§6
明けて、土曜日の午後。校門前で待ち合わせて、そこからバスに乗って移動すること20分あまり。駅を中心とした繁華街にやって来た悠志と由奈は、バスターミナルの片隅で一息ついていた。
「持ってやろうか? 重たいだろ」
「ううん、大丈夫。自分の楽器だもん、自分で持たなきゃ」
楽器店で試奏をしながら、マウスピースを厳選する段取りになっていたため、由奈はユーフォニアムを携えていた。背負えるタイプのケースであれば負担もかなり軽減されるのだが、由奈が手にしているのはスタンダードなハードケースであり、手から提げて持ち歩くしかないので、女子の細腕で携帯するのには些か難があるというものであった。
「分かった。でも、疲れたら言えよ?」
「ありがとう。じゃ、行こっか」
ニッコリと微笑み、先を促してくる由奈の姿を見て、悠志も自然と笑顔になっていた。彼としても、由奈は何となく気になる存在であったため、二人で連れ立って歩けば心が弾むのだろう。その足取りは軽く、実に楽しそうであった。
「もう、1年になるんか。早いモンだな」
「そうだね。吹奏楽部の現状を初めて見た時は、流石に面食らったけど……」
「迷ってたの、数秒だったじゃん。でも、正直あの時、メッチャ怖かったんだぜ」
「そうだったの? じゃあ、やっぱ止めますって言ってたら?」
その問いに、悠志は苦笑いを浮かべながら『そりゃ泣いてたかもなぁ』と答えた。あの時の彼は勢いに乗ってはいたが、味方は一人もおらず、単身で廃部と言う現実と戦う、非常に心細い状態だったのだ。そんな彼に手を差し伸べ、一緒に頑張ろうねと言ってくれた由奈の姿は、まさに天使のように見えたであろう。尤も、そんな事は口が裂けても言えないであろうが。
「ぶっちゃけ、あのタイミングでお前とシゲルが来てなかったら、その時点でドレミの勝ちだったんだけどな」
「そうなってたら、私もユーフォを吹けなかった訳だからね。鎚矢くんがポスター貼ってるのを見つけてなかったらと思うと、ゾッとするよ」
由奈のリアクションに、悠志は思わず苦笑いを浮かべた。実はあの時、由奈が見つけたポスターの他に2カ所の掲示を行っていたのだが、その行動によって入部したのは彼女一人だけであった為、もし仮にあの場所へポスターを貼っていなければ、彼女が吹奏楽部の部員募集を知るのが遅れ、小川の声掛けにより当時の3年生ふたりが辞めていったあのタイミングに間に合わず、部員数が3人を下回って、廃部が決定していた可能性もあったのだ。偶然の産物と言ってしまえばそれまでだが、彼にとってはまさにミラクルな出来事であったという訳である。
「さて、と。このまま楽器屋に直行しても良いんだが、昼メシ食ってなくてさ。そこのハンバーガー屋に寄っていい?」
「あ、私も食べてないんだよ。楽しみ過ぎて、ついね」
「そっか。じゃ、ハンバーガーなんかじゃなくて、もっとしっかりしたモンにした方が良いかな?」
「んー、アタシはパスタが良いっス」
「成る程、パスタも良いなぁ。ならファミレス……ん?」
と、悠志と由奈がほぼ同時に違和感に気付いて、キョロキョロと周りを見回すと、彼らの後方にピタリと付いて、笑いながら手を振っている千佳の姿が目に入った。
(ち、千佳ちゃん! やっぱり、鎚矢くんを追いかけて……!?)
まさに予感的中、という感じであった。由奈は予てよりの千佳の態度から、悠志にモーションを掛けて来るのでは……? と危惧していた。だからこそ今日、彼女は意を決して悠志をデートに誘ったのだ。
「し、島村! お前どうしてここに!?」
「グーゼンっスよ、グーゼン。ぶらぶら歩いてたら、先輩たちが歩いてんの見えたんで」
シレッと言い放つ千佳を見て、悠志は思わず狼狽した。いや、ここで千佳が合流しようがしまいが、マウスピース購入という目的自体に支障はない筈である。しかし、彼はその時、本心で『邪魔しないでくれ』と思っていた。理由は分からなかったが、とにかく千佳の介入を嫌っていたのは確かであった。
「あのー、千佳ちゃん? 私たち、これから用事があって……」
「えー、アタシもしかして邪魔っスか? 迷惑っスか?」
「な、何もそこまで……」
「だったら良いじゃないっスか。ランチしましょーよ、ランチ!」
何とかして、この場を切り抜けようとする由奈を尻目に、千佳は悠志の手を引いて先を促そうとしていた。悠志は戸惑ったが、『偶然』会っただけの後輩を、無碍に扱うのは流石に拙いと考えたのか、強硬な態度には出なかった。
「分かった。但し、メシだけだぞ。その後はこっちも予定があっからな」
「やだなぁ、分かってますよぉ」
と言いつつ、千佳は笑顔を作った。しかし、それは彼女の本心では無く、氷室の指示による妨害工作を実施した結果だった。あの時、悠志たち4人が交わしていた会話が千佳の耳に入り、彼女はそれをうっかり氷室の前で喋ってしまったのだ。
(マズったなぁ……あんな事をカズ兄ぃが知れば、ジャマしろって言うに決まってるじゃん。小松先輩、ゴメンっス!)
由奈の不安とは裏腹に、既に彼女の悠志に対する真剣な想いに気付いているからか、千佳は心の中で何度も由奈に詫びていた。漸く漕ぎつけたデートの邪魔をするなど、彼女の趣味ではない。しかし千佳は、母親との不仲を氷室に何度も取り持って貰ったという弱みがあるため、彼には逆らえず、嫌々ながらこのような汚れ役を担っているのだ。
(ランチだけ邪魔すりゃあ良いっしょ。それ以上は流石に鎚矢先輩も怒るだろうし、小松先輩が可哀想すぎるもんね)
取り敢えず、二人の間に割り入って邪魔をしたという事実さえ作ってしまえば、何とでもなる。それ以上の邪魔をするつもりは無い、後の事は知らないよ……と結論付けて、千佳は悠志たちと一緒にファミレスへと向かった。
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