第五章 彼女たちの事情
§1
春休み。2年生への進級を間近に控えた、ある日。由奈は相変わらず、氷室からの執拗なコールを受け、辟易していた。以前のように、毎日必ず現れるという事は無くなっていたが、隙あらば攻め入って来るスタンスで、教室前の廊下や通学中の路上、果ては自宅まで押しかけられたりと、兎に角『悠志が傍にいない』タイミングを見計らって言い寄って来るようになったため、寧ろ以前よりも状況は悪化していた。
「吹奏楽を辞めるつもりは無いって、あれだけ言ってるのに。いい加減、諦めてくれないかなぁ」
「んー……ユージは何て言ってんの?」
「ちょっかい出されたら、すぐに言えって。かなり怒ってるみたいだよ、しつこすぎるって」
「ふぅーん……あ、紅茶おかわりする?」
話を聞きながら、部屋の主――恵美が空になったティーカップを覗いて、お代わりは如何? と問うてきた。由奈はニコリと微笑みながら、お願いしますと答えた。彼女は今日、偶然にも近所の書店でバッタリと恵美に会い、暫しその場で談笑していたのだが、立ち話も何だからという事になり、此処に呼ばれていたのだった。
「まぁ、ユージが怒るのも無理ないんだよねー。由奈ちゃんの事、かなりお気に入りみたいだし」
その一言を聞いて、由奈は思わず頬を赤らめた。が、彼女はすぐさま『部員として大事に思われている』のだと解釈し、無難に『人数ギリギリだし、神経質にもなっちゃうよね』と答えた。が、恵美は何故か呆れたような表情を浮かべていた。
「え? あれ、何か変な事言っちゃった?」
「あ、ううん、ゴメンね。でも……ねぇ由奈ちゃん、ユージと部活以外で会う事、無いの?」
「んー? 学校行くときは別々だけど、帰りはいつも送ってくれるよ。夜道は危ないからって。あと、SNSでも繋がったから、連絡くれるようになったんだよ、ホラ……って、どうしたの?」
「……け、結構マメじゃん、ユージの奴」
由奈が嬉々として差し出して見せたスマートフォンの画面を覗き込み、恵美は悠志の意外な一面を見たような気がしたのか、やや脱力したようなリアクションで応えた。因みに、悠志は恵美や佳祐は勿論、紗耶香や茂ともアドレス交換を行っているので、由奈だけが特別という訳ではない。しかし、それまで彼は恵美以外の女子とは必要以上に絡まなかった為か、昔の彼を知る者としては、『変わったなぁ』という印象に見えるのだろう。
「そうだメグちゃん、写真いい?」
「え? うん、いいけど……」
と、恵美が答えたその時には、既に由奈が恵美の隣に位置しており、フロントカメラのフレーム上には二人が並んだ姿が写り込んでいた。そして二人が笑顔を作った直後、シャッター音が聞こえてくる。意外にも、手慣れた感じの所作であった。
「自撮りとか、結構やってんの?」
「うん。楽器を構えてるトコとか、良く撮るんだよ……っと、おっけ。『メグちゃんちに居ます』……っと」
「……もしかして、ユージに?」
「そだよ。メグちゃんと一緒にいるよって伝えとけば、安心……ど、どうかした?」
目線を上げると、グッとアップに迫った恵美の顔が、由奈の目の前にあった。彼女は頬を紅潮させて、心なしか表情も緩んでいるように見えた。
「ふぅーん、なかなか密に連絡取り合ってんだね。これなら、氷室って奴が付け入る隙も無くない?」
「それがねぇ、そうでもないんだよ。鎚矢くんと違って、氷室くんは直にアピールしてくるから」
その回答を聞いて、恵美はガックリと肩を落としながら『アタシの嫌いなタイプだ』と嫌悪感を露にした。由奈は氷室と家が近い上に、通学路も被っている為、登下校の際に待ち伏せされて、付き纏われる事も良くあるという。それ故に悠志が下校時のガードを買って出たという経緯があり、彼は『良ければ朝もガードするぞ』と申し出ているようだ。
「んー……由奈ちゃん的にはどうなの?」
「どう、って……氷室くんは友達だし、悪い人では無いんだけどね。吹部の手前、拙いし。それに……」
「ユージに誤解されそうで怖い、とか?」
「……!!」
刹那、由奈の顔がボッと赤く染まった。然もありなん、彼女にとって悠志は師匠であり、かけがえのない友人であり、それに何より『初めて心惹かれた男子』であったのだ。が、それは許されぬ事と考えていた為、彼女はその想いを胸の奥に固く封じていたのだった。
「……やっぱしね」
「あ、あう……悲しくなっちゃうから、考えないようにしてたのに……」
「えー、ユージが好きだって事が、何で悲しくなるの?」
「だ、だって……鎚矢くんには、もう彼女が……って言うか今、その彼女の目の前だし」
由奈の回答を聞いて、恵美は思わず飲みかけていた紅茶を吹き出しそうになってしまった。そして数秒の間沈黙した後、彼女は自分で自分を指差し、『アタシ?』と問うてきた。
「……あ、あれ?」
「アタシと、ユージが? 無い無い、それは無いって!」
呆然とする由奈を目の前にして、恵美はケラケラと笑い出した。由奈の視線があまりにも真剣だったので、尚更おかしかったのだろう。しかし、当の由奈は未だ『信じられない』と言った風な表情を浮かべ、言葉を失っていた。
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