいものになっていた。いや、実際に彼は非常に苛々していた。大幅に予定を狂わされた事で、かなり腹を立てていたらしい。

「待ったは待ったけど、30分ぐらいじゃないっスか。怒りすぎっスよ」

「俺らは別に、軽食でも構わなかったんだよ! 誰のワガママでこんな事に……」

 と、大仰に身を逸らせた所為で、悠志の腕が後方の席にいた客の背に触れてしまった。幾ら苛々していたとは言え、モラルに反してはいけない。悠志は咄嗟に、腕が当たってしまった客に対して謝罪しはじめた。

「す、すみません。大丈夫でし、た……か?」

「いえ、お気になさらず……に……」

 そこで相手と目が合ったが、その顔を見た悠志は驚き、言葉を失ってしまった。そして相手も、悠志の顔を見て絶句していた。然もありなん、そこに居たのはなんと茂だったのだ。しかも、彼の向かい側には同年代と思しき女子が座っている。これは実に拙いところに遭遇してしまった……と、流石の悠志も焦り始めていた。

「ワリ、ちょっと寄り道して昼メシ食ってこうって事になってさ。それで……」

「あ、うん。僕の事は気にしないで……す、直ぐに出て行くから」

 と言いつつ、茂は傍らにあった伝票を手に取り、向かい側に座っていた女子を促して退出しようとした。が、いきなり斯様な展開となってしまった為か、直ぐには立ち去れない状況だったようだ。手元に広げていたスマホや雑誌類を片付けるのに手間を取られ、その間にも悠志たちは茂に背を向ける訳にはいかず、非常に困惑していた。

「あれ? ……あ、あー! わ、渡部先輩じゃないっスか!」

「え!? あ、本当だ……髪を下ろすとそんな感じなんですね……って、ちがーう!!」

 そうしている間に、千佳が茂と一緒にいた女子の正体に気付いてしまった。俯いて懸命に顔を隠そうとしていた彼女は、何と紗耶香だった。背中側で一本の大きな三つ編みを結っている姿の印象が強い為、ウェーブの掛かったロングヘアをたなびかせた彼女が紗耶香であるなどとは、パッと見では誰も気付かなかったようである。

「あ、あのね!? さ、さっき偶然会って、せっかくだからお茶でもって……」

「そ、そうなんだ! 僕は参考書を買いに本屋まで……」

 と、紗耶香たちはしどろもどろになりながら、懸命にその場を誤魔化そうとしていた。しかし、テーブルの上にはソーダ水の入ったグラスが一つだけ置いてあり、そこにストローが2本刺さっているのだ。これを見てしまった後では、最早どんな説明も言い訳にしか聞こえない……が、それを追求すれば事態は更に悪化する。この状況に、紗耶香たちは勿論、悠志たちもすっかり困り果ててしまった。そして、何とかこの場を切り抜けようと苦慮していると、またも千佳がとんでもない事を言い出した。

「そ、そーだ! アタシたちまだ注文してないから、ここを出てみんなでカラオケでも行きましょーよ!」

 その突拍子もない提案に、悠志は勿論、由奈も絶句してしまった。冗談じゃない、この店に来ただけでもかなりの時間を浪費しているのに、カラオケなんかに行っていたら楽器店に行く時間が無くなってしまう。それを危惧した悠志は勿論、その提案を却下しようとした。

「島村ぁ……お前、自分が何言ってるのか分かってんのか? 俺と小松は、予定があって街に出て来たんだって言っただろ!?」

「分かってるっスよ! でも……」

 千佳は悠志の発言を肯定しつつ、強い口調で反論しようとした。が、何故か彼女は慌てて口を噤んで、目線を下に落とした。そして悠志に目配せを送ると、小声でその先を説明し始めた。

(このまま先輩たちと別れたら、月曜日に学校で、どんな顔して会えば良いんスか!)

(そ、そりゃあそうだけど……それじゃ小松はどうするんだよ、予定がすっかり台無しになって……)

(仕方ないっしょ、あんなトコにイチャラブしてる先輩たちが居るなんて、知らなかったんスから!)

 彼女としても、このような結果を招いてしまって悪かったとは思っているようだ。しかし、この状況を放置したまま別行動に移ってしまえば、学校で会った時に気まずい雰囲気になるだろう。今日の事は後でキチンと謝る、だから今はこの流れに乗っておいてくれ……と、彼女はそう言いたいらしい。

(千佳ちゃん、貴女……うん、分かったよ。あのままじゃ先輩と森戸くん、立場ないもんね)

(先輩、ゴメンっス! アタシ本当に、ゴハンだけ食べて消えるつもりだったっス!)

 彼女、鎚矢くんが目当てという訳じゃ無い……? と察した由奈は、千佳の顔を覗き込んで、無言で問い質していた。それを受けて、千佳はアイコンタクトで由奈の質問に応え、彼女の考えが正しい事を肯定していた。

(……仕方ねぇな。なぁ小松、明日は予定空いてっか?)

(いいの? 私は嬉しいけど、鎚矢くんだって予定があるんじゃ……)

 悠志の切り返しに、由奈は申し訳なさそうに返答した。しかし、悠志はニッコリと笑みを浮かべながら、構わないよと答えた。一度引き受けた頼みを有耶無耶にするのは男として恥ずべき事だと彼は補足したが、恐らくそれは建前であろう。

(そういう訳だから……いいか島村、明日は邪魔すんなよ!)

(そこまで野暮じゃないっスよ、バカにしないで下さいっス)

 どうやら、悠志たちの話は丸く収まったようだ。残る問題は、すっかり晒し者になってしまった紗耶香たちの立場をどうするか、である。見れば二人は、続きを楽しむ事も立ち去る事も出来ず、俯いて座したまま沈黙している。フォローが必要な状況だ。

「いこーぜ、カラオケ。シゲルと先輩、俺と小松のダブルデートに、オマケが一人ついてる感じになるけどよ」

「お、オマケってもしかして、アタシの事っスか?」

 未だ困惑している状態の紗耶香たちに対して、悠志と千佳はやや高めのテンションで接した。この気まずい空気を吹き飛ばすには、その位の勢いがなければ駄目だろうと考えたらしい。

「あ、あの……わ、私たちは……」

「あれ、もしかしてデートプラン台無しにしちゃいました?」

「それは……いいわ、行きましょ。あなた達も大幅に予定が狂ったみたいだし、お互いさまって事でね」

 紗耶香が苦笑いを浮かべながらそう答えると、茂もそれに同調した。此処まで来たら最早、誤魔化しも効かないであろうし、これ以上の言い訳は往生際が悪く、みっともないだけだと判断したのだろう。

「よーし、そんじゃ行こうぜ」

「アタシ会員証持ってるっス、ここなら食事とかもバッチリっス」

 こうして、図らずも合流した一同は、千佳の先導で繁華街にあるカラオケボックスに移動する事となった。この時、先の悠志の発言の中に『デート』というキーワードがあった事に敏く気付いた由奈は、密かに頬を染めながら嬉しそうに微笑んでいた。

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