第三章 衝突

§1

 つい先刻、ステージに立つ前の彼らは、意気揚々とした明るい顔をしていた。しかし、放課後の音楽室で反省会を開いていた彼らは、どんよりと暗い雰囲気を纏い、打ちひしがれたような表情を浮かべていた。

「一体、どうしたんだい? さっきの演奏、なかなか良い出来栄えだったと思うんだが」

 観客席からステージを見ていた当間が、感想を述べながら彼らの顔色が優れない理由を問うた。が、それに対する悠志たちの返答は無く……いや、由奈と茂は何かを発言しようとする仕草を見せるのだが、すぐに俯いて、口を閉じてしまうのだ。

「演奏自体は……問題なかったと思うんです。鎚矢君と森戸君も、初ステージであの出来なら上等だと評価してましたし」

 漸く、紗耶香が沈黙を破って当間の問いに答えた。しかし、その回答を聞いた当間は、益々困惑してしまった。

「それなら、何でこんな……お通夜みたいなムードになってるんだい?」

「それは……」

 と言いかけて、紗耶香は思わず口を噤んだ。彼女の隣にいる悠志の表情が、途端に険しいものになった為だ。それを見た当間は、どういう理由でかは分からないが、ここでは発言しづらいのだろうと判断し、紗耶香を促して音楽準備室に場所を移した。

「鎚矢君が、どうかしたのかい?」

「実は……私たちの後に軽音楽部の発表があったのは、ご存知かと思いますが。それを観て、ショックを受けてしまって……」

 その回答を聞いて、当間は漸く、皆の様子がおかしい事の理由に察しを付けた。成る程、軽音楽部の方が吹奏楽部よりも演出が派手で、その所為か観客からの評価も彼らの方が高いように見えた。同じ音楽系クラブとしては、その差にショックを受けるのも無理からぬ事だろう。しかし……

「確かに、軽音楽部の演奏は見事だった。でも、君たちだって負けず劣らずの演奏をしていたと思うけどなぁ」

「いや、観客のほぼ全員が中学生という事を考えれば、選曲の時点で既に微妙だったと思います。それに……」

 紗耶香は、その先の発言を躊躇い、口を噤んだ。しかし、ここで黙り込んでしまう訳にはいかない。言い難い事ではあるが、言わざるを得ない……彼女は目線を下に落としたまま、漸く口を開いた。

「私は自分の未熟さを自覚してますし、悔しいけど軽音楽部の実力も認めているんですが……」

 そう言いながら、紗耶香は音楽室の中をチラリと見た。その視線の先には、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべている、悠志の姿があった。

「……そうか。彼は小川先生の事を、とても嫌っていたよね」

「はい。ただでさえ聴衆の評価で負けてるのに、相手が軽音楽部だったから……どうにも耐えられないみたいで」

「成る程なぁ。こういう言い方は良くないが、格下と思っていた相手にアッサリ負けたとなれば……傷は深いだろうね」

 その通りです……と、紗耶香は再び頭を垂れた。元々、今回のステージはアンサンブルコンテスト出場を見込んで、本番前に経験値の低い彼女と由奈を場慣れさせる為の予行演習として、軽く流すだけのつもりで臨んだものだった。故に、聴衆の評価が微妙であろうと、全く問題ではなかった……筈なのだ。しかし、それまでは眼中になかった勢力である軽音楽部が『敵』として立ちはだかり、尚且つ、それに敗北してショックを受けるなど、全くの想定外。この予期せぬトラブルに、彼女と当間は揃って頭を抱える事となった。


* * *


 翌日。放課後の音楽室に一番乗りを果たしたのは、由奈だった。準備室および音楽室の鍵を開けるのは、部長である紗耶香か一年生リーダーの立場にある悠志の役割であるため、彼女は音楽室の前で待ちぼうけを喰らう事になってしまった。

(だーれも来てない、か。珍しい事もあるもんだなぁ)

 実際、彼女が一番乗りになるのは、極めて珍しい事だった。いつもなら、ほぼ必ずと言って良いほど、悠志が先乗りをして、準備室で待っているからだ。

(鎚矢くん、かなりショックを受けてる感じだったなぁ……昨日は結局、フォローできなかったし。心配だなぁ)

 いつも自信に満ち溢れて、決してネガティヴな表情など見せた事のなかった悠志が、昨日のステージの後は口を閉ざしたまま、遂に一言も喋らなかったのだ。由奈でなくとも、心配になるであろう。

(そうだ、今日は基礎練の時間を長く取って、鎚矢くんに指導して貰おう。昨日の事を、なるべく思い出させないように……)

 昨日の様子を思い出しながら、由奈はそんな事を考えていた。今の彼は大きなショックを受けていて、非常に不安定な状態。文化祭の事を思い出させてはいけない、特に軽音楽部の話題は絶対にタブー……そう判断していたようだ。

(昨日の私たち、調子が悪かった訳じゃない。寧ろ良い出来だったって、鎚矢くんも言ってたのに……)

 溜息を吐きながら、再び窓の外に目を向ける。体育館の前に設えられた時計を見ると、間もなく午後3時になるところだった。いつもならば既に練習が始まっているタイミングなのだが、何故か今日は誰も来ていない。

「どうしたんだろ、今日はみんな遅いなぁ」

「居残り勉強でもさせられてんじゃねーの? 知らねーけどさ」

「……!! ひ、氷室くん!?」

「おいおい、そんなに驚く事は無いだろ」

 苦笑いを浮かべながら、彼――氷室一哉は近付いて来た。そんな彼を見て、由奈は焦りの表情を浮かべていた。然もありなん、いま最も此処に居てはいけない人物が、ひょっこりと顔を出したのだ。彼を吹奏楽部の面々……特に悠志と会わせてしまうのは拙い。ただでさえ荒れているメンタル面が、更に悪い状態になるのは必至であろう。

「な、何か用? いま先生も部長も居ないんだけど」

「は? オレはお前に話があって来たんだ、先生や部長さんとやらに用なんか無いよ」

「……私に?」

 氷室の返答を聞いて、由奈は訝しげな表情を浮かべた。今のところ、彼との接点は何一つ無いからだ。強いて言えば、互いに和泉小の卒業生であるという事ぐらいで、他に共通する点は無い筈。なのに、彼は自分を指名して、話を振ろうとしているのだ。警戒するのも無理からぬ事だろう。

「他の奴らが来ると面倒だ、サクッと話すぜ。由奈、うちの部に来ないか?」

「はぁ? な、何言ってんの一体?」

 意外な……いや、意外すぎる誘いを唐突に受けて、由奈はその場で固まってしまった。しかも、大して親しくない間柄であるにも拘らず、いきなり名前で呼ばれた事に対する苛立ちも加わって、彼女の氷室に対する印象は一気に最悪のものとなった。

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