§8
カラオケボックスにチェックインした悠志たちは、まず先刻ファミレスで食べ損ねたランチメニューをオーダーした。悠志はエビピラフ、由奈はサンドイッチとサラダ、千佳はボンゴレを腹に収め、漸く人心地着いたという感じで一息ついた。
「鎚矢も凄い勢いだったけど、島村。君は女子なんだから、もうちょっと……」
「そういうの、アタシ嫌いなんスよ。それに、おしとやかに食べたって、ガツガツ食べたって、メシはメシっス」
どうやら千佳は、女子らしくと言った意識が極めて希薄であるらしく、行儀の悪さを指摘されてもケロリとしている。但し、決して彼女がガサツなのだという訳ではなく、お洒落にも気を遣うし、時折見せる笑顔などは実に可愛らしい。要するに、由奈たちとは少々センスが異なるだけなのである。
「先輩たち、歌わないならアタシ先に入れちゃうっスよ?」
「あー、いいよ。食ったばっかりでマッタリしてるトコだし」
そう答えた悠志であるが、実のところ彼は気に入ったナンバーが無く、どういった路線で行くか迷っていたのだ。ポップスや洋楽、更には演歌や民謡……どんなジャンルでも歌いこなせる自信はあるのだが、逆に選択肢が広すぎて的を絞れないという、ある意味で贅沢な悩みを持っているらしい。
「へぇ……」
「流石だね、上手く歌いこなしてる」
悠志が曲リストを眺めて迷っている間に、千佳はロックの人気ナンバーを見事に歌い上げ、トップを飾った。小学生の頃からスタジオに通って、ロックやポップスのコピーを奏でているのは伊達ではない、という事のようだ。
「此処、新譜もケッコー入ってるっスからね。だから良く来るんスよ」
「良く来る、って……そんなに小遣い貰ってんのか?」
「親戚のツテがあるんスよ。音響関係の仕事してるんで、ライブハウスとかにも顔が利くっス」
「そういや、前に言ってたよな。スタジオにも良く出入りしてるって」
千佳が入部する際の自己紹介を、悠志はしっかりと覚えていたようだ。成る程、そういうツテがあれば練習場所には困らないだろうから、ドラムも叩き放題だったのだろうな……と連想して、単純に『羨ましい奴だ』と思ったらしい。しかし……
(そっか、こういう繋がりがあったから、軽音楽部は楽器とかに困らなかったんだ。練習場所も、きっと……)
由奈は千佳と氷室の繋がりを知っていた為、容易にその推測を得る事が出来た。そしてそれは正解であり、彼ら軽音楽部と、自分たち吹奏楽部の『基礎体力の差』を示していた。
(そんな事を、鎚矢くんが知ったらきっと……千佳ちゃん、お願いだからそれ以上、口を滑らせないでね)
無論、千佳もそれ以上の事をペラペラと喋るつもりは無いのであろうが、由奈は内心ヒヤヒヤであった。今でこそ小康状態を保っているが、悠志と氷室の水面下の戦いは、未だ続いているのだ。恋の相手という点では悠志の圧勝がほぼ確定しているが、ヴォーカルとしてスカウトを受ける可能性はまだ残されているし、そこを足掛かりにして『男子としての』アピールをして来るかも知れない。とにかく、油断の出来ない状況なのである。
「それじゃあ、次は僕が……」
由奈が思考を巡らせている間にも、カラオケパーティーは進行していった。茂と紗耶香はそれぞれポップスを無難に歌い上げ、いつの間にか互いを名前呼びしたりして、普通にカップルらしく過ごしていた。どうやら、完全に開き直ったらしい。
(渡部先輩と森戸先輩の事は、もう心配しなくても大丈夫そうっスね)
(あぁ、あの分なら大丈夫だろ。って言うか、こっちが照れてくらぁ)
紗耶香たちが部内で浮いてしまうのではないかと危惧していた千佳は、彼らの様子を見てホッと安堵していた。悠志もまた、苦笑いを浮かべながらそれに同意していた。そして由奈に目配せを送ると、彼女もニッコリと微笑みながら頷いて、良かったねと囁いていた。
「あれー? まだ歌ってないのって、鎚矢先輩と小松先輩だけっスか?」
「えーと……鎚矢くん、まだ迷ってるみたいだから、私先に入れるね」
この時、悠志は別に選曲で迷っている訳ではなかった。ただ、普通に歌っても面白くないので、何か工夫をしたいなと考えていただけだったのだ。が、由奈が歌うなら、ボンヤリとリストを眺めている場合ではない。歌姫と呼ばれるその所以にも興味はあるが、何よりも気になっている彼女の歌声だ。これは真剣に聴かねばなるまい。
(……あれ? この曲……)
流れ始めたイントロを聴いて、悠志はふと気が付いた。そうだ、これはアニメソングだ……と。そう、それは由奈が吹奏楽に憧れを抱く切っ掛けとなったアニメのテーマソングであり、同時に著名なアーティストによる人気のナンバーでもあったため、ロックやポップスの後に歌っても全く違和感は無かった。いや、仮にそれがアニメソングだと分かっても、抵抗を感じる者など居なかったであろう。何故なら、その素晴らしい歌声が、皆を魅了していたからである。
……が、その時。悠志が不意にもう一本のマイクを手に取り、歌い始めた。彼は何と、由奈のヴォーカルに『ハモリ』を加えたのだ。無論、オリジナルの楽曲にそのパートは含まれていない。完全に即興である。しかし、彼は見事にハーモニーを奏で、由奈との完璧なコンビネーションを披露していた。
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